自身が経営、母・文子さんが働く東京・世田谷のバー『YABEKE』にて

 親の離婚で子どもの環境は激変する。はたして、子どもはどんな気持ちでそれに向き合っているのか。

 子どもの側の視点で語ってくれたのは女優でタレントの矢部みほだ。テレビ番組『アウト×デラックス』では共演もしている母親の文子さんは4回の離婚を経験している。しかも、2人の男性と2度ずつ結婚と離婚を繰り返しており、矢部は「子ども心に、もういい加減にしてよ〜と思いましたね」と苦笑する。

“浮気父”と“暴力父”

 矢部の実の父親は地方競馬の騎手だった。北海道の競馬場で長女の矢部、2人の妹と弟の6人で暮らしていたが、矢部が小学校低学年のころ、両親は最初の離婚をした。

「夫婦仲は悪くなかったんですよ。ただ、父がケガをして馬に乗れなくなって。保険会社に勤めたけど、家にお金を入れずに、外で浮気をしていた。

 ある日突然、どっちについて行くのか決めなさいって言われて。“嫌だ、嫌だ”と、すごく泣きましたね。ただ、その後、『びっくりドンキー』でハンバーグを食べさせてもらってすぐご機嫌になったので、幼かったし、言うほどわかってなかった(笑)。

 パパっ子だった次女だけが父について行ったけど、借金取りがしょっちゅう来たり、そちらのほうがすさまじい体験をしたみたいですよ。一時期、父がラブホテルで住み込みの仕事をしていたので、妹もラブホから小学校に通っていたと聞いて、ビックリしましたもん

 2〜3年後、「子どもたちのために」と両親はヨリを戻したが、父の生活態度はまったく変わらない。まもなく再び離婚した。

 母の文子さんはスナックを経営して生活を支えたが、矢部が中学1年のとき、客のひとりだった建築業の男性と恋に落ち3回目の結婚をする。

 ところが、2人目の父はひどいやきもち焼きで独占欲が強い。ささいな理由で妻を殴るなど、とても暴力的な人だった─。

「私は新しいお父さんになじもうとして頑張ったけど、蹴られたことがあります。痛くてめっちゃ泣きましたよ。私は平気でしたが蹴った父親のほうは足の骨が折れて、バチが当たったんだと思いました。お母さんが私たちをかわいがることも許さないので、母とのコミュニケーションが圧倒的に不足して、すごく寂しかったですね」

 実はそのころ、矢部は中学校で激しいイジメを受けていた。矢部自身はその理由を「性格が暗くて人見知りだったから」と説明する。だが、継父の暴力から逃げて母子で家出をしたり、実父のもとに半年間、身を寄せて学校をかわったりした。そのため、勉強が追いつかず、なかなか学校に居場所を見つけられなかったことが背景にあったのは想像に難くない。

 継父と母は、矢部が中3のときに1度別れたが、その後、再び入籍する。

矢部みほ

「祖母も母の姉も、みんな反対した。でも、お互い好き同士だから、またくっついちゃうんですよ。女って、バカだからね~。私もいろいろな経験をして30歳過ぎてからは、母の“女としての気持ち”が理解できるようになりました。でも、私ならもっと早く見放したかな。うちの母は優しすぎるんですよね」

もう「結婚はしなくていいや」

 矢部は中学を卒業すると上京。オーディションを受けまくり、16歳で雑誌のグランプリを受賞して、芸能界入りを果たした。妹たちも姉を頼って次々と上京。最後に、ついに4度目の離婚をした母の文子さんもやって来て、みんなで一緒に住むようになった。

 東京に来てからは、矢部が一家の大黒柱だ。

「子どものころの話をすると、“大変な苦労しましたね”って言われるけど、ひどい環境だったから精神的にも強くなったし、イジメられたから見返してやろうと芸能界を目指したんです。キツイ思い出のある北海道には絶対に戻りたくないと頑張ったから今の私があるんですよ。だから、まぁ、いっかー(笑)」

 と、明るい口調で話す。いま楽しく満たされているから、昔のことも笑って振り返ることができるという。

 妹たちが結婚し、いまは母の文子さんと2人暮らしだ。矢部には過去に、8年付き合った男性がいたが、結局、結婚はしなかった。

「彼はまじめだし、浮気もしないし、経済力もあった。私の家族とも一緒に、5年くらい同居してくれたのに……。

 私のワガママなんです。結婚したら絶対に離婚はしたくないし、母のようにはなりたくない。でも、私は母に似ている部分もある。この人のことを私はずっと愛し続けられるかな、とか、いろいろ考えちゃう。それでもう“結婚はしなくてもいいや”って

 親の離婚をどう受け止めるかは、その人次第とはいえ、子どもの人生に与える影響は計り知れない。


矢部みほ 女優、タレント。1977年生まれ、北海道恵庭市出身。妹は元タレントの矢部(現在は河合)美佳、矢部美希。実父は地方競馬騎手であった矢部和夫。愛称は「ヤベッチ」。2010年にバー『YABEKE』をオープン。経営者としても活躍中