裁判にあたり記者会見した母・美和さん。道は指導が適切だったと主張している

「まったく心当たりがない」

 '13年3月3日。北海道立高校の1年、町田大輝くん(当時16=仮名、以下同)は、こうした内容のメールを同級生に送信した後、地下鉄の電車にはねられて死亡した。警察は自殺と見ている。メールの内容は、前日に行われた所属する吹奏楽部の顧問から指導されたことを指していた。

 大輝くんの母親・美和さんは、吹奏楽部の顧問による行為は「指導ではなくパワハラ」であり、それを苦に自殺したとして、道を相手に訴えた。

 教師の暴力や不適切な言動を伴う指導によって追いつめられ、命を絶つ子どもたちの自殺は「指導死」と呼ばれている。長時間の拘束や場当たり的な制裁が加えられることも珍しくない。美和さんは「息子の死も同じ」と考えた。

「何のことかわかっているな」

 大輝くんは中学時代にも所属していた吹奏楽を続けるため、'12年4月、マーチングも行う実績のある高校に入学。吹奏楽部に入り、放課後だけでなく始業前も昼休みも練習に励んだ。吹奏楽部員にとって、部活こそ高校生活といっても過言ではなかった。

 そんな中で、大輝くんとほかの部員の間でトラブルが起きる。'13年1月のことだ。

 大輝くんはガラケーを使っていたが、ほかの部員はほぼスマホを利用していた。そのため、大輝くんともう1人を除き、同学年の部員たちはグループLINEに参加していた。そのLINEに、トラブルの相手方が、大輝くんが送ったメールの内容を無断で貼りつけたのだ。

 加えて、メールで言い争いになり、両者の言葉遣いが荒くなったが、顧問から指導を受けたのは大輝くんだけ。不公平さを感じながらも、大輝くんは学校側から課せられた反省文を15枚書いた。さらに、部員とは連絡網以外のメールを禁止された。

大輝くんが愛用していたトランペット。中学時代から吹奏楽を頑張ってきた

 3月2日、再び大輝くんのみが指導される。メールが禁じられていたので、ほかの部員に大事な話をするために直接会ったのだが、その内容を意図しない形で顧問が知ってしまう。話の内容を問題視した顧問は、上級生4人も立ち会わせて指導した。

 このときの指導は前回と違い、学校組織としての対応ではなく、顧問の独断だ。しかも、事実確認をしていないなかで「何のことかわかっているな」「俺なら黙っていない。家に怒鳴り込み、名誉毀損で訴える」と叱責。さらに部活に残る条件に「部員との連絡を一切断つこと」をあげ、メールばかりか、部員との一切の関わりを禁じたのだ。

 ここでの顧問の発言「何のことかわかっているな」が、冒頭の大輝くんのメール「心当たりがない」につながる。

 指導を受けた翌日は日曜日だったが、大輝くんは部活のために登校。しかし吹奏楽部の練習には参加せず、地下鉄の線路に飛び込んだ。

「学校との話し合いで、顧問がどんな人かを調べてほしいとお願いしたが、かないませんでした」(美和さん)

吹奏楽をやりたくて選んだ高校で、大輝くんは亡くなる直前まで、部活に熱心に励んでいた

民事裁判で異例のコメント

 裁判の争点は、顧問の行為が「指導」か「パワハラ」か。違法性があるか。自殺との因果関係があるのか、などだ。

 生徒指導に関する法的な定めは明確にはない。だが、文科省の「生徒指導提要」では、複数の教職員でチームを編成し、生徒指導にあたるとしている。また「学校保健安全法」では、安全な教育環境を整えることが定められており、「自殺対策基本法」では自殺予防がうたわれている。

 '19年4月、札幌地裁は、道側の事後対応の一部の違法性は認めたが、大輝くんへの指導に関わる点は、指導の必要性を認めた。自殺予防に関する点には触れなかった。

 証人尋問では、生活指導部長も顧問も、トラブルのきっかけになった詳細なメールのやりとりを把握していなかったことが明らかになった。メールで使われる言葉や表現は部活内での人間関係、お互いの心理状態などで変わるが、判決では考慮されていない。

 ただし、高木勝己裁判長は判決要旨を読み上げたあと、「自死に至った大輝くんの苦悩、愛する家族を失った原告やお姉さんなど遺族の悲しみは、裁判所としても、想像にあまりある。最後に、大輝くんのご冥福を祈り申し上げる」と述べた。民事裁判でこうしたコメントは異例だ。

 美和さんは控訴を決めた。

「顧問の言動がなければ、大輝は今も一緒に過ごしていたという思いがある。一審では違法性がないという判決でしたが、これでは教師が暴言をしても許されてしまいます」

 そして始まった9月13日の控訴審。美和さん側は、自殺した当日も顧問が大輝くんに指導していたとする匿名情報を提出した。もし自殺直前も指導されていれば、それが引き金となった可能性は高まるはずだ。また、新たな証拠として同級生の陳述書も提出。学校生活のなかで不適切な指導をされた経験や、アンケートに書いた内容が開示された内容と違う点を指摘した。

 第1回の口頭弁論で美和さんは思いをぶつけた。

「指導が適切だったというのなら、息子の未来につながる働きかけが伝わるところを教えてください」

 はたして控訴審で美和さんの訴えは認められるのか。

家庭訪問の直後に命が絶たれた理由

 '15年11月4日17時40分ごろ。鹿児島県奄美大島市の中学1年、新山直人くん(13=仮名、以下同)は学校から帰宅した。弟と一緒にテレビを見ていると18時ごろ、担任が訪ねてきた。祖母が応対するが、家庭訪問の理由について説明はない。その後、祖母は担任と話す直人くんが泣いているのを見た。訪問は長くて20分。担任が帰ると、直人くんは号泣した。

 心配になった祖母は母親に《早く帰ってきて。大変》とLINEのメッセージを送信。母親の結子さんが帰宅後、直人くんを探すが部屋には見当たらない。

 客間のベランダで見つけた結子さんは「なんでそんなところに立っているの?」と声をかけた。近づくと、直人くんは首をつっていた。心臓マッサージをしたが、病院で死亡が確認された。

直人くんは小1からサッカーを始め、中学の部活ではゴールキーパーとして活躍

「朝、身長の話をしました。1年生が終わるころには、(私の身長を)抜いているかもね、と。それから、ハイタッチをして学校へ送り出したんです」(結子さん)

 父親・繁さんは単身赴任中。親類から「大変なことが起きた。直人が自殺を図った」との電話があった。

「何を言っているんだろうと思ったんです。妻も電話で、どうしよう、どうしようと言うだけ。その声が耳について離れず、一睡もできませんでした」(繁さん)

 翌日、家に戻り「何があった?」と聞くと、祖父が「先生が来ていた」と言い、祖母は「なんで先生が来たんだろう」と、遺族の間では家庭訪問を疑い始めた。

 直人くんが亡くなった翌日から学校は基本調査を開始。すると担任が家庭訪問のとき、「嫌な思いをしている人もいるが、誰にでも失敗はあるので、改善できればいい」などと言っていたことがわかった。直人くんに、いじめの疑いがかけられていたのだ。

 調査によると、事の発端は11月2日、同級生が欠席したことから始まる。同級生の母親が「友達に嫌がらせを受けているので学校に行きたくないと言っている」と、担任に電話で告げた。

 4日に同級生は登校したが、担任が紙を渡し「されたことを書くように」と言った。その中に直人くんの名前もあったが、嫌がらせをした人物としてではなく、彼らと一緒にいたことが記されていた。嫌がらせをしたと名前があがった生徒に対し、担任は昼休みに指導する。一方、直人くんは同級生に給食を持って行き、一緒にサッカーをした。

 担任は、放課後にも指導をするので直人くんも残るようにと言いつけ、自分がしたことを紙に書かせた。直人くんは「自慢話のとき、“だから何”と言った。話を最後まで真剣に聞けていなかった」とだけ書いている。また担任は「もし同級生が学校に来られなくなったら責任をとれるのか」とも迫った。直人くんは「なんで俺が呼ばれるのか?」と、ほかの生徒に不満を漏らしていたという。

直人くんがサッカーを始めたころに履いていた靴。亡くなる前日にも試合に出場していた

担任の目を見るのも怖い

 指導が終わったのは17時15分ごろ。担任が直人くんに家庭訪問をするのは、その約1時間後だ。

「調査結果の説明に来た際、校長は口頭で“今回の件(担任の指導)が関連していることが推測できますので、学校長として非常に申し訳ないという思いでいっぱいだし、残念であるという気持ちでいっぱい”と言ったのですが、指導の影響については文面にはありませんでした」(繁さん)

 自殺の原因について学校は調査の結果、「原因不明」としたが「遺族としてなぜ? という気持ちが強かった」(市教委)ため、市長のもとでの詳細調査を要望、第三者委員会が設置された。

 第三者委は結論として指導死と認めた。直人くんの行為は「いじめ」ではなく、指導にあたっては学校組織として対応する意識が欠けていたと指摘。指導した生徒5人のうちの1人に頭を叩いていたことも発覚、生徒の尊厳を傷つけたとした。また遡ること9月、授業中に、消しゴムのカスの投げ合いをしたことで直人くんたちは指導を受けたが、その際に聞き取りをした記録がないことも批判した。

「9月のことは直人から聞きました。担任の目を見るのも怖いと言っていたんです。“女をぶつ”って」(繁さん)

 調査では、指導以前の暴言や暴力も明らかになった。担任の姿勢も自殺の背景になっていると分析されている。

 遺族は、市教委に報告書をどう受け止めるかなどについて質問状を出した。市教委は「当時の判断としては瑕疵がなかった」と回答。遺族は「反省がない」と予定していた教育長との面会をキャンセルした。すると市教委は「対立していたのでは前に進むことができない」とコメントを撤回。報告書を市内の学校に配り閲覧可能な状態にしている。

 また、市教委は再発防止検討委員会を設置、10月に3回目の会合が開かれ遺族もメンバーに加わったが「まだ具体的な話し合いはしていません。市教委は積極的ではない印象を受けます」と繁さんは話す。

 誰のため、何のための指導なのか、そのあり方を見直すことが大切だ。