小学校時代のいぶきさん。物静かで成績は優秀だった

 東京・荒川区の和菓子店『菓匠 木津屋』の店主、木津英喜さん(43)の足取りが途絶える直前、2019年7月6日土曜日午後4時ごろに木津さんに会ったという人物がいる。

 70代後半の知人男性は、

「暗い表情をしていて、いつもは目を合わせてしゃべるんだけど、あの日は合わせないのよ。それでオレは、体調を気にして“病院に行ったら”って言ったけど、何も答えなかった」

 いつもと違う様子の木津さんが気になったという。

肉体関係を迫った可能性もある

 その後、木津さんは、午後4時半ごろ→妻に連絡。「仕事が終わった」午後6時半過ぎ→自宅に電話。「手首を切って死ぬ。川に沈んで死ぬ」午後7時ごろ→再び自宅に電話。「娘を店で切った。死にたい」と3度、家族に連絡をした。

「2度目の電話の際、木津さんの息子が“お父さんが自殺しようとしている。お母さんが電話で止めている”と110番通報。捜査員が和菓子店を捜索したところ、7日午前0時50分ごろ、業務用冷蔵庫内で女性の遺体を発見した。店内には、木津さんが書いたとみられるメモも残されていた。そこには《2人で死のうと思う》などと無理心中をほのめかすことが書かれていたそうです」(民放報道局員)

 幅約140センチ、奥行き約73センチ、高さ約85センチの冷蔵庫に体育座りで押し込められていた遺体は、木津さんの娘のいぶきさん(18)だった。6日朝、アルバイト先に向かったが無断欠勤していた。

家宅捜索の押収物を運ぶ捜査員(8日)

 3度目の電話以降、行方がわからなかった木津さんのバイクは7日午前2時ごろ、都内の自宅から30キロほど離れたさいたま市内で発見された。

「午前4時45分ごろ、河川敷の木で首をつって死亡している木津さんが見つかりました」(前出・民放報道局員)

 いぶきさんの首には圧迫痕があり、首を素手で圧迫されて死亡したとみられる。父と娘の間にどんなトラブルがあったのか。

 全国紙社会部記者は、

「事件当日、父親はどうやら娘に肉体関係を迫った可能性もあるとみて、警察は慎重に捜査を進めています。それ以前に、娘に対し性的虐待があったかはわかっていません」

 父と娘の過剰なスキンシップに前出・知人男性は違和感を抱いたことがあったという。

「よく手をつないで散歩してたよ。事件の3日ぐらい前もそうだった。あのくらいの年齢の娘と堂々と人前で手をつなぐなんて、“そんなのよくできるな。恥ずかしくないのか”って言ったんだけど、一向に気にとめていなかったね。娘さんもうれしそうな顔をしているから、不思議だった」

 いぶきさんの容貌は、

「かわいい子だったよ。昔の吉永小百合に似ているかな。奥さんも相当な美人です」(前出・知人男性)

店には2人を弔う花が手向けられていた

 よく菓子店に買い物に行っていたという70代の女性は、

「お父さんは実直そうで優しそうな職人さんという雰囲気。けっこう細くて色白で」

 と木津さんの風貌を説明。

 前出・知人男性は、

「一見まじめそうで、外面はいいんだ。口は達者。客商売としてはそれでいいんだけど」

 と口のうまさを強調する。

浮気相手はいとこ

 さらに、女グセの悪さをつけ加える。

「あいつから聞いた話では、2度目の結婚だったみたい。最初のときも子どもがいて、上の女の子は今回亡くなったいぶきちゃんと同い年で。

 離婚原因はやつの浮気。浮気相手が、やつのいとこだってよ。親族会議になって、それでもやつは別れたくなくて家庭裁判所で争ったけど、結局は負けた。子どもの親権も奥さんにとられたみたい」

 和菓子店近くに住む主婦は、

「木津さん一家は、2005年ごろに一緒になられたんです。子どもさん2人は、奥さんの連れ子でした」

 と説明する。荒川区で店を構える前、近隣区の和菓子店で木津さんは働いていた。

 同店の経営者が回想する。

「10代から10年近く修業していました。お父さまに連れられて来たんですが、お父さまの実家も北陸地方で和菓子店をやっておられて、そのお父さまも一時期、埼玉で和菓子店をやっていたようです。

 木津さんは2階で住み込みで働いていました。おとなしくて、まじめで、腕はよかったですよ。酒もほとんど飲まなかったし、ギャンブルなどで散財するような人でもなかった。辞めたあと、1度だけ連絡をもらいました。“出会い系サイトで知り合った女性と結婚した”って

 そこの出入り納入業者が、荒川区の和菓子店主が高齢のため店を閉じるから居抜きで独立したらどうだ、と紹介し、急きょ「菓匠 木津屋」の看板を上げることになった。

現場となった店舗。木津さんの作る羊羹は近所でも評判だった

 新交通システム「日暮里・舎人ライナー」の赤土小学校前駅から徒歩5分。築50年超えの木造2階建ての1階が、木津さんが構えた城だった。

「お赤飯や水ようかん、贈答用のお菓子なんかをよく買っていました。数年前までは繁盛していたと思います。

 ところが、ここ3~4年、旦那さんは午後6時で店を閉めて、ピザ店で配達のアルバイトをするようになったんです。どうやら娘さんのアルバイト先も、そのピザ店だったみたいです」(前出・主婦)

 20代半ばの若さで転機が訪れ一国一城の主になったが、ここ数年はアルバイトをしながら維持するという内情。借金返済に追われていた、と前出・知人男性は証言する。

「事件の数日前も来ていたけど、借金取りがしょっちゅう来ていた。借金は最初は3000万円くらいあって、月々20万円ずつ返済していた。“まだ2000万円残っている”と本人が話していた。金のことで、奥さんとは相当もめていたって聞いているね。借金の取り立てにやって来た人間と、店先でよく言い争っているのを見ました」

小学生時代にあった顔のアザ

 そんな経済状態だったが、木津さんはいぶきさんを埼玉県にある私立の中高一貫校(偏差値約67)のミッションスクールに通わせ、今春から県立大学の看護・福祉系学部に進学させた。弟も私立の難関校に在学している。

 いぶきさんの小学校の同級生の母親が、子ども時代のいぶきさんを記憶していた。

「いぶちゃん、って呼ばれていました。学校にはあまり来なかったけど塾にはちゃんと来ていました。お母さんが教育ママという感じ。頭がよくて、学校で教科書を捨てちゃったことがあって、先生に“いらないかと思って……”と言い訳していたそうです。

 バレエをやっていて、ほっそりして物静かな子でした。小学校低学年のころ、左頬にアザを作って登校したことがありました。“どうしたの?”って聞いたら“ぶつけた”って。しばらくしたら、また顔にアザを作ってきて、今度は“わからない”って。だから誰かをかばっているのかなって思っていました。お父さんかお母さんか……

 娘の再婚相手に、孫娘を殺されてしまったいぶきさんの祖父は、週刊女性の電話取材に、

「ごめんなさい、お話できることはありません……」

 と弱々しく声を絞り出す。

 人前で恥ずかしげもなく手をつなぐ43歳の父と18歳の娘……。父が残した「2人で死のうと思う」という走り書きの真意は? 当事者が命を絶ってしまった今、残された手がかりから警察は謎の解明に迫るしかない。