赤松利市さん 撮影/矢島泰輔

 昨年、“62歳、住所不定、無職”の新人作家として鮮烈なデビューを果たした赤松利市さん。今年4月の刊行以来、問題作として話題を呼んでいるのが書き下ろし長編の『ボダ子』だ。

 主人公は、バブル崩壊で事業が破綻した会社経営者の浩平。彼は境界性人格障害(ボーダー)の娘とともに東日本大震災後の東北に移住し、土木作業に従事する。色と欲にまみれながらも復興ビジネスに商機を見いだし、娘の状態も快方に向かっているかのように思えたのだが─。

 本作は、赤松さんの人生が反映された私小説でもある。

“もう1か所だけ、アナルを”

「私は昨年、原発事故後の福島を舞台にした『藻屑蟹』という小説で大藪春彦新人賞を受賞しました。『藻屑蟹』を読んだ中瀬(新潮社出版部部長の中瀬ゆかり)さんから“ぜひ、うちで書いてください”と依頼をいただき、編集者をつけてもらったんです。非常にうれしくて、被災地での土木作業員の経験をもとに長編を書き上げました」

 当初の作品は、被災地の土木に関する内容が9割を占めていたそうだ。

会社経営をしていた人間がなぜ、土木作業員として被災地に行くのか。その理由づけとして娘のことを少しだけ書いたんです。そこに目をつけたのが、新潮社の悪の軍団(笑)。もっと娘のことを書いてほしいと言われました

 以後、赤松さんは9か月にわたって改稿を重ねた。その結果、救いや希望、高揚感といったカタルシスとは一切無縁の小説に仕上がった。

「こんなこと、作家が言うたらいけないんやけど。娘のことを思い出しながら書くのはほんまにキツかった。それなのに、崖っぷちにいる私の背中を担当編集が包丁で押してくるわけですよ(笑)

 担当編集者の無慈悲さを表すエピソードには、次のようなものがある。

「ほぼ完成形になったものを担当編集も“これでいいですね”って言ってくれたんです。ホッとした次の瞬間“でも、もう1か所だけ、アナルを入れときましょうか”って改稿の指示があったんです。もともと浩平と愛人のアナルセックスの場面を描いていたのですが、もっと暴力的な場面が欲しいって。新潮社、ほんまに怖いです(笑)

 浩平と娘の逼迫した描写が続く中、被災地の人々とのふれあいの場面では一瞬、心がゆるむ。

「最初は、紆余曲折しながらも着実に復興に向かっていく被災地、というイメージの小説を書いたんです。でも、“あなたが書くべきものはそれじゃないでしょ”って中瀬さんが(苦笑)。私は実際、元石巻市長の青木和夫さんにも2回ほどお会いして、石巻の今後についての話をたくさんうかがったりもしていますから。本当はそうした話も書きたかったんです」

インタビューに答える赤松さん 撮影/矢島泰輔

 赤松さんは本作の執筆を通して、小説への意識が変わっていったという。

それまでは、読後感のいいものを書きたいと思っていました。でも、『ボダ子』を書いて吹っ切れた。読者の共感とか賛辞に阿らない、自分しか書けないものを書こうと思いました

『ボダ子』に関する取材の際、赤松さんは必ず聞かれることがあるという。

「毎回、“この小説はどこまで本当なんですか?”という質問を受けます。内容に多少の入れ替えなどはありますが、中に書いてあることは真実や思うていただいてかまいません。もちろん、浩平は私自身で、ゲスな人間です

仕事なんて辞めればよかった

週刊女性を手にする赤松さん 撮影/矢島泰輔

 ホームレスや除染作業員の経験がある赤松さんだが、かつてはゴルフ場関連のビジネスに携わり、月収200万円の生活を送っていた。その一方で、娘さんは境界性人格障害を患って引きこもりになってしまう。赤松さんはワンルームマンションで、自死のおそれがある娘さんと向き合う生活を2年ほど送った。

娘とふたりで暮らしながら、仕事を続けていたんです。でも、仕事なんて辞めて、ずっと娘に寄り添っていればよかった。なんであのとき、娘と一緒におられるようにできなかったんやろう……

 実は現在、『ボダ子』のスピンオフ的な小説の出版が進んでいるそうだ。

「以前から親しくさせていただいている作家の寮美千子さんが、『ボダ子』を読んで長い感想文を送ってくださったんです。お礼の電話をした際に、娘と暮らした2年間を書いていないとご指摘を受けました。私としては、幸せな時間だっただけに書くのはきつい。でも寮さんには、“その覚悟がないのに小説家をやるな”と言われました

 赤松さんは別の編集者から、その2年間を娘視点で書いて、と提案された。

『ボダ子』赤松利市=著 新潮社 ※記事中の写真をクリックするとAmazonの紹介ページへにジャンプします

「そのことを知った中瀬さんが“読みたい”と言ってくれて。“うちから出さなくてもいいから書きなさい”と背中を押してくれました。というわけで、540枚納品していた長編を没にして新たに書き下ろしを書いています」

 問題作といわれている『ボダ子』だが、実は女性の読者が多いという。

先日も都内を歩いていたら若い女の子に、“『ボダ子』読みました、ハグしてください”って声をかけられて、“妊娠するで”って言うたら“かまいません”って(笑)。まさか、こんな小説が受け入れられるとは思わんかった。ほんまに、担当さんのおかげです

ライターは見た!著者の素顔

 今回が初の女性誌の取材だという赤松さん。ホームレスの経験から、おすすめ(?)の屋外宿泊スポットを教えてもらいました。「夏は墨田川公園が気持ちよかったです。桜の木の下の草むらはおばあちゃんのホームレスの縄張りなんやけど、缶コーヒーを1本持って行くと寝かしてもらえるの。っていうても、おばあちゃんと寝るんやないです。横で眠るだけです(笑)」。ちなみに、ホームレスの寝具の基本は段ボールなのだそう。

(取材・文/熊谷あづさ 撮影/矢島泰輔)

PROFILE ●あかまつ・りいち●1956年香川県生まれ。2018年『藻屑蟹』で第一回大藪春彦新人賞を受賞。他の著書に『鯖』、『らんちう』、『純子』などがあり、本作は4冊目となる。世界的な植物病理学者の父を持ち、アメリカで暮らした経験のある帰国子女でもある。