報道陣の前で土下座した田口淳之介

 大麻取締法違反の罪により起訴されていた、元KAT-TUNの田口淳之介被告が6月7日、勾留先の東京湾岸署から保釈。その際、報道陣の前に“土下座”をしたことで世間に衝撃が走ったが、フィフィは昨今の芸能界の“謝罪風潮”そのものに疑問を投げかける──。

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 芸能人の謝罪会見自体は昔からあったものの、最近とくに何かにつけて謝罪しなきゃいけない風潮が目立つような気がします。黒髪にしたりスーツを着たり眼鏡をかけてみたりと、いわゆる“真面目なイメージ”を作った、見た目・形から入る謝罪がパターン化していますよね。多様性をうたっている今の日本において、この風潮はあまりにもステレオタイプかなと感じました。

 今回の田口さんの件も、こうした形から入らざるを得ない、そうしないと世間から何かいわれてしまう風潮が、土下座という行動を生んでしまったのではないかと思います。

 そもそも、芸能人が何か問題を起こしたときに、公の場で謝罪をする必要性そのものに私は疑問を感じます。誰に向けて何のために謝罪するのか。謝罪をすることで騒ぎが沈静化するわけでもないし、むしろ謝罪するほど世間が騒ぎ、マスコミにネタを提供しているようにさえ思えてしまいます。

 不倫などはそれこそ家庭内の問題だし、'13年にAKB48・峯岸みなみさんが恋愛スキャンダルを起こして坊主にしていたけど、私はあのとき彼女が反省しているのかどうか以前に、痛々しさをすごく感じてしまいました。 

 最近は謝罪会見にしても、「○○秒間、頭を下げました」などといったことまで細かく報道されています。田口さんも「20秒間土下座した」と報じられましたが、たとえば2秒だけしか頭を下げなかった人は“あまり反省していない”、といったイメージを与えかねない。こうした報道姿勢もまた、謝罪をエスカレートさせてしまうのではないかと感じました。

 それをニュースで取り上げることで、さらに世間から叩かれるという昨今の流れはなんだか異様な感じもします。

 ただ、今回の土下座に対してネットの反応をみていると、違和感をもった方も多かったようで、日本人にとって謝罪の際に“土下座をする”という行為は、たやすくやってはいけないものなんだなということがわかりました。個人的にも今回の件については、“これだけやったんだから皆もう責めるなよ”といったパフォーマンスのようにもみえてしまいましたね。

 日本の謝罪文化は、責任感や誠意のあらわれでもあるので好きな部分ではあるけど、不倫も薬物問題も、裁くのはあくまでも“法律”だということを再認識したほうがいいかもしれません。

 世間からの非難の声が大きすぎるがあまり、裁判で、「社会的制裁をもう十分受けた」といった理由で減刑されるケースもありますが、これはあってはいけないことなのではないでしょうか?  世間で騒がれたからといって罪が軽くなるのはいかがなものかと思います。被害者が置き去りになってしまうことにも繋がりかねない。

 かつて私がアメリカに住んでいたころ、著名人が不祥事を起こして声明文を出すようなことがあったとしても、公の場で謝罪会見を行うところはほとんど見たことがありませんでした。また、社会がそういったものを要求するような流れもなかった。

 法律によって罪そのものが正しく裁かれるためにも、昨今のエスカレートする謝罪風潮はいかがなものかなと思うんです。

 <構成・文/岸沙織>