『おてらおやつクラブ』代表 松島靖朗さん 撮影/渡邉智裕

 奈良県磯城郡田原本町に安養寺という1633年に創建された古刹がある。

 初夏のある午後、寺の本堂の御本尊の前には、たくさんのお菓子や食料品などの入った段ボールが並んでいた。

 本堂には10数人の男女が集まり、それぞれが作業に取り組む。お米をスケールで測って紙袋に詰める人、段ボールを組み立てる人、お菓子や食料品を賞味期限ごとに並べ替える担当もいる。

届けているのは“気持ち”

 これは『おてらおやつクラブ』の発送会。支援を希望するシングルマザーの家庭へ向けて、お菓子、食料品、文房具、おもちゃなどを段ボールに詰めて毎月発送するのだ。

 段ボールには、家族情報と呼ばれる紙が入っている。

「13歳男の子、11歳男の子、7歳女の子、5歳男の子 長男は部活で和太鼓をしている」「1歳男の子 アンパンマンやトーマスが好き」「8歳女の子、7歳女の子 薄紫やピンクのお菓子が好き」「10歳男の子 チョコレートが好き ミニオンズや鉄道の絵を描くのが好き」など、子どもたちの情報が簡潔に書かれていた。中には母親ひとりで6人の子どもを育てる多子家庭もある。

 これらの情報を頼りに、参加者は段ボールにお菓子や食料品などを詰め込んでいく。

「男の子の多い家庭だったら、カレーやハンバーグのレトルトなんかに、お菓子をぎゅうぎゅうに入れてあげます」と参加者の山本健三さん(70=仮名)。

「おやつ」を詰め終わると、作業を担当した参加者が送り状にメッセージを書き入れる。

「今日の一歩を笑顔で楽しくしっかりと歩んでくださいませ。明るい未来が必ずおとずれますよ」「げんきであそんでくださいよ。べんきょうはあまりしなくてよいですからつよいからだをつくってね」

送り状に、子どもが喜ぶ絵を添えたメッセージを書く参加者の姿も

 事務局のスタッフ坂下佳織さん(36)が言う。

「お届けするのは気持ち。“あなたは1人ではないよ。見守っているよ”という気持ちを届けてほしいのです」

 この日は、全国の52世帯に向けてその「気持ち」が発送されたのだった。

 安養寺の住職・松島靖朗さん(43)は娘を抱え、顔見知りの参加者と会釈を交わしたり、新たな参加者と談笑したりしながら、発送会を見守っていた。『おてらおやつクラブ』を始めて以降、代表の松島さんは日本の貧困の現実を目の当たりにしてきた。

「多子世帯で公的な支援を受けていても十分でないから支援してほしいというケースや、高校生の娘さんから“母親が病気でずっと仕事もしていません。助けてほしい”というメッセージが届いたこともあります。見えない貧困があることを、もっと知ってほしい」

 発送会には、松島さんの思いに賛同した近所の住民や大学生、また食品会社の社員が商品を持参する姿もあった。

 昨年から6回、夫婦で参加する高橋康夫さん(71)は、参加理由をこう話す。

「困っている家庭を助けたい。そして何より、頑張っている若いお坊さんを応援したいんですよ」

お供えのお菓子は、子どもの好みも反映しながら箱詰めしていく

全国1251のお寺が活動

『おてらおやつクラブ』は、お寺にお供えされるさまざまな「おそなえ」を、仏さまからの「おさがり」として頂戴し、子どもをサポートする支援団体の協力のもと、経済的に困窮している家庭に「おすそわけ」する活動のことだ。

 厚生労働省の発表(2015年『国民生活基礎調査』)によると、18歳未満の7人に1人が貧困状態にある。実に280万人の子どもが空腹にあえいでいるのだ。特にひとり親世帯が深刻で、2人に1人が貧困状態と言われている。

 一方で、お寺にはたくさんの食べ物がお供えされる。全国のお寺の「ある」と社会の「ない」をつなげることで、貧困問題の解消に寄与することを目的にした活動なのだ。

 5年前に安養寺で始まり、現在、趣旨に賛同した全国1251のお寺が活動。子どもやひとり親家庭を支援する各地域の445団体を通じて、お菓子や食品、日用品などを届けている。おやつを受け取る子どもの数は月間のべ約1万人だ。

「講演をすると、活動には、みなさん理解を示してくれるんですが、同時に“本当にそんな貧困家庭があるんですか?”とおっしゃる。子どもたちの貧困が多くの人たちには見えない。それがいちばんの問題です。子ども食堂が全国に3000か所くらいあると話をしても、なかなか周りにそんな子どもがいるという実感が湧かないんですね」

 離婚によって仕事をしながら子育てをするシングルマザー、結婚という選択肢を選ばずに子どもを育てる家庭も少なくない。3年ほど前から月に1回支援を受けている奈良市在住の野上麻衣子さん(45)は、18歳の医学部浪人生の娘と中学1年の息子と暮らすシングルマザー。法律事務所勤務だが、現在の給料では予備校の学費を払うだけで精いっぱいだと話す。

『おてらおやつクラブ』からいただいたお素麺で何日も過ごしたこともあります。離婚により、経済的に困窮する家庭にとっては希望の光です。食費が苦しくてお菓子を買えないとき、お菓子が定期的に届くことに感謝の気持ちでいっぱいです。

 娘は医学部志望なので学費がとてもかかります。だから今の仕事をしながら並行して会社を経営するべく日々奮闘しています。これから稼げるようになったら、恩返しをしたいな、と毎月いただくたびに思います」

基本的に必ずお米は入れる(3〜5キロ)

 松島さんが、実家である安養寺の住職に就いたのは、約5年前のことだ。

たくさんのお供えを頂戴し、そのおさがりで生活させていただいているありがたい環境ですが、たくさんいただく時期には私たちだけでは食べきれないことがあります。賞味期限が迫り、無理やり食べたり、お分けするために必死で相手を探していました。贅沢な悩みですよね。

 ほかのお寺でも、地域の福祉施設に届けたり、檀家さんが集まった際にお配りしたり、何かしらの工夫をしていたんですね。私も果物をジャムにしてみたりするんですけど、なかなか追いつかない」

「でも、ぜんぜん足りないのです」

 松島さんが思案していたころ、'13年5月、大阪で母子餓死事件が起きた。

《最後におなかいっぱい食べさせてあげたかった……ごめんね》と残されたメモ。大阪市のマンションの一室で母子とみられる2人の遺体が見つかったのだ。28歳の母親と3歳の男の子。室内に食べ物はなく、電気もガスも止められていた。日本中が「現代の日本で餓死なんてあるのか」と驚愕した事件だった。

「私も父親になってすぐの事件だったので、とても他人事とは思えなかったですね。悲劇を繰り返さないために自分に何ができるのか、ということを考えるきっかけにもなった。とにかく、ショックを受けているだけではなくて何かやらなければと思いました。そんなとき、妻が“お供え物をどこかに届けたらいいんじゃないかしら”と、ふと呟いたんです」

 松島さんは新聞で、子どもの貧困を支援する団体による報告会が大阪であると知り、実際に寺のお供え物を箱に詰めて参加した。

「あまり深いことは考えずに相談したんですね。代表の方にお寺の事情を話し、活動を応援したいとお伝えすると“それは大変ありがたいし大切なことです。お菓子というのはいちばん後回しにされるけど、子どもにとって、ものすごく必要なものなんです”とおっしゃってくれて。すぐに支援されている2つのご家庭を紹介してくれました」

 そこから毎月、段ボール1箱分を寺から2つの家庭に送るようになった。

「3か月くらい続けて、自分なりにできることが見つかったという感じでちょっとホッとしました。自分のお寺の課題も解決できたし、できる範囲で母子家庭を支援することもできた。これを続けていけばいいと思っていたんですね」

 松島さんは再び支援団体を訪ね、代表から「どちらのご家族も喜んでいる」と報告を受けて胸をなでおろした。しかし、続けて告げられた言葉は「でも、ぜんぜん足りないのです」だった。

「私の考えは甘かった。現実は想像以上に深刻でした。これで役目は果たした、終わりだ、と思っていた自分が恥ずかしくなりましたね」

 '14年1月、松島さんは『おてらおやつクラブ』の事務局を発足する。

おてらおやつクラブ

「もっともっと支援物資が必要だとすれば、自分のお寺だけではどうしようもない。そこで、ほかのお寺にも声をかけてみようと思い立ちました」

 松島さんは、SNSで自分がこの半年ほどの間に体験したこと、貧困家庭のことなどを発信していった。

 活動当初から、いろんなメディアから取材を受け、寺院の数、支援団体の数も少しずつ増えていった。

 しかし、理解してくれる人ばかりではなかった。

「住職の中には、“お寺でいただいたものを外に出すのはどうなのか”という方もおられたし、やはり多いのは“今の日本に貧困なんてあるのか”という声ですね。実際に助けを求めているご家族がいるということを想像できない。また、“自分の意思で離婚して生活が苦しくなるのは自己責任だろう”という人も悲しいことに多いんです」

 松島さんは落胆したが、説得する気は起きなかった。

「そこに時間を割いている暇はない。いずれ、活動が広がったときに振り返ってもらえれば、そんな気持ちでした」

子どもたちからの可愛いリクエスト

 現在、事務局のスタッフとして参加しているボランティアの僧侶は13人。関西だけでなく、全国に点在する寺院の若い僧侶たちがインターネットでつながり、業務を行う。事務局のスタッフで、愛知県春日井市の「薬師山 林昌寺」の副住職でもある野田芳樹さん(29)が言う。

「私がいるお寺でもお供え物をどうにか無駄にしないように腐心していたところ、ネットサーフィンで『おてらおやつクラブ』の活動を知って、参加しました。代表は、私にとって灯台みたいな人。何か行動するときに迷ったら“松島さんならどうするだろう?”と考えます」

『おてらおやつクラブ』は、お寺にお供えされた食べ物を、子ども食堂や支援団体へ「おすそ分け」するのが役割。社会福祉協議会、児童養護施設、DV被害者のシェルターなどもその対象だ。

 母子家庭の支援団体『しんぐるまざあず・ふぉーらむ』の村山純子さん(60)は'14年以降、複数のお寺からおやつを受け取るようになった。

「『おてらおやつクラブ』からのお菓子は普段食べることがない贈答品が多いので、子どもだけでなく、大人にもホッとする時間を提供しているようです」

 最近、活動を知った母親から直接SOSのメールが届くことも増えている。

 冒頭で紹介した発送会も、個人の家庭に向けたものだ。

 どこの団体ともつながっていない家庭に事務局が直接支援を行うケースは約200世帯。松島さんは、あくまで「一時的な対応」と強調する。

「不確実な時代だからお坊さんにできる役割がある。救うための手段に気づけた」と松島さん

「最終的には、孤立しないようにどこかの支援団体につなげるのが私たちの役目。中には公的支援が必要なのに“役場で子どもの同級生の親に会いたくない”という方もいました。インターネットから気軽にアクセスできれば、顔の見えない関係で相談できるのと、“お寺さんだったらなんとかしてくれるんじゃないか”というイメージもあって、問い合わせが増えていると思います

 松島さんのもとには、数多くの手紙が届く。中にはこんな可愛いリクエストもある。

「おぼうさん、わがし(和菓子)はもういいので、ぽてとちっぷをおくってください」

 数年間「おやつ」を送っている家庭の男の子からの手紙が心を打ったと松島さん。

「これって、子どもの本心だし、成長ですよね。ようやく子どもらしい姿を見せてくれたような気がして、うれしかったですね」

 事務局の坂下さんも言う。

「支援している家庭とのメールのやりとりで、最初は暗い文面だったのが、回数を重ねるうちに前向きになっていくのを感じることがあります。“今度資格試験を受けるんですよ”なんて報告をいただいたりするとうれしいですね」

「仕事が決まりました」とお供え物を持ってお礼参りに来る母親や、「受験に受かった」と報告に来る子もいる。ものをもらう習慣のない子どもが多く、「サンタクロースより、お坊さんが好き」という声も届いている。

お坊さんになりたくない、2週間で退学

 松島さんの母親の実家は、安養寺だった。両親の離婚をきっかけに、松島さんが小学校に入学するタイミングで寺に戻ってきた。

「私も母子家庭で育ったんです。両親もいろいろあったんでしょうね。そこから寺での生活が始まりました」

 当時の住職は祖父だった。

「お勤めもおじいちゃんと一緒に、衣着せられてやってました。鐘や太鼓を叩いたり、むにゃむにゃ言ってみたりね。よく意味もわからず楽しく過ごしてました。檀家さんも“偉いね”と言って僕にもお布施をくれたりしました」

 ところがしばらくすると、松島少年は周囲が自分に過剰な期待を寄せていることに気づき始めた。

幼少時代、右が当時の住職だった祖父

─将来、お坊さんになるんだよ。

「祖父や母、学校の先生までがそう言う。100人が100人そういう話しかしない。逆にお坊さんって何をする人なの? なんて聞いても誰もちゃんと答えてくれない。それでも、お坊さんになれと言う。その理不尽さがすごい嫌でした。だんだん、お勤めもお参りも行かなくなった」

 小学、中学と奈良の公立の学校で過ごし、高校は浄土宗の上宮高校に入学。

「あまり深く考えずに、流されて進学してしまった。入学してみたら、お坊さんになることを期待された人ばかりで“このままじゃ本当にお坊さんになってしまう”と思って2週間で退学しました。この時点で“もう、どうでもええわ”と人生投げ出したような感じだった。でも、自分で自分の生き方を選んでいこうと気持ちを切り替えたんです」

 高校を退学して半年後、昼間は塾で特別に授業を受け、夕方からは1歳年下の中学生と一緒に塾の授業を受ける生活を送った。深夜まで起きている松島さんが熱中したのが深夜番組の「お笑い」だった。

「当時、ダウンタウンや笑福亭鶴瓶さんの番組をよく見てました。あのとき落ち込んだ自分を『お笑い』が救ってくれました」

 翌年、普通高校に進学。お笑いが好きだった友人と漫才に明け暮れた時期もある。

「学校批判とか教師を皮肉ったり、社会のおかしなことをコントにして、文化祭で発表していました。自分以上にしんどい思いをしている人が笑えるようになればいいな、なんて思っていました」

 高校卒業後は浪人生活。あるとき、東京に行けば「奈良から離れられる」と思い、猛烈に勉強するようになった。

インターネットで仕事がしたい

 そのかいあって、早稲田大学商学部に見事合格。上京した1996年といえば、インターネットが急速に浸透し始めたころだ。

「ビットバレーとかネットベンチャーが立ち上がってきた時期で、僕もインターネットに熱中しました。奈良には戻らないつもりだったので、余計に自分で何かしないといけないと思った。勉強はそこそこにインターネットの会社でアルバイトをしました。時間があるうちにいろんな経験を積んでおきたかったんです

 就活は、ネットベンチャーから商社まで片っぱしから受けた。多くの内定をもらい選んだ企業はNTTデータ。

「ネットコミュニティーを作ったり、ネットベンチャーの会社と新しい事業を生み出していきました。ベンチャー企業に出資して、事業が大きくなったらシステムをNTTデータで作る、投資事業ですね」

 事業に取り組むうちに、美容系総合ポータルサイト『@cosme』で知られる株式会社アイスタイルと関わることに。そのユニークな事業に惚れ込み、転職した。

アイスタイルで働いていた会社員時代の松島さん

 松島さんは、WEB広告サービスの企画開発を担当後、サイト全体のサービスをプロデュースする仕事を担った。経営にも携わり、やりがいを感じていた。

 当時、松島さんの部下だった小川友恵さん(37)が話す。

「松島さんは、部下が大声で文句を言っても、そのテンションに合わせてやりあってくれる。すごいと思ったのは、偉い人のご機嫌をとるのではなく、お客さまにとって最善の方法を選ぶところでした」

 小川さんには、こんな思い出がある。松島さんと開発を一緒に担当していたころ、新サービス発表前夜になっても資料が完成せず、2人は大声で文句を言い合いながら資料を作成した。

 明け方、ようやく資料が完成し、印刷にとりかかったのだが、何と用紙切れ。「備品管理がなっていない!」と腹を立てた松島さんは、当時会社の近所に住んでいた社長に早朝電話をかけ、用紙を持ってこさせたという。「最後の最後まで妥協をせず、納得できるまでやり抜く人」と小川さんは笑う。

 松島さんは、お寺という特殊な環境が嫌で、普通の人生を生きたいと願い上京した。東京では、誰も自分がお寺の跡取りだなんて知らない。自分は何に興味があって、何をやろうとしているのかをしっかり見てくれる。その環境が心地よかった。

 しかし社会人になって8年が過ぎたころ、別の思いも湧き上がってきた。

「仕事で出会う人には、いろんな人がいました。特に起業するような人はどこか人と違う考え方をしていた。ユニークで独特の感性を持っていることに気づいたのです」

 どうしたら自分は人と違う生き方をできるのだろうか。

覚悟してお寺に戻る

「ユニークに生きるために何があるかなと思ったときに、ふと自分には生まれた境遇の中に“お寺、お坊さん”という選択肢があったことを思い出した。別に信仰に目覚めたとかじゃなくて、あくまで生き方の興味として、人とは違う生き方としてその道もありだと思えてきたのです」

 また、仕事に限界が見えてきたこともあった。ビジネスモデルを考えだして、それを事業にするためにお金を集めてと、だんだんパターン化してくるのを感じていた。

 '08年、松島さんは満を持してアイスタイルを退職する。

 小川さんが送別会の日をこう振り返る。

「オフィスで松島さんの断髪式をしたんです。たくさんのメンバーが入れ替わり立ち替わりバリカンを入れました。丸刈りになった松島さんの表情は、いつもの松島さんのままのようでもあり、覚悟を決めた別の一面をのぞかせたようにも感じました。“これで後戻りできないなぁ”と呟いたのが印象的でした」

アイスタイルで働いていた会社員時代の松島さん。最終出社日にはオフィスで断髪式を行った

 33歳で関西に戻り、京都の知恩院で2年半、修行。38歳のときに安養寺の住職として戻ってきた。

「待ってたで。よう帰って来たなぁ」

 松島さんを待っていたのは、檀家のおじいちゃんおばあちゃんたちのやさしい応援の声だった。

「そのとき、私はようやく自分はこの人たちに育てられたんだ、おぶっぱん(お仏飯。仏様にお供えする食事)に育てられたんだ、ということに気づいたんです」

支援はまだ1%にも満たない

 松島さんは、現在、妻と小学1年生の長男、4歳になる双子の娘たち、そして母親と暮らしている。

「妻と出会ったのは、アイスタイル時代。彼女が新入社員のとき、トレーナーを担当したことがありました。僧侶になる修行が終わらないと、その先の覚悟が決められないので、お坊さんになってから結婚しました。8歳下の彼女に、僕も家族も支えられています」

小学1年の長男と。「お坊さんになんねんで」と、つい口にしてしまうと言うが、息子も回り道をするかも?

 子どもたちも時折、発送会の手伝いをしてくれるという。

 IT業界とお寺では世界があまりにも違うように思えるが、「共通点はある」と松島さん。

「インターネットって、モノと情報をつなげたり、人と人をつなげたり、課題を解決したり、付加価値を見いだしたりというのが仕組みの原点ですよね。一方のお寺も、実は同じように苦しみから救ってくれる仏様と、生活の中で苦しみを感じている人々をつなげる、ある意味、何かをつなげて課題を解決する、新しい可能性を見いだしていく場所。だから、僕自身、何も変わっていないと思える。お経を読んだりする、そういう行為はぜんぜん違うけど、すごく一緒だなと思うんですよ」

『おてらおやつクラブ』は、'18年度の「グッドデザイン大賞」を受賞。活動の意義に加え「既存の組織、人、もの、習慣をつなぎ直すだけで機能する仕組みの美しさ」が評価されたのだ。受賞によって思わぬ影響もあった。

「東京でITに従事していた時期、住職になってからと、出会った時期によって僕の印象が違う。いまだに、“ホントにお坊さんなの?”と信じてくれない東京の元同僚もいます。でも大賞を受賞したことで、それぞれが知っている僕をつなげて想像してもらういい機会になりました」

 ネット業界での経験、そして僧侶だからできること─2つのキャリアが実を結び、活動は着々と成果を挙げているように見えるが、「そうじゃない」と松島さんは言う。

「“すごく増えましたね”と言われるんですが、ぜんぜん足りてない。1200のお寺が参加する活動ということで“完成している”と思われるけれど、全国には7万7000もお寺がある。280万人の貧困に苦しむ子どもたちの中の1%にも満たない支援にすぎないんです。それをどうやって伝えていこうか。まだまだこれからなんですよ」

 今後は、フードバンク事業も視野に入れているという。

「フードバンクは、フードロスを削減するのが目的。『おてらおやつクラブ』の場合は、仏様やご先祖様への思いを込めたお供えという違いがあります。でも、まだまだ足りない状況からすると、今後はフードバンク事業を始める可能性もありますね」

 高校中退、お笑い、インターネット、そしてようやく辿り着いた仏教の道─。

「回り道にはめちゃめちゃ意味がありました。仏教の高校を卒業してお坊さんになってたら、この活動は絶対してなかったですね」

 最近、6歳の息子に「お坊さんになんねんで」と言ってしまう自分がいると松島さんは笑う。

「自分でも矛盾してるなと思うんだけど(笑)。彼も“なんでならなあかんねん”と思っているでしょうね。ただ、僕はお坊さんというのはどういう存在か、ということをこの活動を通して示しているつもり。

 息子じゃなくても、今、支援している子どもたちの中からお坊さんになりたいという子がいたら、それほどうれしいことはない。そのために種まきをしている─、活動はそんな思いの表れでもあるんですよ」

発送会の前のお勤め。参加者も仏様に手を合わせる

取材・文/小泉カツミ(こいずみかつみ)◎ノンフィクションライター。医療、芸能、心理学、林業、スマートコミュニティーなど幅広い分野を手がける。文化人、著名人のインタビューも多数。著書に『産めない母と産みの母~代理母出産という選択』など。近著に『崑ちゃん』がある