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 聞き慣れない人も多いかもしれない。不妊治療のひとつにAID(Artificial Insemination by Donorの略)というものがある。これは男性側に不妊の原因がある場合に、第三者の精子を用いて人工授精を行う方法だ。日本語では『提供精子による(非配偶者間)人工授精』などと呼ばれる。国内では1948年に慶応大学病院で初めて実施されて以来、数万人の子どもたちがAIDによって生まれてきたとされる。

体外受精からAIDに流れる傾向あり

 用いられる精子は、病院が手配する学生ボランティアから提供を受けるケースが多い。提供者は匿名であることが基本だが、親族や知人という場合も。最近は海外の精子バンクや、ネット上の個人ボランティアから入手する例も増えている。

 日本産科婦人科学会は、AIDは原則的に男性が無精子症の場合に限り実施すべきとしているが、東京・代々木にある、はらメディカルクリニックの原利夫先生はこう話す。

ここ10年ほど、体外受精を何度も試みて失敗した人たちがAIDに流れてきています。夫が無精子症のご夫婦よりも、ほかの治療法がなくてAIDを選択するケースが多くなりました」

 だが見知らぬ他者の精子を体内に入れ、その子どもを産み育てるという状況は通常では少々考えづらい。AIDを行う夫婦は、抵抗を感じないのだろうか。

「ずっと不妊治療を続けてきた人たちは『妊娠すること』が目的になっていて、血縁の有無を気にしなくなる傾向があります」(原先生、以下同)

 勢いで子どもを持つようで、危なっかしく感じられる。そこで同クリニックでは、AIDの治療を希望する夫婦に対し、事前説明や意思確認を慎重に行っているという。

「不妊治療中は“欲しい、欲しい”と気持ちが膨らむので、子どもが生まれてからわれに返り“血のつながらない子どもを可愛く思えない”などという人も現れかねません。それでは生まれた子どもがかわいそう。

 だから、うちのクリニックでは、事前に必ず説明会やカウンセリングにご夫婦で参加してもらい、AIDについてよく学び考えてもらうようにしています」

真実告知は絶対にするべき

 最初の説明会に参加してから治療開始までにかかる期間は、早くて3か月から半年ほど。その間に頭を冷やし、夫婦でじっくりと話し合ってもらうのだという。それでも生まれた後、何年かして「私たち夫婦から生まれたというには頭がよすぎて、周囲から似てないと言われる」などといった“クレーム”がきたこともあったという。

 同クリニックでは生まれてくる子どもへの、真実告知も強く推奨する。真実告知とは、父親と血縁がない事実を子どもに伝えること。養子縁組家庭や再婚家庭でも行われる。

「AIDを希望するご夫婦には、真実告知は絶対にしたほうがいいと伝えています。子どもが小さいうちから“あなたはこんなふうに生まれてきて、精子提供者はわからないけれど、私たちの子なんだよ”と伝えておけば、子どもは安心するでしょう。黙っていればわからないだろうと親は思っても、子どもは敏感だから隠し事を察するし、大きくなってから事実を知ると裏切られたと感じて傷つきます」

 なおAIDの件数は近年、増加傾向にあるものの、実施する病院は減っているという。原先生は理由のひとつを「管理費やその後の相談処理などに手間がかかるため」と推察する。

 また昨今は『子どもの出自を知る権利』が重視されるようになり、提供精子の確保が難しくなってきたためだ。出自を知るというのは、子どもが遺伝上のルーツを知ること。AIDであれば精子提供者が明かされることになる。海外では成人した子どもが希望した場合、提供者の情報開示が義務づけられている国もあり、日本でも今後、同様の方向に進む可能性は考えられる。

 慶応大学病院は2年前から精子提供者を募る際、将来的に提供者の情報が開示される可能性を伝えるようになったところ、提供者が不足して現在はAIDの初診受付を中止中だ。はらメディカルクリニックでは現状、提供者は確保されているというが、今後どうなるだろうか。


《PROFILE》
原利夫先生 ◎『はらメディカルクリニック』院長。医学博士。日本初の体外受精凍結受精卵ベビー誕生のスタッフとして活躍し、生殖生理学、精子学が専門。