土蔵を改造したレストラン「WANY」の3階にある太宰治コーナー

《恥の多い生涯を送って来ました》

 忙殺の日々から逃れ、津軽藩の歴史のにほひが幽(かす)かに残つてゐる景色を眺めていると─、思わず太宰治のようなことをつぶやいてしまった。

 それもそのはず、ここは青森県南津軽郡大鰐町にある「ヤマニ仙遊館」。太宰が20歳のときに初めて自殺未遂を起こした後、母・タ子(たね)とともに静養した旅館だ。彼はここで何を思ったのだろう……と、若き日の太宰をなぞることができるとあって、多くのファンが訪れるスポットなのだ。

太宰が母と訪れ静養した大鰐温泉

「太宰が静養した部屋は“菊の間”か“藤の間”と伝わっています」と教えてくれたのは、5代目当主の菊池啓介さん。かつてはセレブご贔屓(ひいき)の湯治場だった大鰐温泉には、大地主だった(太宰の)津島家も足繁く通っていた。太宰もまたここに愛着を覚えていたことが、自伝的小説と言われる『津軽』から見てとれる。

《やはり浅虫のやうに都会の残杯冷炙に宿酔してあれてゐる感じがするであらうか。(中略)大鰐温泉は都会の残瀝をすすり悪酔ひするなどの事はあるまいと私は思ひ込んでゐたいのである》

 太宰は、同じく青森県を代表する浅虫温泉を当時「都会的で悪酔いする」と評する一方で、津軽の風情が残る大鰐温泉には親しみと郷愁を綴(つづ)っている。

「自殺未遂時、金木町長だった彼の兄・津島文治がトップ当選で県議になっていた事情もあって、家庭内外は慌ただしかったようです。そういう状況下にあって、お母さんが当館へ電話をかけてきたそう」(菊池さん、以下同)

太宰が泊まったという部屋。ゴロンと寝転ぶもよし

 世間体もあったのだろう。複雑な家庭事情が太宰を“こじらせ男子”にさせていったのかもしれない。さぞ意気消沈していたかと思いきや、そうとも言い切れないらしい。

「太宰は、結果的に生まれて初めて母と2人きりのお正月を迎えられることで、心を弾ませていたとも。元気な姿を見せることが、親孝行になると考えていたようです」

 自分で騒動を起こしながらも実はウキウキしていたなんて、さすが人間失格! ヤマニ仙遊館は酸いも甘いも噛み分けた、まごうことなき太宰の青春の1ページなのだ。

あまりの居心地のよさに“人間失格” 

 1897年に造られたヤマニ仙遊館は、威風堂々のひと言に尽きる。本館と土蔵は国指定の有形文化財に登録され、重厚感のあるY字路階段や、趣きのある廊下は「これぞ逗留湯治!」と見惚れる。

 ゆえに館内のどこで写真を撮っても、太宰おなじみの“左手で頬杖をつくポーズ”になってしまうのも致し方ない。

 部屋の広縁の窓からは、彼が思いふけって眺めたか、平川や阿闍羅山が見渡せ、和室に置かれた津軽塗の座卓は旅情感を増幅させる。それでいて、1人7000円前後(平日/素泊まり)といううれしいお値段。ここで静養していれば《メロスは激怒した》ことにはならなかっただろうに。思いっきり太宰に感化された文章を書いてしまい、私はひどく赤面した。

 もちろん、ご飯も美味しいんです。朝食は、伊藤博文(ヤマニ仙遊館に泊まったとされる)の書が飾られた広間で郷土料理の和定食をいただく。

朝食は、小鉢が多いのがうれしい「津軽のカッチャおかず」。カッチャとは、津軽弁で「かあさん」「おばちゃん」の意味

 地元名産物の大鰐温泉もやし、大鰐温泉熟成味噌など、太宰も口にしたであろう郷土の味を静穏な空間で楽しめるのは、なんとも贅沢。

 都会の空気に悪酔いした心身に、ふるさとの味が沁みわたります。

 夜は、本館に隣接する土蔵をおしゃれに改築したレストラン「WANY」で、打って変わって洋食(別途料金)が味わえる。

 朝夜和洋のコンビネーションに、太宰なら嬉々と延泊することだろう。まさに居心地がよすぎて幸福感に包まれる、“人間失格”になってしまいそうな宿。

外国人を意識したリニューアルで見事復活

 それにしても、なぜ今になって“太宰ゆかりの宿”として脚光を浴び始めたのか。

「先代以前は昭和のレジャーブームにも影響されず、派手な投資もせずに、地道に旅館を営んできた。PR含め、太宰を売りにするようなこともしてこなかったんですね」

太宰治の小説にも登場した大鰐温泉。築造当時の面影が今でも残る

 バブル崩壊後は大鰐温泉も例にもれず、苦しい時期が続き徐々に活気は失われ、'15年の春にはヤマニ仙遊館も温泉街全体の客の落ち込みなどの理由からいったん休業する。

 その後、本格的にバトンを引き継いだ啓介さんは、国指定の有形文化財への登録や土蔵の改装を手がけるなど、外国人客や個人客の関心を集めやすいように奔走する。

 そして、昭和の好景気時に大鰐の多くの旅館がホテル風に改装される中、リニューアルされることなく、築造当時の面影と津軽の風情を残していたヤマニ仙遊館。この偶然の産物も手伝い、今年春に4年ぶりに営業を再開するや否や、話題の宿によみがえったという、まるで小説のような話。

「太宰が過ごした古きよき大鰐温泉と、新しい大鰐の魅力をうまく混ぜていきたいです。大鰐温泉に活気を取り戻すためにも、当館が率先して魅力を発信していきます」

『津軽』に書いてまで伝えたかった“悪酔い”とは無縁の大鰐の姿。泊まってみて、それがよくわかる宿だった。

《幸福感というものは、悲哀の川の底に沈んで、幽かに光っている砂金のようなものではないだろうか》

 没落した津島家をモデルに『斜陽』を書き上げた太宰。

 しかし、彼が家族で過ごした思い出の大鰐温泉は再び、光り輝こうとしている。


ヤマニ仙遊館
青森県南津軽郡大鰐町蔵館村岡47-1
アクセス:JR大鰐温泉駅より徒歩12分
東北自動車道弘前大鰐インターより車で15分
TEL:0172-48-3171
詳細と予約は https://senyukan.com/

取材・文/我妻弘崇