小森純としげるちゃん

『しげログ』は商品プロデューサーとして活躍し、海外のファッション・流行などをナビゲートしているしげるちゃんが毎回「会いたい人」と「好きなお店」で対談! ゲストの“素”を引き出しちゃいます。第2回目のゲストはファッションモデル・タレントの小森純さん。旧知の友人のふたりがそろって盛り上がらないわけがない! それでは……カンパーイ!!

* * *

しげる「お久しぶりだね~! 今回のお店はLUNCHとかでよく来るんだけど、パティシエさんがいて、スイーツ作りがお上手なので今日は、アフタヌーンティーのスイーツを用意してもらったの~」

小森「きれい! いやいや素晴らしいよ!」

しげる「じゃあ、さっそくだけど、純ちゃんが『タレント・小森純』になったころのことを教えて!」

小森「出生から話して20ページくらい特集してもらってもかまわないよ私は(笑) 高校生のとき、『EGO SYSTEM』ってファション雑誌があったんだけど、友達の紹介で“撮影に行けばネイルとか美容室代とか無料なんだよ~”って言われて。高校生ってお金ないじゃないですか。そのころは編み込みとかドレッドがはやっていて、それも無料でやってくれると聞いて5、6人で始めたの

しげる「高校生にとっての美容代は高額だもんね~、編集部の方々が髪もネイルもしてくれてきれいになって、撮影までできるなんて魅力的だったろうね」

“共感の時代”に生まれたカリスマモデル

小森「カメラの前で笑ってればいいか、みたいな。その後、ウチの学校の先輩が『Ranzuki』っていう雑誌やってて、そこも紹介してもらって。その先輩が『Popteen』にも出てて、編集の人から“『Ranzuki』に出てる小森純ちゃんて同じ高校なの? もしアレだったら紹介してくれない?” と言われたみたいで、その流れでたまたま『Popteen』でもモデルデビューすることになったのね」

しげる「なるほど!!  当時のギャル雑誌って、モデル事務所に所属するというよりかは、誰かのつながりが大きかったんだね!」

小森「そうそう。でも向上心とか、人気者になりたいとか全然なかった。“呼ばれたからラッキー、行こう!”みたいな。“お金もらえるイェイ!”みたいな。それぐらいの感覚だったんじゃないのかな

しげる「つまり、学校の延長の部活動みたいなもんだッ!」

小森「そう! まさしくそれ!」

しげる「当時、純ちゃんを見てて印象的だったのが、ブログに“〇〇君と付き合いました!”、“別れました!”って全然隠さずに普通に書いてたじゃん? 人気者はそういったプライベートの恋愛については『隠す』って印象があったから、めちゃカルチャーショックだったの

小森「いやだから別にそういうさ、何をやろうがさ~、そういう世代なのよ! でも『Popteen』のときは付き合ってた彼氏もけっこううるさかったから、“朝、撮影行く”とか言うとさ”撮影とか言って調子乗ってんじゃねーよ”みたいな感じで言われて、“何コイツ? 別にウチpopteenに執着してねーし!”とか思って。ムカついて、当時の編集長に“彼氏もうるさいし、もう『Popteen』出ない”って言ったこともありました。そしたらその編集長が女性だったんだけど、すごい男前の方で、“その男やめて、いいから私について来い!”みたいな感じで(笑) で、長々出てたんだけどね~」

しげる「その女性編集長カッコいい!最近、思うんだけど女の子たちが共感するところって『隠す』ってことじゃなくて『正直』に素を見せることなのかもね~。ほら純ちゃんって、いわゆるスラッとしたモデル体形というわけではないじゃん? 胸もないしね……(笑)」

小森「あの…ディスるのやめてもらってもいいですか(笑)」

しげる「ごめんごめん(笑)。純ちゃんたちの前の世代は“顔小さすぎ、何頭身!?”みたいな子たちが服着てて“可愛い!”ってなってたのが、“共感の世代”っていうのかな、カルチャー的にいうと“自分らしく、等身大なのがいい”時代になったんだと思うの」

小森「あ、確かに“等身大”ってすごい言われてた! このままでいいんだ! 的な。別に直すつもりもなかったけど(笑)」

しげる「そんなギャル時代の真っただ中に、テレビの世界へ入っていったじゃん!?」

小森「踏み込んじゃいけない世界に(笑)」

しげる「そのころは、まだ純ちゃんとは出会っていなくて、番組で見るようになって『ぶっちゃけ具合』半端ないなぁ~って面白おかしく見ていた記憶があるんだけど。ギャルからいきなり、自分がテレビで見るような人たちの世界に入っていってどう感じた?」

小森「怖かったですよ。芸人さんとか、私のことを煙たがっていたと思う。収録のときに隣に座っていたまあまあ大御所の芸人さんから小声で“小森さん、黙って”って言われたこともあったし

しげる「しげる、そんなこと言われたら帰っちゃう……!」

テレビに対する執着心は何もない

小森「当時は私みたいなギャルが物珍しかったのか、とりあえず“ぶっちゃけ〜”っていっとけば、周りが笑ってくれた。“ぶっちゃけ”って言葉だけで大人が笑うんだみたいな。すごい不思議な世界だなって。“彼氏と音信不通”と言ってみたら“音信不通”という言葉がテロップになってスタジオが大爆笑に包まれてたし

しげる「“彼氏と音信不通”って、普通に友だちとの会話で出てくる言葉だもんね。それがなんでこんな盛り上がるの? って話でしょ? でもテレビ的にはその“ぶっちゃけキャラ”がウケていたわけだよね。それまでは誰が見ても彼氏いるだろう、って子が“え? いません!”とか言ってて、それが予定調和みたいな時代でもあったよね」

小森「あ~! いたよね。あれはもうお仕事だから。かわいそうだなぁ」

しげる「あの頃から、視聴者もそういった『嘘』や『隠し事』に見飽きるようになってきていたから、“潔さ”がウケるようになってきたんだろうね」

小森「当時の読モはラッキーだったんじゃないかな。それが許されていたっていうのは」

しげる「そうね~!『ぶっちゃけトーク』で面白いし、隠すことなく、何でもハッキリと言っちゃう人が登場することが当時は新鮮だったんだと思う」

小森「でも当初は緊張もしたし、何をして良いかもわからなくなって泣きそうになって事務所の社長に“私は別にテレビに出たいわけじゃない!”って泣きついたこともあったよ。普段の自分が出せるわけじゃないし。

 そしたら社長が“やりたいことをやりなさい。思ったことをいってきなさい。何になっても良いから、自分が思うことをいってきなさい”っていってくれて。そこで楽になって“今まで通りでいいんだ!”って

しげる「素敵な社長さんね」

小森「そう。海外のロケ行った時に『お土産を買いましょう』ってコーナーになって、目の前にTバックがあったの。それをデニムの上から履いて、“こんなんだったらケツ毛出ねぇ?”とか“毛まみれなんですけど!”とか言いまくってて。深夜番組で(笑)

しげる「深夜だからアリだったのよね(笑)」

小森「結局それを“アナウンサーにプライベートで履いて欲しい”っていうので持って帰ってきて──。その番組を『サンデージャポン』のスタッフが見ててくれたみたいで、“あのギャルバカなんじゃないの”みたいな。“あのギャルヤバイっぽいよ”みたいな。で、『サンジャポ』に呼ばれてウワーッと世間に認知されるようになったの」

しげる「なるほど~! 自分で思うブレイクのスタートはそこだったんだネッ! でもほんと純ちゃんってどの番組でも素のまんまだったよね」

小森「現場でもワガママだったよ。やりたくないことは“やりたくない、聞いてない!無理!”って。例えば“バンジージャンプ飛びなさい”って、急に言われて、“ヤダヤダやりたくない!”ってなったの。結局最後まで“何言ってんの?絶対やんねえ!”って。そこらへんはずっとギャルのままだった。そこに“私が飛びます! 逆に飛ばせてください!”って言ってたのが手島優(笑)

しげる「(笑) そんななかで、あの騒動('12年、ネットオークションの詐欺事件に加担したとして、多くの芸能人が巻き込まれた“ペニオク騒動”)が起こったわけだ。あれから、ここ何年はテレビはあんまり出てないよね?」

小森「うん。だって呼ばれてないもん」

しげる「(笑)それじゃあ、テレビから呼ばれたら出演する? それともテレビはもういいや! って感じかしら?」

小森「別にどっちでもない! 何に対しても執着ないんじゃない? 不思議なことに」

しげる「今?」

小森「昔から。テレビに対しての執着心は申し訳ないけど何もない! だって仕事はなくなるものと思ってやってたの。だって、遡(さかのぼ)ってもそうじゃん? ずっと継続して活躍している人なんて本当にひと握りってことでしょ? で、そういう人たちってのはやっぱり才能があったし、私にはないものだった。だから自分がそこに行けるものだなんて思ってもなかったから“いつか消える”ってずーっと言ってた。だから当時のマネージャーさんとかとは“消えるまで楽しもう”っていってた」

しげる「へーーー! そんな分析してたんだぁ~。そこは純ちゃんの潔さっていうのかな。世間というか、世の中の流れって残酷だなって思うときあるよね。いい時は盛り上げて、ダメなときは消え去っていく。一般人でも、大きな会社を辞めたら、今まで仲よくしていた人が急に、消え去っていったみたいな感じよ!」

小森「“消える”っていうか、私が何となく最近感じるのは、“そういう社会なだけ”って気がする。でも、ある意味、私はそういう商売なんじゃないかな? って思うな

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