漫画家・魔夜峰央さん 撮影/伊藤和幸

 2019年2月、埼玉県をテーマにした映画『翔んで埼玉』が公開され大ヒットを記録した。GACKTや二階堂ふみといった人気俳優たちの出演もさることながら、「埼玉なんて言ってるだけで口が埼玉になるわ!」「埼玉県人にはそこらへんの草でも食わせておけ!」など埼玉県をディスった(=侮辱した)ギャグも話題となった。

 出身地や住む場所によって差別するのが当たり前の世界という設定で、埼玉県を“ど田舎”と徹底的にこき下ろした作品だ。にもかかわらず、当の埼玉県人は大喜びで、むしろ埼玉を中心として映画は空前の大ヒットを記録。上海、イタリア、シカゴ、ブラジル、カナダなど海外の映画祭でも、そのユーモアは大ウケだった。

 だが、この作品の原作は30年も前に描かれたマンガだ。作者は魔夜峰央さん(66)。

「ミーちゃん」として自身も登場

「埼玉をディスっている意識はなくて、おちょくっているだけ。ただ、そのおちょくりがキツイ(笑)。毒蝮三太夫さんが“ばばぁ生きてたか”って言うのも“元気でやってたか”の裏返しだから笑うんです。それと同じ感覚だから、埼玉県民も喜んでくれる。微妙な地域格差とか、どこが偉そうとか、世界共通のテーマなんでしょうね」

 魔夜さんの作品は、細密画のような繊細なタッチと絶妙なギャグ、随所に最新科学や宇宙、文化などの雑学がギッシリ詰まった濃厚なストーリーでも定評がある。

 代表作『パタリロ!』は、架空の島国「マリネラ王国」を舞台に、国王パタリロとその臣下であるタマネギ部隊、イギリスの諜報部員バンコランらを交えた騒動を描いたギャグマンガ。

 1978年に少女マンガ雑誌『花とゆめ』(白泉社)で連載が開始され、当時誕生したばかりだった耽美ものにギャグを組み合わせるという新しいスタイルで人気沸騰、1982年にはアニメ化された。時を経て2016年に舞台化、2018年には少女マンガ最長連載の100巻が出版され、今年6月末に映画化される。まさに2019年は魔夜峰央再ブレイクの年だ。

 魔夜さんはオールバックに黒いサングラス、ダークな服といった出で立ちがトレードマーク。そのスタイルはファンの間では有名だ。作品に「ミーちゃん」という名で自身のキャラクターがよく登場するからだ。

『パタリロ!』の舞台と映画の監督を務めた小林顕作さんは、こう分析する。

「1980年代に活躍した方って、渡哲也さんも矢沢永吉さんも、タモリさんもみんなサングラスかけてますよね。クールに見せてるけど、ちょっと出たがりで、やりだしたらすごくなっちゃう人たち。その照れ隠しがサングラスに表れていると思うんです」

 魔夜さんは映画『翔んで埼玉』『パタリロ!』にもサプライズ出演している。

「映画に出てもらったら、そこがいちばん面白くなっちゃった(笑)。プロの俳優が見ても、うんめぇなぁ! って芝居で、アプローチの仕方がエンターテイナーでした」(小林監督)

映画化が決まった魔夜さん作品『パタリロ!』より

「漫画家になりたい」と両親にウソ

 魔夜さんは新潟県の出身で、海辺にある小さな家で育った。読書は子どものころから好きで、「単純な少年マンガよりも、文学的な少女マンガに強く心惹かれた」と言う。

 高校に入ると母親から昼食代としてもらった100円のうち、50円で菓子パンを買って、残り50円を貯め、ずっと本を読んでいた。隣の席の女子に「山田くん(魔夜の本名)、学校に何しに来てるの?」と言われたほどだ。

 そんな文学少年は、大学進学とともに大阪へ。1度、推理小説の執筆にも挑戦したことがあった。

「まだワープロが出始めのころで、デスクトップのでっかいやつで打って。原稿用紙で50枚ぐらい書いたところで、まだ死体が出てこない(笑)。イライラしてやめちゃったんです。部屋の景色を表現するのもマンガだったら一発じゃないですか。これどうしてこんな細かいこと考えなきゃいけないんだろうって、もう嫌になっちゃって。だから私、文筆家には向いてないんです」

 漫画家デビューは1973年、怪奇ものの『見知らぬ訪問者』だ。大阪芸術大学デザイン学科でインテリアデザインコースに在籍していたが、授業には出ずマンガをひたすら描く日々。大学が面白いと思えず、2年で中退を決心する。

「漫画家になろうと思ったことはないんです。でも大学をやめる口実として“漫画家になりたい”と、両親にウソをついたんですね。あと2年、大学に通わせたと思って食わせてくれと言って」

 実家のある新潟に戻ってから、描いても描いても、自分の作品のクオリティーに満足がいかず、葛藤の末にスランプに陥ってしまったのだ。ペンを持つこともなく毎日読書に耽った。その数は、半年で約800冊にものぼる。

「SFやミステリー、ファンタジーが多かったですが、内容はほとんど覚えていません。ただ、とにかく量をこなしたことで“面白い本ってこういうものなんだ”という本質はなんとなくわかった気がしました。ストーリーの作り方の勉強をさせてもらったかな」

 大学を中退し、約束の2年が過ぎた。これ以上、親に甘えるわけにはいかない。そこで開き直って描いた作品『やさしい悪魔』が賞を取り、2度目のデビュー。漫画家として実質的なスタートを切った。

「そのあと2、3回スランプに陥りますが、そのときに比べたらどうってことない。だいたい、スランプや四十肩、五十肩なんて2年で過ぎるんですよ」

「止まった心臓」の意味

デビュー後の仕事部屋。スヌーピーは作品中にも遊び心でたびたび登場

 デビュー直後はずっと怪奇ホラーものを描いていた。それからギャグマンガに転向するが、魔夜さんの作品には、しばしば悪魔や妖怪といったキャラクターが登場する。

「何十年ぶりかに小学校の同窓会に行ったんですよ。紙でモビールを作るという図工の時間に、みんなは花だなんだってきれいなものを作ったのに、私だけ、ドクロとか、頭にナイフの刺さっている男の人とかを作ったそうです。変わったやつだと思われていたって聞きまして

 かといってダークなものに興味があるわけではないと否定する。

「妖怪って面白いんですよ。コミカルで怖くない。私がいちばん好きな妖怪はぬらりひょんなんですけど、なんにもしないんですよ。忙しい商店に勝手にあがり込んで座り込む。どかそうと思ってもぬらりくらりして邪魔でしょうがないってだけの妖怪なんです。基本的には悪意を感じないんですよ。

 日本は自然災害が多い国ですよね。どんな災害があっても自然には悪意がない。それと同じような感覚なのでしょう。仮に天変地異が神様の仕業だとしても、そこに悪意はなく、たぶん何か計画や考えがあって、やってることだと思うんです。人間には理解できませんけどね。でも、決して残酷な意味でやっているわけではないんです」

 苦境も含め、すべてのことは必然で理由がある─その視線はあくまでクールだ。

 魔夜さんは自身のことを「止まった心臓」とたとえる。病院で心電図をつけた人が亡くなると、それまで描いていた曲線が、ピーッとまっすぐになる、あの状態だ。

「ずっと一緒なんですよ。喜んだり悲しんだりしない。いつも一定なんです。人に対しても腹が立たないですね。自分が完璧な人間ではないのに、ほかの人に完璧を求めたってしょうがないでしょ」

 他人に興味がないだけではなく、作品にも執着しない。20年以上前から断続的に担当をしている白泉社のWEBコミック誌『花ゆめAi』編集長の岩切健太さんがその無頓着ぶりを明かす。

「トークイベントなどで熱心なファンが作品について質問しても“なんだっけ?”といったふうで覚えていない。作るにあたっての苦労はあると思いますが、“すごいのを描いたぞ”とか“めちゃくちゃ苦労したぞ”とか、そういうことに執着せずに、終わったら忘れて次の作品を同じテンションで描くんです」

 実はこの「動じない」スタイルが、魔夜さんの今の再ブレイクにつながっている。

 スランプを脱して2度目のデビューをしてからは公私ともに順調だった。『ラシャーヌ!』や『パタリロ!』『翔んで埼玉』といったギャグマンガに転向し、一気に人気作家の仲間入りを果たす。

 そして数年後、運命の出会いがあった。

 愛妻の芳実さん(56)が初対面の日の出来事をこう話す。

「高校生だった私は、とある漫画家さんのファンクラブに入っていたんです。それで魔夜のファンクラブと合同で交流会をしたんですね。そこで初めてお会いしたんですが、ずっと、私にだけ優しかったんです。私の2次会費を払ってくれたり」

 魔夜さんは、芳実さんをひと目見て「運命の人」と悟っていた。

「この子絶対、年をとるごとに綺麗になるタイプだなと思ったんですよ。小さい子どもでも、おばさんっぽい人っていっぱいいるんです。でも奥さんにはそれがない。永遠の少女のような美しさを感じた」

 芳実さんが交流会のお礼の手紙を送ったことでふたりの交際はスタート。3年ほど付き合ったころに、芳実さんの兄の結婚が決まり、式が終わった夜、近くのホテルに泊まっていた魔夜さんは「結婚しようか」と芳実さんに告げた。

 結婚式の仲人は、先輩漫画家である美内すずえさんに頼んだという。

白泉社パーティーにて。美内先生(右)と

締め切りを守る漫画家

 魔夜さんは1度だけ、臨時で美内さんのアシスタントに行ったことがある。昔は、駆け出しの新人がアシスタントとして先輩漫画家の作品で背景を描くなどの交流があった。

 デビューして間もないころ、編集部から東京に呼ばれ、作家の缶詰用ビジネスホテルに到着すると、5~6名のアシスタントが集まっていた。しかし待てど暮らせど、美内さんと連絡がとれず、仕事が始まらない。

 美内さんが悪びれもせず、「どうも~!」と言って部屋に入ってきたのは1週間後のこと。その晩、30枚ほどの原稿を描いた。『黒百合の系図』という作品だった。魔夜さんは「私が描いたところだけタッチが違うので、ひと目でわかりますよ」と笑う。それ以来、2人で飲みに行く仲になったという。

 漫画家としての魔夜さんは、締め切りを破らないことで定評がある。2か月以上、早く仕上げることもあり、編集者から「これはいつの分ですか?」と聞かれたことがあるほどだ。

「漫画家っていうのは締め切りを守らないって聞いてたんで“じゃあ俺は守ろう”って。人に逆らう性格なんで」

 通常、マンガはストーリーのプロットをつくり、簡単なコマ割りをしたネームを描き、原稿に取りかかる。そのつど編集と相談をする漫画家が多いが、魔夜さんの場合、編集者が原稿を依頼すると、いきなり完成原稿を送ってしまう。大御所とはいえ、かなりのレアケースだ。

 こうした理由で「新人編集が担当につくことが多い」と前出の岩切さんは言う。

「先生はすごくお仕事しやすいんです。締め切りは守るし、難しい要求もない。だから昔は仕事を覚えてもらうために入社したばかりの新人が担当することが多かったんです」

夏祭りで撮影した家族写真

 結婚生活も順調だった。1女1男に恵まれ、当時は珍しいイクメンだった。芳実さんは「一緒に戦ってくれた戦友」と魔夜さんを労う。

「2人とも親がそばにいないので、頼ることができませんでした。夫婦2人での子育ては、私が考えていたよりもずっと大変でした」

 幼いころからバレエを学んできた芳実さんは自宅でバレエ教室を始め、やがて子どもたちも習うようになった。「最後のプライドが……」と渋っていた魔夜さんも44歳で一念発起し、バレエを始めた。その様子や子育ての体験をネタにしたマンガ作品も多数ある。

 夫婦仲睦まじいのは周囲では有名な話だ。魔夜さんが取材を受けるときには芳実さんが付き添うことが多い。たいていのことを覚えていない魔夜さんは、答えられない質問が来ると「なんだっけ?」と妻を振り返り尋ねる。それに細かく答えていく芳実さんの姿は、長年連れ添ってきた夫婦の年輪を感じさせる。

 舞台『パタリロ!』で主役の国王パタリロを演じた俳優、加藤諒さんも、夫婦の仲睦まじさを絶賛する。

「舞台の打ち上げでカラオケに行ったんです。ご家族全員でいらしてくださったんですが、店の移動中、ずっと手をつないで歩いているんですよ。ミーちゃん先生(魔夜)はアニメのエンディング『美しさは罪』を歌っていましたが、間奏中に奥様にキスしたりするんですよ! こういう夫婦ならいいな〜と羨ましくなりました」

 娘のマリエさんも両親の仲のよさには太鼓判を押す。

「朝ご飯を食べていると、両親が“おはようのチュー”とかするんです。小さなころからですね。この前もね、私の赤ちゃんのころの写真を見ていたら、横から父が覗き込んで“わ、ママかわいい!”って言ったんですよ。大好きじゃんと思って、ほんとに」

 '80年代、漫画家になって早々に大ブレイクを果たした魔夜さんのもとには毎月、ファンレターが段ボールに山積みになって送られてきた。自宅と仕事場を往復する毎日だった。

冬の時代、到来

 しかし'90年代末ごろから、出版業界全体で少しずつ本が売れなくなっていく。大手の古書店が全国に拡大し、格安でマンガが買えるようになった。インターネットも普及し、娯楽も増えた。魔夜さんの単行本も例外ではなく、次第に売り上げが落ちていった。そして魔夜さんいわく、「冬の時代」が到来する。

 約5年間続いた苦境を、本人は至って冷静に振り返る。

「冬の時代も、そんなに落ち込むことはなかった。よく眠れていましたし」

 だがプレッシャーがないわけでもない。もともと酒好きだったが、どんどん酒量は増え、ひと晩にウイスキーボトル1本半を空けるようになっていた。芳実さんも黙ってはいられなかった。

「数年前から、お酒に関してはよく議論をしていたんです。飲酒や喫煙が身体によくないことはわかっていますが、“やめるほうがストレスになって健康によくない”と言われてしまう。それが彼にとって大切なことだと思うと、強く言えませんでした」

 どんどんやせていった体重は52キロにまで落ちた。編集の岩切さんもハラハラしながらその様子を見守った。

「一時は本当に心配でした。インタビューに立ち会って、帰るときにそこで別れるのが不安なんです。見るからにすごくしんどそうでしたね」

自身の子育てをテーマに家族を登場させた作品『親バカ日誌』より

 毎年初めに行われる白泉社のパーティーでは、会う人全員に「魔夜先生、大丈夫ですか?」と聞かれた。立っていられず、イスを用意してもらって座って過ごしたという。

酒を飲み続ける夫、悩む妻

 自宅には税務署の職員もやって来た。

「税務署の人が来て、なんとか申請してくださいって言うんです。しばらくしたら、うちでやるからって言って、書類を全部持って行って、税務署でやってくれました。税務署の人も優しいんだなって思いましたね」

 芳実さんは借金があった事実に驚く。バレエ教室の売り上げは魔夜さんに渡していた。そんなにも窮乏していたとは知らなかったのだ。

 仕事場を借りていた大家には1200万円の家賃の支払いがたまっていた。仕事場は引き払ったが「大家さんがいい人でね、ずっと待っていてくれたんですよ」と魔夜さん。

 だが、目の前には莫大な金額が記載されている。日々の生活費は、趣味で買い集めていた宝石を売ってしのいだが、それも底をついてしまった。自宅が担保になったが、手放すとバレエ教室での収入がなくなってしまう。

 周囲の理解もあり、なんとか自宅を売らずにやり過ごすことになったが、その陰で芳実さんは必死に現状を変えようと努力した。

「そのころは、美容院にも行かない、服も化粧品も買わない。家計簿をつけて、1円までチェックしていました。スポーツクラブでバレエのレッスンのアルバイトやチラシ配りもしました」

 一方、夫の魔夜さんは酒を飲み続けている。芳実さんは悩んでいた。

「子どもたちが自立するまで家計を支えなければいけないと思っていました。一緒に目標を目指して頑張ろうというなら、いくらでも頑張れるんです。私はバレエをやっているので、健康に関してはエキスパートです。ノウハウも持っている。でもそれを主人に伝えることができないんです。コミュニケーションができなくなっている感じが何年も積み重なっていました。会話ができないうえに、翌日になったら、介抱したことも、話し合いをしたことも忘れてしまうんです

 娘のマリエさんは当時の不安をこう振り返る。

「父は家族に当たるようなことはなかったですね。全部ひとりで抱え込もうとしていました。心配ですが、自分にできること、家を救うほどの力もなくて、父に頼らなければいけない。父が希望的観測を言うと、大丈夫だと思えるけど、そうかな、やっぱり不安だという自分もいました」

 マリエさんは、魔夜さんを病院に連れ出した。精密検査の結果は、γ-GTPの値が1230。とんでもない数値が出た。基準値は2ケタだ。それまでも何度か病院に行っていたが、大した異常は見つからず、魔夜さんは「ほら、大丈夫だろ」と言っていた。

 しかし、今度は言い訳ができない。医者には「どうせ治らないに決まっている」と言われた。その決めつけが、魔夜さんに火をつけた。漫画家が締め切りを守らないなら、自分は守ってやろうと決心したときと同じだ。

 だが、ここで断酒しなかったのは魔夜さんらしい。

「酒をやめるって選択肢はなかったですね。控えようとは思いましたけど。今もそれなりに飲んでますが、正常値ですよ」

復活への道

 そして、冬の時代真っただ中、うれしいニュースが舞い込む。ネットを中心に水面下で魔夜さんの過去作品が話題を集め、『パタリロ!』の舞台化が決まったのだ。

映画『パタリロ!』 6/28(金)全国順次ロードショー!(c)魔夜峰央・白泉社劇場版『パタリロ!』製作委員会2019

 小林監督は、初めて魔夜さんに会った夜をこう語る。

「ご自宅近くの喫茶店でお目にかかったんです。10分くらいしゃべったあとでワインを飲み出して。舞台の内容そっちのけで、ぐだぐだとどうでもいい話をしました。そのときからサングラスにタバコで、ジッポをパカーンと開けて、カッコいいんですよ。かたわらに綺麗な奥さんがいて、すごくチャーミングなご夫婦だと思いました」

 そこには芳実さんの助言があった。

「当時、夫は体調が悪くてヘロヘロになっているころでしたが、私と娘で、“魔夜峰央としての正装、黒いスーツを着てサングラスをつけて行ってください”ってお願いしたんです。襟を正して、敬意を示して、お願いしますって気持ちでって」

 漫画家に限らず、酒に溺れて人生を狂わせ、浮上できない人は多い。魔夜さんはなぜ奇跡の復活を遂げたのか。

「環境を打破するっていう考え方ではなく、耐え忍ぶ。とりあえず、立ち止まる。転げ落ちる前にしがみついて、上がれなくてもいいから、下がらないようにするんです。精神的にも経済的にも。それに、試練は神の思し召しですから」

 なかなか現状から抜け出せない中で、酒を飲みながら魔夜さんは「耐えていた」という。しかし芳実さん含め、家族にはそれがわからない。体調も心配だ。早く打開策を見つけたい家族と、耐え忍ぶ魔夜さんとの間には、微妙なすれ違いがあったのだろう。

 芳実さんは言う。

「気持ちは家族思いで優しいんですよ。自分の思う最大限をしてくれます。でも彼の世界観と、みんなの気持ちとすれ違ってしまうことがあるんですよね」

監督が胸を打たれた魔夜さんのひと言

 魔夜さんはひたすら耐えながら、作品を描く手を止めることはなかったと編集の岩切さんが明かす。

「漫画家さんって、休むと戻れないことも多いんです。作品が作れなくて苦しいからといって休むと、なかなか元のようには描けないこともあります。でも魔夜先生はとにかく描き続けたんです。どんなに調子が悪くても、緊急入院されたとき以外はずっと涼しい顔でやり続けました。それが今につながっているなと思います。

 そのうえ、一時は見ていられないほど具合が悪そうだったのに、治療を始めてから猛烈に復活したので、それにも驚きました。半年くらいで、会うたびにどんどん元気になっていくんですよ

 大家が家賃を待ってくれたのも、最終的に浮上できたのも、すべていつもどおりに仕事をこなしていたからだろう。家族に八つ当たりをしなかったからこそ、また心をひとつにできたのだろう。魔夜さんは「運命」というが、復活には理由があったのだ。

 芳実さんは家族の危機をこう意味づける。

「一時は、今まで自分がやってきたことは間違いだったの? と思いました。でも膿を出しきったことで、新しい習慣を取り入れることができました。そういう時期だったのでしょうね」

「冬の時代」が終わったあとも、実はもうひと波乱あった。『パタリロ!』の舞台が大成功、実写映画化の話が決まった。しかし、その撮影が終了し、編集作業を進める中、2018年4月、出演者の不祥事が発覚する。

 公開は一時中止に追い込まれ、撮影スタッフのムードは最悪だった。そんな最中、現場にふらっと姿を見せた魔夜さんのひと言に、小林監督は胸を打たれたという。

「製作ストップになったときに、陣中見舞いに来てくれたんです。そこで頭を下げる僕に先生は、“いやぁこの映画はね、面白くなるよ”って言ったんですよ。こんな壊滅的な状況のときに面白いって言えるのにビックリというか。達観っていうと簡単な言葉に聞こえますけど、これが手本だなぁ、僕もこうなりたいなぁって、あのとき思いましたね」

 取材を受ける前、芳実さんが魔夜さんに「どこまで話していいか」と相談すると「全部話していい」と言ってくれたという。信頼関係がなければ言えない言葉だ。いや、そもそも「他人に興味がない」という魔夜さんのことだ。誰のことも否定しないのだろう。魔夜さんは「愛が大事」という。それが自分の生み出す作品のテーマであるとも。そういう姿勢だったから、逆境のときに周囲が手を差しのべてくれたのだ。

 2018年、ひとつの目標だった『パタリロ!』100巻が刊行された。次は200巻刊行を目指す。それまで淡々と作業を続けるだけだ。

長年渋っていた魔夜さんも44歳でバレエを始めて家族共通の趣味に。(左から)魔夜さん、芳実さん、マリエさん 撮影/伊藤和幸

取材・文/和久井香菜子(わくい かなこ) 編集・ライター、少女マンガ評論家。大学では「少女漫画の女性像」をテーマに論文を執筆し、少女マンガが女性の生き方、考え方と深く関わることを知る。著書に『少女マンガで読み解く乙女心のツボ』など。視覚障害者によるテープ起こし事業『ブラインドライターズ』代表も務める