近年はSNSの充実で、地方からも全国的な人気を獲得するコンテンツが誕生している。これからも確実に地方からスターは生まれ、それらの命は、東京のエンタメ観では見つけられない場所で産声をあげています。そんな輝きや面白さを、いち早く北海道からお届けします。(北海道在住フリーライター/乗田綾子)

香取慎吾 今年4月の初個展でも大成功を収めた

 先日、札幌シネマフロンティアにて行われた映画『凪待ち』の完成披露上映会に参加してきました。

 実はこちらの上映会は、同作で主演を務めている香取慎吾さんの舞台挨拶つき。香取さんが北海道で客の前に立つのは、SMAPのコンサート以来、実に5年ぶりのことで、もちろん抽選を経て奇跡的にチケットが当たったひとりのSMAPファンである私も、それはもう、そわそわと前日からそのときを楽しみにしていました。

 しかし、実際に上映会が終わって数日たった今。本音を打ち明けると、舞台挨拶時の香取さんの記憶が、あまり頭に残っていません。

 誤解しないでほしいのは、その理由というのは決してネガティブではなく、むしろ幸福なものである、ということです。

 映画『凪待ち』における香取慎吾は、結果としてファンの一時の高揚に大きく勝るほど、素晴らしい表現者としてそこに存在してくれていました。

当時18歳だった彼の演技に衝撃

 話の本筋に入る前にまず、香取さんの俳優業に対する私個人の認識を少し説明したほうがいいかもしれません。そもそも私が香取さんの活動にガ然、注目するようになったのは、1995年の夏、フジテレビ系で放送されたサスペンスドラマ『沙粧妙子-最後の事件-』がきっかけでした。

 浅野温子さんの主演作として制作されたこのドラマは、女性刑事が追う連続猟奇殺人事件がストーリーの柱となっているのですが、その中で若き猟奇殺人犯を演じていたのが、当時まだ18歳だった香取さん。

 実は全11話放送された『沙粧妙子-最後の事件-』の中で、香取さんは第1話にしか登場していない、ゲスト出演者になっています。

 しかし当時、若手アイドルのひとりでしかなかった彼が見せた、狂気の演技というのは、かなり衝撃すさまじく、そのインパクトは後に1995年度の第33回ギャラクシー賞・テレビ部門において奨励賞に選ばれるほどでもありました。

 しかし、その年の秋クールで心優しい知的障害者(TBS系『未成年』)を演じた後は、所属していたSMAPの大ブレイク、そしてその中で醸成された“慎吾ちゃん”というパブリックイメージもあり、香取さんは次第にキャラものと評されるような、コミカルでわかりやすい主人公をメインに演じるようになっていきます。

 実際、それはビジネス戦略としては正しかったし、後に香取さんは期待に応える形で『慎吾ママ』や『西遊記』などの代表作も生みだしました。

 しかし18歳で名女優・浅野温子と見事にタイマンを張っていたことを知る者にとって、彼が年々キャラ俳優としてしか評価されなくなっていくことは、やはりどこか惜しい気持ちも、残り続けていました。

想像を大きく超えた香取慎吾

 そしてそのうえで、話題を最新作の映画『凪待ち』に戻します。

 あの『沙粧妙子-最後の事件-』での名演から、24年が経過しようとしていた2019年夏。SMAPの解散、そして人生の再出発を経験した後に、香取さんが出会ったのが、今回の主演映画『凪待ち』でした。

映画『凪待ち』慎吾ちゃんではなく、俳優・香取慎吾の表情に注目

『凪待ち』は『孤狼の血』や『凶悪』など、激しいバイオレンス描写で知られる白石和彌監督がメガホンを取った作品です。そして香取さんが演じた主人公・木野本郁男も、その日その日を刹那的に生きる、重度のギャンブル依存症の男。

 郁男は無精ひげが目立ち、他人と不必要に関わろうとせず、笑顔もほとんど見せません。しかも日常の再構築を望んだ矢先に愛する恋人を突然失ったことで、かつてない後悔と絶望に打ちのめされ、次第に彼は激しい暴力もためらわなくなるほど、もがき苦しんでいきます。

 その堕落的で、厭世(えんせい)的で、なのにどこか見捨てることのできない血の通った人間像は、「キャラものばかりを演じてきたあの慎吾ちゃんの新境地」ではなく、むしろ24年前にその片鱗(へんりん)を見せていた「俳優・香取慎吾の才能の正当進化」、その姿であったような気がするのです。

 かつて俳優・香取慎吾の演技に大きな夢を重ねてしまったファンとしては、彼が国民的アイドルとして必死に走り続ける日々の中で、その夢を見たいと願うことすら、もう長年すっかり諦めていました。

 しかし『凪待ち』には、あのころの私が見たかった24年後の俳優・香取慎吾が、想像を大きく越える形で確かに存在していたように思います。

 それこそ直前の舞台挨拶で確かに優しい笑みを見せていたはずのアイドル・香取慎吾が、思わずすべて吹っ飛んでしまうくらいに。

 バックボーンに東日本大震災からの月日も重ねられている、喪失と再生のヒューマンドラマ『凪待ち』。そしてそこにある名演は、ぜひ劇場の大きなスクリーンで、堪能することをおすすめします。

■映画『凪待ち』2019年6月28日(金)公開 配給/キノ・フィルム
http://nagimachi.com/


乗田綾子(のりた・あやこ)◎フリーライター。1983年生まれ。神奈川県横浜市出身、15歳から北海道に移住。筆名・小娘で、2012年にブログ『小娘のつれづれ』をスタートし、アイドルや音楽を中心に執筆。現在はフリーライターとして著書『SMAPと、とあるファンの物語』(双葉社)を出版しているほか、雑誌『月刊エンタメ』『EX大衆』『CDジャーナル』などでも執筆。Twitter/ @drifter_2181