映画監督に挑戦する俳優は増えてるが──

 モデルで女優の池田エライザが23歳という若さで映画監督に挑むとの報道が世間を騒がわせている。タイトルは『夏、至るころ』。株式会社映画24区が「地域」「食」「高校生」をキーワードに全国の自治体と組んで製作する『ぼくらのレシピ図鑑』シリーズの第2弾で、池田は企画・原案も務める。

 この報道にSNSでは「若いのにすごい」「応援しています」など好意的な言葉が寄せられる一方で、「エライザ騙されてない? 誰が裏で“糸”を引いているのか」「また駄作がひとつ増える」といった否定的な意見も。

 興行的な成功例があまりないという認識が否定の背景にあるだろうが、それでも俳優が映画を撮ろうとするのはなぜか。

意外に多い“俳優監督”

 俳優兼映画監督と聞いて、まず思い浮かぶのが、『戦場のメリークリスマス』などで俳優デビューを果たしていた北野武(ビートたけし)だろう。たけしの監督デビュー作は『その男、凶暴につき』。もとは深作欣二が監督をする予定だったが、スケジュールや条件などで食い違いが生じ辞退。たけしが初監督を務めることになった。

 配給収入は5億円で、『キネマ旬報』では賛辞一色。このヒットを受けてたけしは映画を撮り続け、'97年、映画『HANA-BI』で第54回ヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞を受賞。'10年にはフランス芸術文化勲章のひとつであるコマンドールを受章し、「世界のキタノ」の名が冠されることになった。

 一方で興行的に最も成功を収めたのは伊丹十三だった。映画監督の伊丹万作を父に持ち、『家族ゲーム』や『細雪』などで俳優活動。キネマ旬報賞助演男優賞、報知映画賞助演男優賞も受賞した後、 '84年に映画『お葬式』を初監督。日本アカデミー賞を受賞。『お葬式』『マルサの女』『マルサの女2』『ミンボーの女』『スーパーの女』の計5作品でそれぞれ10億円以上の配給収入を記録した。

 このほか、俳優が映画監督を務めた例は意外なほど多い。勝新太郎による大名作『座頭市』を筆頭に、松田優作の『ア・ホーマンス』、武田鉄矢『プロゴルファー織部金次郎』、奥田瑛二『るにん』『長い散歩』、役所広司『ガマの油』、陣内孝則『ROCKERS(ロッカーズ)』、佐野史郎『カラオケ』、柄本明『空がこんなに青いわけがない』、マキノ雅彦(故・津川雅彦さん)『寝ずの番』『旭山動物園物語 ペンギンが空をとぶ』などなど。昨今では小栗旬『シュアリー・サムデイ』、斎藤工『blank13』なども話題になった。

プロデューサーの“リスク回避策”

 俳優たちの撮った映画はどれもそれなりに話題にはなったが、その多くが興行的には成功とはいえず。『座頭市』やたけし映画などの例外はあるものの、「俳優が監督した映画は失敗する」という認識は世間では根強い。

 たけしの『その男~』についても、映画評論家・山根貞男が著書『日本映画時評1986-1989』(筑摩書房)のなかで、

《有象無象の有名人監督の一人として見くびっていた》

 と述べており、偏見があったことが見て取れる。脚本を務めた野沢尚も、たけしの手によって脚本が書き換えられたことから、その著書『映画館に日本映画があった頃』(キネマ旬報社)で、

《脚本が変えられたのは不満だがよく出来ていた。だが傑作に仕上がったのは偶然》

 と、門外漢の“才能”を認めたくなかったようだ。それなのになぜ、俳優が監督を務める映画は大量にあるのか。

 その理由のひとつはまず、“話題性”だ。派手な広告を打たなくてもメディアが勝手に報道してくれるからコストパフォーマンスがいい。第2に“ファン”。ファンならばお気に入りの俳優が映画を撮ったとなると、やはり見に行きたいところだろう。

 昨今では、これに“SNS”が加わる。先述の池田エライザのTwitterはフォロワー数が102.4万人。それだけの人数が彼女の投稿を見るということで宣伝効果は抜群。ドラマの企画会議でもキャスティングを考える際、最近ではSNSのフォロワー数が多い俳優を優先する傾向もあり、マーケティング的にSNSはかなり重きを占めている。

 プロデュースする側は当然リスクを回避せねばならず、その回避策のひとつとして(結果どうなるかは別として)、フォロワー数の多い人気の“俳優”を利用し、話題にしたがる。

俳優たちによる“映画界への不満”

 製作側の事情は述べたが、そもそも俳優本人から「撮りたい」という意思を示すことも少なくない。例えば前述の松田優作と脚本家・丸山昇一(映画『野獣死すべし』など)との関係は有名で、松田は丸山にプライベートで次々と新しい脚本を書かせてはダメ出しし、運命共同体として作品作りをしていた。

 また松田が『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)で殉職シーンを演じた際、実はカットされ放映されてない松田のアドリブのセリフがあった。母を大切に思っていた松田はジーパン刑事の死ぬ間際のセリフに「母ちゃん…」というアドリブをいれ演じていた。

 あまりにも単純すぎる発想という理由でカットになったが、松田の母への思慕は強く、彼が監督した映画『ア・ホーマンス』の阿木耀子演じる赤木加奈子のひざ枕で風(松田)が眠るシーンでついに結実することになる。(出典『松田優作物語』秋田書店)。

 やりたいことが、伝えたいことがやれない。だから自分で監督をする──。昨今ではそれに“日本映画界に対する不満”が加わる例もある。どんな不満なのか。

 シネマトゥデイが2016年に公開したカンヌ受賞監督・深田晃司のインタビューにそれを紐解く言葉がある。

《映画を1本撮ろうとすると、数千万円から数億円のお金がかかる。ヨーロッパや韓国は助成金という形でそのリスクを抑えることで、映画の多様性を保とうとしている。だけど、日本の場合はそうした制度が整っていないがゆえに、テレビで顔を知られている有名な俳優を使わなければいけないとか、皆が知っている原作を使わなくちゃいけないといった考え方になってしまう。

 日本のように製作費のすべてを劇場収入とDVDやテレビ放映などの二次使用のお金で回収しなくてはいけない体制では、多様性は育ちにくいですよね。(中略)どうしても尖った題材は扱えなくなってしまう》

 また'17年10月11日号の『anan』(マガジンハウス)に掲載されたたけしのインタビューにも、

《まあ映画業界なんて閉鎖的だからさ、アメリカのアカデミー賞もそういうところが問題になって、いろんな国の人を会員にするとか言ってるけど》

 とあり、いかに業界が保守的で、業界内の慣習のみで完結しているかをほのめかしている。 

 これらはクリエイティブ側には当然の話であり、クリエイティブ思考の強い俳優ほど(表立っては言わないが)「有名な俳優ばかりの使い回し、尖ったものや多様性のあるものがやりにくい体制で閉鎖的な日本の映画界は、このままじゃダメになる」と危惧を抱いていることが多い。また『カメラを止めるな!』など低予算映画のヒットから、「映画界が低予算に舵を切りすぎると、撮れるものに限りが出て作品の多様性が失われる」と嘆く業界人もいる。

 業界内ではヨーロッパの映画界と手を組んで日本の才能のある監督を育てていこうとする動きもあり、今現在、日本映画界はその変革の黎明(れいめい)期にあると見ることもできる。要は面白ければいいのだが、観客が「NO!」を突きつけた俳優兼監督の映画は数知れず。はたして池田エライザの初監督作品はどんな結果を残せるのか。日本映画界の未来のために温かく見守りたい。

(衣輪晋一/メディア研究家)