※写真はイメージです

 “神童”。この言葉から人は、どんな存在をイメージするのか? 小さいころからさまざまな本を読み解き、テストを受ければ100点満点。スポーツならば誰もまねができないようなパフォーマンスを、いとも簡単にこなしてしまう─。 

 教育ジャーナリストの小林哲夫さんは、灘中や開成、麻布といった名門校の中でも、伝説的と呼ばれた神童たちのその後を取材している。

神童に備わる“写真的記憶の能力”

 神童という存在を、小林さんはこう説明する。

勉強でいえば、周りよりも時間をかけずに問題を解ける頭がいい人です。“ネイティブ”という言い方は変かもしれませんが、生まれつき頭がいい人。以前、フランス文学者の内田樹さんの本の編集に携わったことがあるのですが、彼は小・中学校のとき、授業を聞いたり教科書を読むだけで内容が頭に入ってきたそうです。

 写真的記憶術というのですが、見たものをすべて写真のように記憶できるそうです。1996年には当時東大合格者数トップだった都立日比谷高校に、10番以内で入試をクリアして入学しています」

 神童と呼ばれる人には、この写真的記憶の能力が多かれ少なかれあるらしい。しかし、集中力と努力によって、神童と肩を並べるような人もいるという。

「アダルトビデオ男優の森林原人さんは、中学受験で筑波大学附属駒場(筑駒)や麻布、栄光学園、ラ・サールにも合格しています。

 多少、地頭のよさもあったでしょうが、彼いわく、受験勉強はゲームと同じだったそうです。遊びを楽しむ感覚で努力を積み上げ、神童と肩を並べたわけです

 だが、入学した筑駒で待っていたのは……、

「とてつもなく頭がいいやつばかりで、まったく太刀打ちできなかったそうです。彼は努力の結果、合格したのですが、勉強も大してしないで塾にも行かずに合格し、一を聞いただけで十も百もわかってしまうのがゴロゴロいたとか。そこで勉強ではかなわないので、自分の得意なエロの世界を極めようと決意し、今の男優という仕事につながったそうです」

神童と凡人の分岐点とは

 十で神童、十五で才子、二十歳過ぎればただの人。凡人にはわからない世界だが、森林さんのように、神童レベルにもヒエラルキーがあるようだ。

残酷な話ですが、まったく素地がない人が努力してもそのレベルには到達できません。本物の神童、天才というのは、8割の地頭と2割の努力でスーパーマンになり、努力型の天才は、地頭のよさが2〜3割で、あとは努力とトレーニングの積み重ねといわれますがこれは多くの進学校生徒が実感しているようです。

 そのトレーニングが苦しいと感じたとき、これだけやっても追いつけないのか、と自分の限界を知るときが神童としての人生の岐路になるわけです」

 生まれ持った才能となると、両親からの遺伝も影響するように思える。凡人同士のカップルから“スーパーキッズ”が誕生することはないのだろうか?

「証明は難しいですが、ケースを拾い上げていくと両親が神童、もしくはそれに近いということが多いかもしれません。しかし、努力型の天才なら、親のしつけ、特に母親がどれだけ教育熱心か、が大きいのではないでしょうか。

 あとは環境ですね。両親ともに際立って勉強ができたわけでなく学歴もそこそこ、という家庭に神童の才を持った子どもが生まれたとします。その子どもが中学受験したい、と言い出したときに、その思いを親が受け止められるか。また、家庭の経済状況がそれを許せる余裕があるか。もしかしたら、とんでもない天才が、生まれた環境のせいで野に埋もれてしまっているケースもあるかもしれません

 神童のあり方も、時代の変化とともに変わってきていると小林さんは危惧する。

「今は神童と呼ばれた成績のいい子どもたちは、ほとんど医学部に行ってしまうんです。それは頭のよさの証明ということもあるだろうし、そういう才を持っているからということもあると思う。でも、経済的にも地位としても安定しているということがいちばんの理由なんです。

 こういった状況はこれからも続くと思いますが、狭い分野に頭のいい人が集まってしまうのは、日本の将来にとってよくないことではないでしょうか。官僚や一般企業、ジャーナリストなどいろいろな分野で、神童としての才能を自分の収入のためだけではなく、社会の役に立ててほしいと思います

 世の中の発展に寄与するであろう特別な能力。いろいろな分野で神童やスーパーキッズと呼ばれ、注目を集めたあとの彼らの“人生模様”も気になるところだ。

社会人男女310人に対する神童についてのアンケート
(「マイナビ学生の窓口」より)

Q:地元の学校に“神童”のように扱われた子どもはいましたか?

いた 40人(12・9%)/いなかった 270人(87・1%)

Q:その“神童”たちは、その後どうなった?

・灘中に進学した(男性/28歳/団体・公益法人・官公庁)

・地元トップの高校へ進み、学年トップのまま卒業ということまでは知っている(男性/21歳/ホテル・旅行・アミューズメント)

・京都大学へ進学して、今は大学院で研究している(女性/22歳/団体・公益法人・官公庁)

・カッコよく、ハンサムだった神童だったが、大学でノイローゼになりダメになってしまった(女性/50歳以上/商社・卸)

・有名中学に進学したがなじめずに中退。引きこもりになりその後、プロボクサーを目指したが挫折し、今はフリーター(女性/31歳/運輸・倉庫)

・東大に行き実家の薬局を継いだが、商売が下手でその家は売りに出されてしまった(男性/47歳/電力・ガス・石油)

Q:“神童”と呼ばれていたあなた、今はどんな生活を?

・高校も進学校に行ったが、その中では平凡な存在となり、普通に暮らしています(男性/50歳以上/電機)

・頭がいいと思いすぎてつまずいた。就活は必死にやって希望の業界に進んでいる(女性/23歳/団体・公益法人・官公庁)

小林さんがアンケートを分析

 この結果は、非常に面白いですね。神童がいた、と答えた人が1割程度というのは少ない気がします。昔は、そんな存在が学校にひとりふたりいたじゃないですか。

 これは取材している中で聞いた話なんですけど、「僕はなんでも知っていて友達に教えてあげたかったけど、いじめられるので黙っていた」という人がいました。悲しい話だけれど、神童ぶりを発揮すると、ウザがられる。“あいつ、すげぇ。生意気だからつぶせ”って。

 昔と違い、今は友達グループの中でうまく生きていく知恵として、あまり目立ったことはしないのかもしれません。帰国子女がわざと下手な英語を話すように。こういう状況が神童はいなかった、ということにつながっているのではないでしょうか。

 “神童”たちの人生の岐路は、初めて挫折を味わってから。自分はトップが当たり前だったけど、もっと上がいた、こんなはずじゃなかった……。そこからどうするかですね。その人の意思というか、生き方の問題ですから、周りは何も言えませんけど。凡人として静かに生きるか、それまでとは違う道を探すか、ですね。

 自分が“神童”と呼ばれていたと言える人は、本当に羨ましい。目指していたトップの学校に入ったら、自分は普通なんだ、と思える感覚は常人には理解できませんから。


《PROFILE》
小林哲夫さん ◎教育ジャーナリスト。教育、社会問題を総合誌などに執筆。頭のいい人はどんな大人になっているのか、という疑問から書いた『神童は大人になってどうなったのか』(太田出版)など著書多数