ジャニー喜多川さん

 ジャニー社長の死去は、業界関係者や元ジャニーズJr.にまで波紋が広がっている──。今回は、元Jr.にも社長の秘話について緊急インタビューを実施。さらに、帝国を築いたカリスマが生前、莫大な資産の一部を“とある人”に贈与していたことがわかって……。

元ジャニーズJr.が語る“ジャニーさん”

「ジャニーさんの自宅にも、何度か遊びに行ったことがありますが、Jr.のために必ず最新のゲーム機を用意してくれているんです。お腹がすいたら、近くの中華料理店やファミリーレストランからデリバリーもしてくれました。

 たまに“ユー、明日の洋服ないでしょ。買っておいで”と、お小遣いをくれてみんなで洋服を買いに行ったりもしました。ジャニーさんのJr.に対する愛情はとても深かったですね」

 そう語るのは’14年に退所した元ジャニーズJr.の田中斗希。コミュニケーションをとるときは、いつもJr.の目線で接してくれたという。

ジャニーさんとの思い出を披露してくれた元ジャニーズJr.の田中斗希

「基本的に僕らは学校での出来事や、ほかのJr.と遊びに行った話をしていましたが、ジャニーさんも仕事の話などはせずに、僕たちの話をよく聞いてくれていました。そんな雰囲気なので“ねーねー、ジャニーさん”のように、甘えさせてくれる存在でしたね。たまにジョークも言うし、僕たちの話を聞いて爆笑したりもしてくれました。

 ジャニーさんはお菓子が大好きで、特に『ハッピーターン』がお気に入りでした。いつも現場に持ってきて、Jr.のみんなにも配っていましたよ。でも、ある日、僕が稽古場にクッキー菓子の『ルマンド』を持っていったときに、ジャニーさんにもあげようとしたら“こういうのはいらないよ”と拒否されたことがありました(笑)」(田中)

 ジャニーさんは愛する子どもたちのため、ときにはこんなことも。

「とある舞台の開催中、劇場の楽屋でJr.たちが“飲み物を買うために、毎日外に行くのは大変だから自動販売機が欲しい”と言ったことがありました。するとジャニーさんは、翌日に楽屋の前に自動販売機を手配してくれたんです。“ユーたちの頼みなんてかわいいものだよ”とおっしゃっていたそうですよ」(ジャニーズ事務所関係者)

芸能プロが語る“ジャニーさん伝説

 別の芸能プロ関係者は、次のような“ジャニーさん伝説”を教えてくれた。

「『阪神・淡路大震災』へのチャリティー活動を目的としたグループ『J−FRIENDS』の楽曲を“誰に作ってもらったらいいか”と、ジャニーさんがJr.たちに相談したことがあったそうです。“世界的に有名な人がいいんじゃないですか”と言われたジャニーさんは、おもむろに誰かに電話。誰かと思ったら、その相手がマイケル・ジャクソンだったんです(笑)。流暢な英語で話していて、電話を切ると“マイケルからOK出たよ”と言って、本当に彼が作詞作曲した『People Of The World』が完成したと聞きました」

マイケル・ジャクソン

 そんな逸話の一方で、関ジャニ∞の横山裕とはこんな笑える話も……。

「横山クンの芸名を決める際、ジャニーさんが最初に提案したのは『ヘンリー横山』でしたが、本人は納得せず……。別の日に一緒に焼き肉を食べに行ったところ目の前に上カルビがあるのを見たジャニーさんは“そうだ! 上カルビだから『横山ジョー』でいいじゃない。響きもいいし”と提案したそう。それでも横山クンが拒むと“じゃあ、もうユーの好きにしなよ。『ユー』でいいじゃない”ということで『横山裕』になったんですよ(笑)」(テレビ局関係者)

 所属タレントたちと仲睦まじく接していたジャニーさんだが、ときには“厳しい顔”を見せることも。

「モチベーションを上げようとしていたのか、目をかけているタレントにはあえて1度、挫折を味わわせるようなことをしていましたね。例えば人気のあった『KinKi Kids』よりも『V6』、タッキーと今井翼よりも『嵐』を先にデビューさせたり。

 さらに、プロの厳しさを教えるために、コンサート本番当日に“親族が危篤だから休ませてほしい”と言ってくるタレントがいた場合、“アイドルの仕事をしていたら、親の死に目には会えないんだよ。ファンが待っているから、仕事に行きなさい”と伝えていたんです」(前出・ジャニーズ事務所関係者)

 自身のモットーである「ショー・マスト・ゴー・オン(ショーは続けなければならない)」の思いを伝えていたジャニーさんだが、実は複雑な思いも抱えていたそう。

「“どんなことがあっても仕事に行きなさい”と言うことに関して、周囲には“僕の考えは間違っているかな。これはずっと悩んでる。死ぬまで答えは出ないだろうな”と、漏らしていました」(同・ジャニーズ事務所関係者)

ジャニーさんの“審美眼”

 みなが口をそろえてすごかったと話すのは、ジャニーさんが持っていた“審美眼”について。前出の田中も、ジャニーさんの“人を見る目”を感じたことがあった。

「僕自身、入所オーディションを受けたときは丸刈りで“すきっ歯”だったので、なんで合格したんだろうと思いましたね(笑)。ほかにも、入所した当初は普通の男の子なのに、成長するにつれて顔つきが変わったり、オーラが出てくる子がいたので、ジャニーさんは成長したときの顔がある程度わかるのだと思います

 ジャニーズ事務所に入所する場面だけではなく、現場でもジャニーさんの“眼力”は光っていたそう。

「『Kis‐My‐Ft2』が’13年にリリースした『キミとのキセキ』という曲のミュージックビデオにバックダンサーとして出演させてもらったことがあるのですが、撮影当日の僕は、変に調子がよかったんです。ダンスもうまく踊れていた気がしたら、ジャニーさんが見ていてくれて、最初は後方だったのが前方のポジションに入れ替えてくれたんです。おそらく、その日のひとりひとりの調子を見ながら、演出や構成、配置などを考えていたんだと思いますね」(田中)

今年5月に東京ドームで開催された『Kis-My-Ft2』のライブで

 数々のスターを世に送り出したジャニーさんは生前、1000億円以上ともいわれる資産を持っていたとも報じられている。しかし、配偶者も子どももいなかったジャニーさん。その莫大な遺産の“行き先”に注目が集まっているのだが──。

「ジャニーさんはいくつかマンションを所有していたのですが、東京・麻布十番のヴィンテージマンションを今年4月、姉であるメリー喜多川さんの孫娘に生前贈与していたんです。そのマンションは142平方メートル以上あり、かつてはジャニーズタレントたちの合宿所でもありました。築50年になる物件ではあるものの港区の一等地であることと、そうとう広い部屋のため、今でも1億円ほどの価値があるんです」(芸能プロ幹部)

 ジャニーズタレントたちを“本当の子ども”のように可愛がっていたジャニーさんも、将来を見据えていたのだ。

「メリーさんの孫娘は現在14歳ですが、将来的にはジュリー新社長の跡継ぎになるといわれています。ジャニーさんは数少ない血縁者に、しっかりと財産を贈与していたということ。晩年は体調がすぐれないこともあったので、ジャニーさんなりの“終活”をしていたのかもしれません」(同・芸能プロ幹部)

 天国に旅立つ直前まで、ジャニーさんは“カリスマ”ぶりを見せてくれていた──。