『東京ラブストーリー』('91年1月~3月フジテレビ系列)月9の社会現象を巻き起こした

「雉も鳴かずば打たれまい」のスタンスが芸能界にもスポーツ界にも蔓延している今日このごろ。優等生発言だらけというのも不健康だが、ちょっとでも失言しようものならSNSという武器を手にした民衆は、黙っちゃいないわけで。特に女性はたったひと言、食べ方、箸の持ち方ひとつでメッタうちに。「叩かれる女」について遡って考えてみる。

ドラマの役柄にバッシングの嵐

 テレビが輝かしくメインメディアだった1980年代。このころは「芸能人は庶民が崇めたてまつる存在」。バッシングはあっても対個人ではなく、「PTA的見解による抗議」に近かった。

 不道徳や不謹慎、不条理には、ある一定の層が抗議の手紙を寄せた程度。

 なかには、男性アイドルのファンが共演者の女性タレントに猛烈な嫌がらせ(ファンレターにカミソリなど)をした話はよく聞いたが、バッシングではなく、嫌がらせの犯罪の類である。

 アイドル女優の草創期でもあり、たとえ棒演技でも叩かれなかった、いい時代でもある。朝ドラ『澪つくし』の沢口靖子、『スチュワーデス物語』の堀ちえみ、『ヤヌスの鏡』の杉浦幸は叩かれるどころか、別のベクトルで愛でられたのだから、みんな寛容だったのだ。

 そして'90年代は、「ドラマの役柄で叩かれる」時代に突入。役自体が女性たちから総スカンをくらい、本人もあおりを受けるという不幸な時代に。『東京ラブストーリー』の有森也実は、優等生女子的キャラだが、織田裕二を毎回おでんやら鍋やらで引きとめたり転がしたりというあざとさが女性たちの癇に障った。

 初めはノー天気な鈴木保奈美のほうが苦手という人も多かったが、有森のウエットなあざとさに女性たちの間では嫌悪感はぐんぐん上昇。叩かれるまではいかないにしても総スカンだった。

 なんといっても最大に叩かれたのは『ポケベルが鳴らなくて』の裕木奈江である。バッシング女優としてはレジェンド級。上目遣いで小首をかしげ、処女性を武器に年配の男(緒形拳)をおとす驚異の技。もちろん「友人の父親と不倫」という役が最大の理由だが、その後、裕木奈江自体が盛大にバッシングされ、表舞台から姿を消したのだ。

 そのちょっと前に放送されたドラマ『誘惑』の紺野美沙子、『想い出にかわるまで』の松下由樹も、不倫・略奪愛をする役だったが、策士であり、真っ向勝負の姿勢にはむしろ称賛の声もあったほど。裕木の場合、カマトトな一挙手一投足があざとく、全国の女性をイラつかせてしまった。まじめに仕事をしただけなのにね。キーワードは「あざとい」「ぶりっ子」にある。

 しかし、2000年代に入る手前で、異変が起こる。覚えているだろうか、ミッチー・サッチー騒動を。浅香光代が野村沙知代に噛みついて、ワイドショーも女性週刊誌もこの熟女バトルを煽りに煽った。金銭に関する不透明な部分、学歴詐称などサッチーの私生活は総バッシング。芸能人や有名人のプライベートを吊るし上げるのが、庶民の娯楽となったひと幕でもある。

「プライベートや言動」が叩かれる時代に

 学歴詐称に年齢詐称、残念な家族の素行の悪さなど、芸能人のプライベートは格好のネタに。2000年代後半にはSNSも台頭、ますます私生活探り&叩きは盛り上がっていく。

 つまり、日本のドラマが低迷期に入った時期でもある。品のいいご婦人たちはこぞって韓流ドラマへと流れ、日本では“ドラマ離れ”が始まったのだ。ドラマの役柄が話題になる率は激減。

 そのかわりに、女優たちはバラエティー番組や記者発表などの場での発言が叩かれるようになっていく。

 ぶんむくれた態度で発言した「別に」がバッシングされた沢尻エリカも、映画の舞台挨拶の場だった。本人の性格や態度、素行が餌食になる流れが確立する。

 2010年代には、さらに権力や富裕層を叩く方向へ。「大手事務所のゴリ押し」や「億万長者とセレブ生活」は、嫌儲主義の民から監視されるように。もはやテレビはメインのメディアではなくなっているため、主に芸能人のSNSが漁場だ。と書くと、どうしても剛力彩芽と紗栄子が頭から離れない。常に、相手の男か、金にまつわる話でしか注目されないという点で、このふたりは近い気がする。

 また、俎上に載せられるようになったのは素人参加型の恋愛リアリティーショーだ。古くは『あいのり』に始まり、『テラスハウス』『バチェラージャパン』あたり。叩く矛先は素人や一般人にも広がっていく。恋愛に対する志向と戦略がダダ漏れとなる構成だから、策士っぷりや腹黒さが出るわけで。アンチもつくのだ。

 リアルに不倫がバレた人も根深く長く叩かれ続ける。間男を家に入れていた矢口真里や、涙の会見の裏で舌出してほくそ笑んでいたことまでバレちゃったベッキーは叩かれまくりだ。ただし、斉藤由貴ほどの不倫の手練れになると、パンツをかぶった相手の男性のほうが注目されるという不思議な現象へ。魔性も度を超えると許されるし、不倫も貫けば純愛に。事実は小説よりもドラマよりも奇なり。

 ここ最近のドラマではどうか。『あなたのことはそれほど』の波瑠(罪悪感フリーで不倫する)や『中学聖日記』の有村架純(教え子の中学生男子に恋をする)あたりでざわついたもののバッシングまではいかず。むしろ『セシルのもくろみ』の宣伝をSNSで張り切りすぎた真木よう子が、ドラマとは関係ないところでバッシングを受けたのだ。

 つまり叩かれる女は「ドラマで演じる役」から「プライベートや言動」へ。さらに対象は「非芸能人」にまで広がったというわけだ。

 '80~'90年代と比べて、「あざとい」の意味も変わってきた気もする。今、若手女優で叩かれがちなのが、広瀬すず・松岡茉優・吉岡里帆・水原希子あたり。自分の見せ方を熟知しているところが「あざとい」ととられる。自分の意見をはっきり言うところも叩かれやすいようで。でも、意見を言う女が叩かれる傾向はちょっと不穏だ。女優は生意気であざといぐらいがちょうどいいと思っている。

(文/吉田潮)


吉田潮  ◎コラムニスト。1972年生まれ、千葉県船橋市出身。法政大学法学部政治学科卒業後、編集プロダクション勤務を経て、2001年よりフリーランスに。週刊誌や新聞で連載をもち幅広く執筆。『Live New sit!』(アレコレト!コーナー、月・火・金)、『週刊フジテレビ批評』(フジテレビ)のコメンテーターも務める。主な著書に『産まないことは「逃げ」ですか?』など。