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「夫婦なら助け合うのは当然」という風潮はいまだ根強い。だが、「妻は夫の身の回りの世話、病院の付き添い、病気の看病をするのが当たり前」と考える男性は危険である。なぜなら、“夫婦だから”という理由だけで夫の介護を押しつけられるならば、「夫婦をやめたい」と離婚に踏み切る妻が実在するからだ。

シモの世話に疲弊する妻

「夫が寝たきりになる前に別れたいんです」

 そう訴えるのは白洲美代子さん(58=仮名)。仕事中に倒れた夫(59)は一命を取りとめたものの、多発性脳梗塞の後遺症により両手足にまひが残った。車イスでの移動、食事や身の回りのことは介助が必要で「要介護3」と認定された。

 倒れても元来わがままな夫の性格は変わらず、リハビリの放棄、ケアマネージャーへの暴言、パチンコ通いなどの問題行動を繰り返した。美代子さんがいちばん腹に据えかねたのがシモの世話だ。

 朝、風呂に入れようとすれば「風呂なんて入らなくても死なねぇよ!」と駄々をこねる。夫を説得し、入浴を促すまでに毎日、小1時間を要した。しかも、夫は毎晩のように粗相し、その異臭で入浴の介助にはかなりの苦痛をともなった。

 美代子さんは紙オムツを用意したが、夫は「馬鹿にするんじゃねえ!」と激怒するばかりで、それを使うことはなかった。結局、美代子さんは夫の尿が染みついた布団を背負い、週1~2回は大型コインランドリーに通うはめになった。

「もう、あなたの世話は限界。離婚してください」

 美代子さんはある日、ついに堪忍袋の緒を切らせた。だが、夫のほうも、

「夫婦はお互いに助け合う義務があるのにどういうことだ! 面倒みないなら夫婦である必要があるのか?」

 と、応酬。そのうえ、

「(手足のまひで)セックスできないのだから、おまえと結婚していたって意味がないだろう!」

 などと連呼し最終的には、

「紙切れ1枚で俺を縛りつけるな」

 と、捨てゼリフを吐いた。美代子さんは、それから半年をかけて離婚届を提出した。

老後資金と終の棲家を得るも……

 まず夫自身を、夫の両親に預けた。両親は当初“後遺症が回復するまで一時的に預かるだけ”と軽くみて、あっさり快諾。夫がリハビリをサボることで社会復帰できる見通しが立たない、という事実は隠し通した。

 美代子さん夫婦には28歳の娘がおり、すでに結婚して家庭を持っている。離婚後、美代子さんが娘に迷惑をかけずに自立して暮らしていくには、どのようにお金を工面すればいいだろうか?

 まず夫婦の持ち家は築20年で住宅ローンの残りは1000万円。住宅ローンを組む場合、団体信用生命保険(途中で債務者が亡くなった場合、住宅ローン残額と同額の保険金が支給され、優先的に住宅ローンに充当される保険)の加入は必須だが、今回の場合、三大疾病保障特約を付与していた。

 これは死亡だけでなく三大疾病を発症した場合も保障されるため、美代子さんは住宅ローンがなくなった持ち家に、無償で住み続けることができた。

 また、夫は高度障害保険に加入していた。これはがん、脳梗塞、心筋梗塞などの三大疾病を発症した場合に支給されるもので、今回の場合は一時金で1200万円が支払われる。病気の後遺症で本人(契約者)が保険請求の手続きを行うことが難しい場合は「指定請求代理人」が代わりに行うことが可能だったので、美代子さんが申請。美代子さんが管理する夫名義の口座へ保険金を入金させて、自分の口座へ移し替えたという。

 また夫は後遺症により65歳の定年を待たずに退職することになったが、その退職金(800万円)の支給手続きのため自力で会社へ行くのも難しく、美代子さんに任せるしかなかった。これも同じ方法で1度は退職金を夫の口座に振り込ませ、そこから自分の口座へ移し替えた。

 今回の場合、夫は59歳と若く、このまま結婚生活を続けた場合、20~30年もの長きにわたる介護を強いられる。そのため、今回の美代子さんの決断は責められないだろう。

 2000万円の老後資金と、持ち家という終の棲家を手に入れることができた美代子さん。だが介護の苦労と罵倒の日々を振り返ると、「あのとき、いっそのこと死んでくれたほうがよかったのに……」という思いがあふれてしまうという。


執筆/露木幸彦 離婚サポーター、行政書士、ファイナンシャルプランナー。1980年生まれ。離婚に特化した行政書士事務所を開業。著書に『イマドキの不倫事情と離婚』『男の離婚ケイカク クソ嫁からは逃げたもん勝ち なる早で!!!!!』など多数