今やバラエティ番組でもおなじみの人となったELT(Every Little Thing)のギタリスト、伊藤一朗氏。その肩の力の抜けたマイペースさはどのように醸成されたのでしょうか?(東洋経済オンライン)

 2019年8月にデビュー23周年を迎えたELT(Every Little Thing)。そのギタリストとして活躍する伊藤一朗氏は、プロデビューが決まった際、「2年で終わる」と冷静に思っていたという。 

 デビューと同時に思いがけずブレイクするものの、間もなくメンバーの脱退で解散の危機に。それを乗り越え、今やバラエティ番組でもおなじみの人となった伊藤氏。50代になった今、二周りも年下の若者に「伊藤さん、ギター弾けるんですね!」と言われることもあるという。 

 その肩の力の抜けたマイペースさはどのように醸成されたのか? 格好つけない、気合も入れない、それでも幸せな人生を送れる、ユルくて強い大人のメンタルを初公開。 

 ※本稿は、伊藤一朗『ちょっとずつ、マイペース。』(KADOKAWA)を再編集したものです。

「たまたまそこにいた」から得られる好機もある

 20代後半、スタジオ店員をやりながら、単発仕事でギターの助っ人をする中で知り合ったミュージシャンの1人が、ともにELTをやることになる五十嵐充くんだった。彼はエイベックスが所有する音楽スタジオで働いていて、そこでさかんにデモテープを作っていた。

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 その演奏にギターが必要だというので、一本5000円で手伝うようになった。その中に、エイベックスに移籍してきたばかりの、高校3年生の女の子をボーカルに迎えたテープがあった。その女の子が、持田香織だった。

 そんなある日、突然、エイベックスのディレクターに呼び出された。そのディレクターは当時TRFの担当だったので、僕はてっきり「TRFのツアーメンバーのオーディションだ!」と思い込み、ギターを持ってはせ参じた。そうしたら、

「ん? なんで楽器持って来てんの?(笑)」

 TRFさんはまったく関係なくて、持田香織のグループをつくるという話だった。最初は彼女をソロデビューさせる予定だったが、せっかくだから「その他」がいたほうがいいよね、ということになったようだ。それで、たまたまデモテープに参加していた僕に声がかかったというわけだった。

 ついに、ついに、プロデビュー……!?

 といった高揚感はゼロだった。五十嵐くんはエイベックスに所属しているが、僕は違う。「たまたまそこにいただけ」だ。そして、スタジオ店員の仕事という「本業」を持つ立場でもある。「スタジオを去らないといけない、大変だ」という思いのほうが正直、強かった。

 契約しても食っていけない人の話、バイトしてたほうがラクだったよね、なんて話はザラだったから、期待はしていなかった。

だから、デビューの話を聞きながら僕の頭をよぎっていたのは、将来、中年になった自分が「昔、こういうの出してたんすけどね(笑)」みたいなことを言いながら、古いCDを取り出すシーンだった。

ピンチを乗り越える「もうちょっとだけ頑張ろう」

 デビューしてからの数年間、僕は「助さん」だった。持田が水戸黄門で、五十嵐くんが格さん。僕が格さんでももちろんOK。いずれにせよ、ご老公を助さんと格さんが支える、安定の編成だ。この安定が崩れたのが1999年末。そして2000年3月、五十嵐くんがメンバーを抜けた。

 彼は「助さん格さんのどっちか」に見えて、その実、ELTの牽引役だった。もともとのコンセプトをつくったのは彼だし、曲も全部彼が書いていた。その彼の脱退に、持田も僕も呆然とした。

 考えもまとまらないというのに、会社には「続ける? 解散する?」と聞かれる。そのとき、次のツアーの券売がもう始まっていた。このツアーだけでも全うしよう、と持田と話し、会社にもそう伝えた。その後は……気力が続かなくなった時点で解散だな、と思っていた。

 だがツアーに出ると、気持ちが切り替わった。ライブで、お客さんの熱気を感じるのが好きだ。ほかのミュージシャンがどうかはわからないけれど、僕はけっこう、一人ひとりお客さんの顔を見る。この人たちがCDを買って、CDで曲を気に入ってくれたからライブのチケットを買って、この場に来てくれたんだな、と思うと嬉しくなる。

 ツアーで少し気持ちを取り戻して、その流れで、アルバム制作に移った。レコーディングは突貫工事だった。年度内に出さないといけないということで、山中湖のリゾートスタジオに軟禁……いや缶詰め状態で作業した。徹夜が続き、疲労困憊の極みに達したある夜、「ちょっと休憩しよっか」と、皆で食堂に行った。

 そのときテレビから流れてきたのが、アルバムの先行シングルとしてリリースしていた「fragile」だった。番組は、この曲がチャートの1位になったと告げていた。

 あぁ、首の皮一枚つながったな――というのが、そのときの正直な思いだ。もうちょっと頑張んなきゃな、という思いも、同時に湧いてきた。

 見ようによっては会心の一撃かもしれないが、どんな仕事でも、こういう「一撃」は、自分が努力するだけでは生まれないと思う。僕はある意味、演奏とかパフォーマンスをするだけ。ほかにも企画する人、パッケージする人、売る人などなど、たくさんの人がいて、皆のサイクルがぴたりと一致したときにだけ、こういう「一撃」は起こるものじゃないかと感じる。

 しかもそれは、全員の熱量が高ければいいってことでもたぶんない。中には、うまくくぼませてくれる人、「あいつがあそこで手を抜いてくれてたからこそ!」みたいな人とかもいて、生まれるものなんじゃなかろうか。

 テストなら準備できるけど、商売だと、思いがけないことが勝因になったり、逆に裏目に出たりする。天気が悪くてよかったな、ということもあるのがビジネスの世界だと思う。

脇役が世界を面白くする

 ELTは、ギターが僕じゃなくてもきっと同じ程度には売れていただろうと思う。でも、僕じゃなかったらここまで続きはしなかったかも、とも思う。

「fragile」がヒットして、もうちょっと頑張らなきゃと思ったと書いたけれど、それは「もう助さんではいられない」という意味でもある。2人編成になれば、負う役割は重くなる。だからインタビューでもたくさん話すし、ライブのMC役も進んで引き受けた。

 歌番組で「いじられ役」になる自分についても、前向きに意識するようになった。僕がお笑い芸人の方々にいじられることが多かったのは、たぶん、目先を変える面白さがあったからだと思う。テレビの心霊ツアーみたいなものだ。皆が見ていないような画面の隅とか背後に「なんか映ってる!」ってとき、「なになに!?」って盛り上がりますよね。

 あれと同じで、「持田の横になんかいるぞ!? なんだ!?」という“真ん中をはずした”構図というのは面白い。脇役が世界を面白くすることもあるのだ。

 つまり、間違っても「僕自身が面白いわけではない」ということ。しかしそれでも、そうして引き出してもらえた僕の持ち味が、少しでも人を楽しませるのなら……それもまた、ELTを続けるうえで大事なことではないかと思った。

 しゃべりは下手、しかも顔を知られずに暮らしたい僕が、あえてそう判断した。これが、僕なりの「頑張り」だったのだ。

 バラエティー番組に出るのは、最初はやっぱり緊張した。楽器を持たずにテレビに出ることへの猛烈な違和感とか心もとなさとか、心にわずかに残る「ミュージシャンとしての矜持」とか……。

 その一方で、「面白いことを言わなくてはいけない」というプレッシャーはそんなになかった。それは求められていない、となんとなく知っていたからだ。

 音楽畑の人間は全般にどことなく浮世離れしている。本人にとっては自然な言動も、ほかの人から見るとちぐはぐに見える。僕が歌番組でいじられたのも、そうした部分があったからだろう。だったら、変に気張らずに自分のままでいよう。そのうえでダメなら、再び呼ばれることはない。それならそれで仕方がない。そう思っていたら、無理にしゃべらなきゃ、みたいなストレスを感じずにすんだ。

なるようになれ、がツキを呼ぶ

 2度とお呼びがかからなくても仕方ないや、という思いで臨んでいたバラエティーだったが、不思議とリピートされることになった。年末恒例のダウンタウンさんの番組「笑ってはいけない」は8回出演し、紅白の出演回数に並んだ。

 最初にオファーをいただいたとき、会社からは「紅白に出ないんだから、出てよ~」といわれた。紅白の次に視聴率が高く、プロモーションにもなるから、という言葉に押され、「出オチでいいなら……出ます」と答えた。

 が、実際にはもう、出オチじゃ許されない感じになっている。

 あの番組の現場は実際のところ、胃が痛くなるような緊張感に満ちている。名だたる芸人さんが何十人も、それぞれの趣向を凝らす。芸人さんたちにとっては、あの番組こそが紅白のようなものだ。

 でも僕は、そりゃ緊張はするけれど……やっぱり「なるようになれ」と思うのみ。

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 結局、いちばん大きな関門は、最初に感じた「ギターを持たずにテレビに出る」ことだったのだ。それを超えれば、後はどうでもよくなる。どうでもいいは語弊があるかもしれないが、なんというか「ギターを持たないバージョンの僕の役割」を見つけた、という感じだ。

 その役割とは、笑われ役。「笑わせる」は高等技術だが、「笑われる」なら僕もできる。

 ELTでやってきたのは、人を楽しくしたり、癒したり、励ましたりすることだった。そういう人間がギターを持たずにできることはやっぱり、笑ってもらって元気になってもらうことではないか、と思えたのだ。

 そういうわけで、これからも、呼ばれたら出る。僕は、必要とされたら、必要とされている形で、そこに居たい。


伊藤 一朗(いとう いちろう)Every Little Thing ギタリスト 1967年11月10日、神奈川県横須賀市生まれ。蠍座のA型。1996年、30歳目前でEvery Little Thingとしてデビュー。ファーストシングルは「Feel My Heart」。その後も、「Dear My Friend」「出逢った頃のように」「Time goes by」「fragile」など、数々のヒット曲を生み出す。ELTとして23周年を迎える一方で、バラエティ番組でも活躍中。通称は「いっくん」。