吉田実代 撮影/渡邊智裕
 6月19日、千葉・幕張メッセにて行われたWBO女子世界スーパーフライ級王座決定戦で見事勝利し、王者の座に輝いた吉田実代選手(31)。2008年にキックボクシングを始めて以来、総合格闘技、再びキックボクシング、そしてボクシングと競技を変えながら闘い続け、2015年には出産も経験。シングルマザーとして子育てにも日々格闘しながら、2017年には日本女子バンダム級、翌年には東洋太平洋女子バンダム級王座までも獲得した、吉田選手の強さの秘訣、原動力とはいったい何なのか──。

 いまでこそ日本女子ボクシング界を率いて立つ吉田選手だが、格闘技の世界に足を踏み入れた、そのきっかけは意外なところにあった。

格闘技を始めたきっかけ

「10代のころにソフトボールを頑張っていたんですけど挫折して、そのあと始めたダンスでもまた挫折してしまって。何とか20歳までにひと花咲かせたいと思っていた矢先、友達とショッピングに行ったデパートで、偶然、海外留学の貼り紙を目にしたんです。

 それまで海外に行ったこともなかったんですけど、なぜか“海外留学”という言葉が頭から離れなくなってしまって、家に帰ってからネットでいろいろと調べたんですね。そしたら、どのウェブサイトでもトップに“ハワイの格闘技留学”が出てきたんです。それで運命を感じちゃったんです」

 カラダを動かすことが好きだったとはいえ、もちろん格闘技は未経験。女性の格闘技があることすら知らなかったという。しかし、それでも自分を変えたいという強い気持ちひとつで単身ハワイに渡り、格闘技に挑戦することを決意。故郷・鹿児島を離れての3か月に及ぶ海外留学生活が始まった。

「ハワイの格闘技ジムHMC(ハワイマーシャルアーツセンターアカデミー)では総合格闘技、柔術、キックボクシングから何をするか選べたんですけど、3か月で習得できるものということで、覚えるのに比較的時間のかからないキックボクシングをやることにしました。靴ってはくんだっけ? というレベルからのスタートだったんですが、いきなり初日からスパーリングをさせられて、何もわからぬままボコボコにされました(笑)」

 洗礼を浴びせるためとはいえ、おじけづいて帰国してもしかたのないところ。だが、かえってこの洗礼が吉田選手の闘志に火を付け、未経験ながらも「自分を変えたい」という一心で必死に食らいついた。次第に格闘技の楽しさを感じるようになった。

 帰国後は、女子の格闘技の試合を唯一やっている東京へ上京し、ジムに所属しながらアマチュアキックボクサーとして活動を始めることになった。しかし、ここで思わぬトラブルに巻き込まれる。

「アマチュアだったんですけど、やる気だけはあったので、プロの選手たちに可愛いがってもらえて。だけど、それが気に食わなかったほかのアマチュアの選手たちから嫌がらせを受けたんですね。最初は我慢していたんですけど、だんだんひどくなっていき、人間関係のトラブルでキックボクシングに集中できない環境はよくないなと思って違うジムを探しました」

 そんな吉田選手を次に受け入れてくれたのは、総合格闘技ジム。経験もないまま3か月で総合格闘技デビューするものの、やはり自分にはキックボクシングが向いているという思いが強くなっていき再度、移籍。そして再び戻ってきたキックボクシングの世界で、運命の出会いが待っていた。

スパーリングする吉田実代選手 撮影/Chikako Kishimoto

「キックボクシングの試合前にボクシングのスパーリングをしていたんですけど、その相手をしていただいていた藤岡奈穂子さんという、世界5階級制覇したボクサーが強すぎて衝撃を受けたんですね。

 なんで女の人なのにこんなに強いんだろう、これが本物の強さなのかって。それで試合がないときにもスパーリングに行くようになって、次第にボクシングに夢中になっていったんです」

 こうしてボクシングに転向した吉田選手だったが、スパーリング練習をしていたとはいえ、キックボクシングとは別ものの競技。はじめからうまくはいかなかった。

「蹴りの間合いとパンチの間合いひとつとっても、思っていたのとまったく違うことに衝撃を受けました。キックボクシングに慣れていたぶん、適応するのが難しくて、デビュー戦もなんとか勝った感じ。最近になってボクシングの奥深さがやっと楽しく思えるようになってきましたけど、当時はまさか世界チャンピオンになれるなんてとても思えませんでした」

 戸惑いや不安を抱きながらも、新たに踏み入れたボクシングの世界で必死に頑張っていた真っただ中──突然、妊娠が発覚する。

妊娠発覚

「これからってときだったので、周りはカンカン。大変な騒ぎになってしまって。これで私の格闘技人生は終わったなと思いました」

吉田実代 撮影/渡邊智裕

 努力が認められ期待されていたぶん、周りからの風当たりも強かった。しかし、子どもをおろすという選択肢はなかったという。

妊娠したことをなかったことにして格闘技を続けても中途半端なことになるし、自己管理すらできていない、いまの自分にはボクシングをやる資格がないと思ったんです。

 ただ、周りを裏切ってしまった思いや未練、そして子どもに罪はないのに……という思いなどがいろいろ渦巻き、ふさぎ込んでしまって。こっそり、ひっそり出産をしました

 周囲の反対を受けながらも無事、女児を出産。しかし結婚生活は順風満帆とはいえなかった。

「旦那も総合格闘技の看板選手だったので、“格闘技に集中できなくなる”と、所属ジムから大反対されていました。連日の周囲からの強い反対の声に、お互い精神的に参ってしまって、すれ違うことも多くなっていったんです。

 娘が生まれて8か月くらいのころには、もう心が折れてしまって修復不可能な状態で、別居しようということになりました。お互いあまり家庭環境がよくなくて、家族を知らない者同士がくっついたので、“自分たちはちゃんと家庭を作りたい”、“離婚はしたくない”と思っていたんですけどね……」

 一方そのころ、吉田選手のもとに、復帰戦のオファーが奇跡的に舞い込んできた。ボクシングに対する思いを押し隠していた吉田選手に迷いはなかった──。

吉田実代 撮影/渡邊智裕

働きながらの子育て

 しかし、ひとり親での子育てとボクシングの両立は想像以上に過酷な生活だった。

離婚調停中のため養育費がもらえなかったので、ひとりで子育てをしながら時給1000円のジムのインストラクターを掛け持ちし、その合間に練習をする感じでした。夜泣きもあったので、睡眠時間は毎日3時間くらいでしたね。

 ただ、大変だなと思うことはあっても、復帰できたこと自体が奇跡なので、つらいと思ったことはありませんでした

 子育て、仕事、そしてボクシング……と目まぐるしい日々。だが吉田選手は、忙しすぎるくらいのほうが自分にはちょうどいいと笑顔で話す。

「子育てがあって練習時間も限られるなか、これが最後のチャンスと追い込まれたから、自分自身も究極に変われた気がします。環境が整ってしまうと、一生懸命やっているつもりでも、どこかで甘えてしまう。

 みんなには、“しくじり先生”って呼ばれているんですけど、いろんな失敗もバネにしながら、考える暇もないくらい忙しく頑張っているほうが私には向いているのかもしれませんね(笑)」

 その頑張りは実を結び、2017年10月には日本バンダム級王座、続く2019年6月には目標としていたWBO女子世界スーパーフライ級王者の座を手にすることになる。

「日本タイトルをとるのは迷惑をかけてしまったことに対する禊(みそぎ)だと思っていたので、“世界王者”をとって、やっといろんな人に安心してもらえたかなと。そういう意味でここまでは恩返しだったので、次の防衛戦からが本当の自分のスタートで、自分との闘いだなと思っています」

 もちろん、不安がないわけではない。

「男子と比べると、女子ボクシングはファイトマネーの桁(けた)が違うので、それだけでは生活ができないんですよね。女子の選手たちの多くは会社員やバイトをしながらボクシングをやっていますけど、私は娘との生活がかかっているので。

 自分で営業をして、協賛を募って費用を集めたり、チケットを頑張って売ったりしているんですけど、世界チャンピオンになったことで試合会場の規模も額も変わってくる。子育てと両立しながら、金銭的にあと何回防衛戦をできるのか、モチベーションを保てるのかという不安はあります」

 しかし、そうした不安を現在4歳半となった愛娘の存在が払拭してくれた。

口が達者になってきて手を焼くことも多いんですけど、ママかっこいいとリスペクトしてくれているんですよね。そして、ママは絶対チャンピオンじゃないとダメって、すごくこだわっているので、いちばんいいプレッシャーを与えてくれていますね。

 その期待に応えるためにも、いろいろな不安にとらわれず、初心に戻りたいと思っています。一度はもうできないと思っていたことが、いまできているわけだから、ひたすら強さを求めて突き進もうと思ってます。そうやって自分自身のメンタルが落ち着いていると、子育てにもいい影響が及ぶんじゃないかなって

女性格闘技を広めたい

 自身のことで精いっぱいだった吉田選手だが、最近は今後の女子ボクシング界、格闘技界を担っていく後続の選手たちのことも考えるようになったという。

「格闘技に人生を変えてもらったことに感謝をしているので、自分の存在が少しでも後輩たちにいい影響を与えられたらなと思いはじめました。

 そのためにも、女子ボクシングは男子に比べてまだまだマイナースポーツなので、地位を上げて、女子も強いんだということをもっと広めていきたいです。男子はいいなとうらやましがるだけじゃなくて、自分が動くことでいまの状況を少しでも変えていけたらと」

吉田って強かったね」と語り継がれる存在になりたい──。己の強さを求め、そして女子格闘技界の地位の向上を目指して『闘うシングルマザー・吉田実代』の挑戦はこれからも続く。

吉田実代 撮影/渡邊智裕
PROFILE
吉田実代●よしだ・みよ●1988年4月12日、鹿児島県生まれ。小学2年~中学1年はソフトボール選手として活躍。中学卒業とともに母親のもとを離れ、仕事をしながら通信制の高校を卒業。20歳でハワイに単身留学し、総合格闘技を開始。帰国後、キックボクシング、総合格闘技などを経て14年にボクサーへ転向。同年5月、4回判定勝ちでプロデビュー。'17年10月、日本女子王座第1号のバンタム級王座決定戦で高野人母美に判定勝ちで初代王者に。'18年8月に東洋太平洋女子同級王座も獲得。'19年6月にWBO女子世界スーパーフライ級王者王座も獲得した。