DVに悩んでいるという彼女が、「誰にもずっと言えなかった」と切り出した話は…(写真はイメージです)

 今から10年ほど前、「DVに悩んでいる」という1人の女性が訪ねてきました。

 私はその一言で、「夫からのDV被害者」だと思い込み、話を聞かせてもらうために席に促しながら、シェルターや保護団体のリストをプリントアウトする準備を進めました。

 相談者は当時29歳の里美さん(仮名)。

 きれいにお化粧をしていてもまぶたが浅くくぼみ、目の下にクマがはっきり浮き出ていたのを今でも覚えています。

DV被害者だと思ったら「加害者」だった

当記事は「東洋経済オンライン」(運営:東洋経済新報社)の提供記事です

「親にも誰にもずっと言えずにきたんです。でもやっぱり変だなと思って、気がおかしくなるのではないかと自分自身が不安になってきました。最近では夜も寝れず、ほとんど睡眠がとれていない状態なんです。食欲もなくてずっと不安とイライラが交互に現れる感じで……」

 軽度のうつ状態だということはすぐにわかりました。

 里美さんは続けます。

「夫のことをすごく愛しているんです。むしろ好きすぎて、ずっと一緒にいたくて、子どもが生まれる前はよく夫の仕事も手伝いにお店に出てました」

 ご主人は自宅近くでレストランを数店舗経営されているやり手です。

「夫はお店に出ているので、いつも帰りが深夜の3時頃になるんです。営業時間を考えると仕方のないことだとは思うのですが、その後にスタッフと飲みにいったり、ミーティングしたりで朝になることも時々あって……。仕方がないと頭ではわかっていても、夫の帰りが3時を超えて少しでも遅くなると許せないんです。

 “遅くなるから寝てて”と言われても、ほかに女がいるんじゃないかとか、このまま帰ってこなかったらどうしようとかいろいろ妄想してしまって。しかも、深夜にいつも帰ってくるから夫は昼過ぎまで寝ていて育児はすべて私。年子で女の子が2人いるので手いっぱいになると子どもにきつく当たってしまって娘2人はいつも泣いている状況なんです。子どもが泣く姿を見るたびに自己嫌悪になってものすごく落ち込んで今度は食事がのどを通らなくなるんです」

 話を聞きながら私はシェルターと保護団体のリストを開いたままパソコンをそっと閉じました。

 加害者は、夫ではなく、里美さん本人だったのです。

 どのような暴言や暴力行為があるのか、具体的に聞いてみることにしました。

「この間は、寝ているところを思いっきり上から踏みつけました。あとは時々玄関にチェーンをして家から閉め出します」

「土下座して謝らせます。この間は土下座した夫の頭を蹴りました」

 聞けば聞くほど重症です。

 しかも「好き」という感情が「支配」や「怒り」に転換されてしまって本人も整理できずにいます。

「ご主人は抵抗しないんですか? ご主人から逆上されるとか、嫌われるとかの不安はないのでしょうか?」

「夫は優しいし男気が強いので、絶対女には手を出しません」

 彼女の振るった暴力でアザだらけになっても、「男」だから誰にも言わない――というより、話せない。男は女より力があるから仕返しせずに耐えるしかない。そういったところでしょうか。

「里美さん、あのね、もちろん自覚されているから来てくださったんだと思うのですが、やはりね、夫婦といえど、暴力は犯罪なんです。暴力を振るってしまう前にいったん一呼吸おいて自分の心をコントロールしてみたりは試されましたか?」

「気がつくと大きな声を出してて、手も出してしまってるんです。突発的にキレてしまって、その後本気で死のうと思うほど落ち込みます」

そもそもなぜキレやすくなったのか

 結論から言うと、きっかけは育児ノイローゼでした。

 4年前に第一子が生まれてすぐ、ご主人も新店オープンなどで忙しく、家を空ける時間が多く、ほとんど育児参加できずにいました。里美さんは専業主婦なので、「すべて妻がやって当たり前」という感情もご主人にはあったのかもしれません。

 里美さんのご両親は車で2時間ほどの隣の県にいるので、そう気軽に手伝いを頼める環境ではありませんでした。里美さんは初めての育児、3時間ごとに母乳で起こされる睡眠不足を淡々と1人でこなすしかなかったのです。

 そんなある夏の日、寝不足と赤ちゃんの泣き声で精神的に追い詰められていった里美さんはついに発狂してしまい、扇風機を壁に向かって投げつけ、破損させてしまいました。

 この頃から、寝ている夫のほっぺをつねる、ほっぺをたたいて起こすなど、少しずつ夫への暴言や暴力が加速していったと言います。

 里美さんはもともとはおっとりしたタイプだったといいますから、人というのは環境によってどのようにでも変われてしまうのだと改めて感じました。

 私が今回のご相談で何より心配だったのは、年子のお嬢さん2人のことでした。

「お子さんには手上げてしまうことありますか?」

「子どもは本当にかわいいんです。大きな声で叱ってしまうことはありますが、子どもに手を上げたことはありません」

 これを聞いて少しほっとした私は続けて尋ねました。

「お嬢さんお2人についてですが、保育園や幼稚園で忘れ物が多かったり、時間などの約束を守れなかったり、ぼーっとしていることが多いなどといったことを、園の先生から指摘されたことないですか?」

「それって何か関係あるんですか? うちの子2人はもともとぼーっとしてるタイプだとは思うのですが……」

 子どもの忘れ物や時間を守れなくなるといった症状は、両親のけんかで心が傷ついている子ども、家庭環境にやや問題が潜んでいるといった場合に見られることが多いのです。

 心の核となる人格は「4歳までに完成する」といわれていますから、この幼少期の心の成長時期というのはとても重要な時期になります。

 子どもの精神衛生上も考えるとなんとかしなくてはいけません。

「よいメンタルクリニック」とは?

 まずは1度心理療法士がいるメンタルクリニックに行くように勧めました。

 要らぬ妄想をして暴力を振るってしまうといった認知の歪みもさることながら、睡眠がとれず食も細くなってしまっている状態では、脳のパフォーマンスが悪くなって余計にイライラや不安が強くなりますし、里美さん自身のカラダも明らかに悪化してしまいます。

 薬に抵抗がある方も多いかと思いますが、ケミカルな向精神薬ばかりでなく、癇癪(かんしゃく)を抑えたり、イライラや不安などを沈める漢方薬もあります。精神薬をバンバン出すようなところではなく、漢方なども上手に組み込んで、かつ体調や副作用の様子も見ながら最小限に薬を処方してくれる先生もいますので、できれば口コミなどを見てそういった先生のいるクリニックを探されるといいです。

 もちろん、カウンセラーや心理療法士がいる専門クリニックでしたらなおのことよろしいかと思います。

 そして、次に提案したのは、「ご主人と距離を置くこと」です。

 同じスペース、つまり同じ家、同じ空間にいるというだけで、「私物化」という意識が芽生えてきてしまうものです。同じ空間で生活していると嫌でも目に飛び込んでくるものもあります。

 夫婦とは、時間とともにお互いの生活の癖に慣れていく、受け入れていく、歩み寄っていってこそお互いに尊厳のある生活が送れるものです。しかし里美さんのようにそれができず、ましてや暴力まで振るってしまっている場合は、物理的に距離を置いて、干渉しすぎない環境を作ることが望ましいです。

 パパとママがけんかしてばかりで、お嬢さん2人も心に傷を負ってしまっている状態です。里美さん自身も1人で息切れしながら育児を頑張る状況は限界を超えています。実家でご両親に子育てを手伝ってもらえば、少なくとも今の孤独感からは解放されるでしょうし、育児ノイローゼも軽減するでしょう。里美さんも1人で家に閉じこもっているよりも、少し自分の時間を作って外の空気を吸ったほうがいいです。

 全員のために、少しでも早く心穏やかにいられる環境を作るのが最優先です。

 里美さんは頭の片隅のどこかで誰かにそう言ってもらえるのを待っていたかのように、素直に話を受け入れ、1週間もせずして子どもを連れて帰省しました。

 それから1カ月が経った頃、里美さんからメールが届きました。

 メールでは、飲み始めた抗うつ剤に対する眠気症状の不安などが冒頭にありましたが、メンタルクリニックの先生ともきちんとコミュニケーションがとれているので安心ですという報告とともに、

「お陰様で今はイライラもなく子どもたちと穏やかに暮らしています。実家の両親も孫たちと一緒にいられるのがうれしいみたいです。夫とも電話では冷静に普通に話せています。あの生活に戻るのかと思うと自分自身が怖くて仕方がないので、まだしばらくこっちにいようと思っています」とありました。

長期帰省から「別居」へ

 里美さん夫婦は今でも離婚はしていません。ご主人自身、子どもとの関係、家族関係は大切にしたいので離婚を望んでおらず、生活費もしっかり賄っています。「お互いに穏便に暮らせる環境を手に入れた」ということで、お互いが納得しているのです。

 今では、ピアノの発表会や参観日などの子どもの行事のときにはご主人が出向き「通い夫」として家族で楽しく一緒にいる時間を大切に過ごしているそうです。

 もちろん、別居してからは里美さんによるご主人への暴力もなくなりました。

 何よりお嬢さん2人がずっと泣いたり、不安でうろうろしたりという状態がなくなったことを聞いてホッとしました。

「どんな状況であれ、夫婦がそろっていればいい」というものではないのです。「幸せの距離感」というのはその家族それぞれにさまざまなのです。

 DV問題は、決して男性加害者ばかりではありません。

 被害者の身の安全を確保してメンタルセラピーを受けるのももちろん重要ですが、今回の里美さんのように、加害者本人にもぜひセラピーを積極的に受けていただきたいです。

 幼少期のトラウマ、心の整理の仕方、物事を見る角度を少しずつよい方向に変えていく心のプログラムもあります。被害者だけでなく、加害者も同じように心のコントロールを少しでもできるようになると、今より少しだけ生きやすくなるかもしれません。


鈴木 まり(すずき まり)◎生活カウンセラー 日本女性ヘルスケア協会長、株式会社ロサ代表取締役、アーユルヴェーダサロンROSA並びにジョホレッチスタジオを運営。大学・専門学校では心理学を専攻。西洋医学、東洋医学、心理学の広い分野から、カラダ、メンタル、環境、生活全般において年間約600名の女性たちの悩みに接している生活カウンセラーでもある。著書『48手ヨガ~江戸遊女に学ぶ女性ホルモンと体力活性法』(駒草出版)。