神田沙也加

《突然のご報告ではございますが、私、神田沙也加は、村田充さんと離婚しておりました事をご報告いたします》

 12月4日、俳優の村田充との結婚生活にピリオドを打っていたことを自身のブログで報告した神田沙也加。発端は、『女性セブン』が報じたジャニーズJr.の秋山大河との不倫疑惑。11月下旬、秋山との深夜の密会現場をキャッチされたのだ。

「秋山さんは4人組グループ『MADE』のメンバーで、嵐やNEWSなどのバックダンサーも務めています。沙也加さんとの出会いは、7月に上演された舞台『SHOW BOY』での共演。8月には地方での公演もあり、そこでふたりの距離が徐々に縮まっていったそうです。最終的には沙也加さんが10月に村田さんとの家を出ていき、秋山さんは彼女の新居近くに引っ越したそうです」(芸能プロ関係者)

 この不倫報道への回答として、彼女は“すでに離婚していた”と発表。同ブログでは、離婚理由にも触れられており、

《結婚以来、子供のことについてずっと話し合ってまいりましたが、折り合う答えを見つけることが出来ませんでした。(略)結果、別々の人生を歩むという結論に至りました》

 沙也加と村田は、'16年夏の舞台共演をきっかけに交際がスタート。翌年4月には、沙也加のインスタグラムで父・神田正輝とのスリーショットとともに結婚を発表した。

結婚当初、沙也加さんは子づくりに関してわりと積極的だったように見えましたよ。舞台の共演者に“妊娠して舞台を降板した場合の違約金って、いくらぐらい取られるのかな?”なんて冗談で言っていたぐらいですから。その気はあったんだと思います」(舞台関係者)

松田聖子・神田正輝の娘に生まれて

 '17年9月、村田が耳の病気の療養のため、俳優業の休止を発表。これにも子づくり計画が関係していたようで、

村田さんはこの活動休止をきっかけに、自分が家庭に入って自宅でできる仕事にシフトしようと考えていたそうです」(村田の知人)

 彼の決意には、沙也加の家庭環境も少なからず影響していたという。

村田さんは、子どもができたら両親がともに芸能人なのはかわいそうだという考えがあったんです。沙也加さんは松田聖子さんと神田正輝さんの娘ということで、ずっと好奇の目にさらされてきた。それをいちばん近くで見ていた彼は、彼女の気持ちが痛いほど理解できていたのでしょう」(同・村田の知人)

 沙也加は、'15年に出版した自著『Dollygirl』(宝島社)で幼少期の体験をこう綴っている。

《卒園式のときに周りの父兄の方がざわざわしているのがわかって。「あれが!」「あの人が!」っていうざわつきが伝わって来て。そのときに、私の家には噂されたり、取沙汰される何かがあるのかもしれないって思うようになりました》

 同書では、中学時代に壮絶ないじめにあっていたことも告白している。

「昭和の大スター・聖子ちゃんの娘ですから、どこにいても注目を集めてしまう。沙也加さんが一時、芸能活動を休止していたときもマスコミに追いかけられたことは、そうとうショックだったそうです」(スポーツ紙記者)

 そのせいもあってか、聖子は沙也加と表立って関わることを徐々に避けるように。

沙也加さんが成人したころから“プライベートには関わらないし、母娘関係をアピールするコメントはしない”と決めたそうです。だからこそ、彼らの結婚披露パーティーにも、聖子さんは“娘の邪魔はしたくない”と出席しませんでした。でも、結婚報告直前には母娘で都内の高級フレンチレストランでお祝いをするなど、すごく仲はいいんですよ」(同・スポーツ紙記者)

離婚の翌日、ディナーショーを開催した“聖子ちゃん”は

 子どもを守りたいという思いは村田も同じだったという。

村田さんは自分たちの子どもには沙也加さんのような目にあってほしくないと思っていたんじゃないかな。彼はそもそも“主夫”願望があり、沙也加さんのプロデューサーとして裏方に回りたかった。“沙也加さんが仕事に邁進して、自分が子どもを育てる”という気持ちがあったと思いますよ」(前出・村田の知人)

 だが、いざ子どもをつくろうと思っても、沙也加のスケジュールは数年先まで仕事で埋まっていた。

彼女はテレビや映画というよりは、主にミュージカルの舞台を中心に活動する女優です。舞台の仕事というのは、大きい劇場の作品だと2〜3年先のスケジュールまで押さえられてしまうこともあります。そうなってしまうと、出産と育児のために沙也加さんがオファーを断って、女優業を休業しないといけない。でも、彼女はなかなかその決断に踏み切れなかったそうです」(前出・舞台関係者)

 なぜ子づくりに前向きになれなかったのか─。

「沙也加さんほどの女優でも、オファーを1度断ってしまうとほかの女優さんにとって代わられてしまう可能性があるんです。彼女としても、女優業を再開したときに“もう呼んでもらえないのではないか”という危機感はあったと思います」(同・舞台関係者)

 休業中の収入面も沙也加を悩ませる要因のひとつだった。

自分が仕事をできないということは、当然、夫である村田さんの収入に頼ることになります。でも、彼の仕事は安定した収入が見込めるものではなかった。将来への不安を覚えた沙也加さんは、結果的に舞台のオファーを受け続けることを選んだのです」(同・舞台関係者)

 そんな彼女の心のすき間を埋めたのが、秋山だったのかもしれない。彼らの親は、この離婚についてどう思っているのか─。離婚発表の翌日、聖子は神戸でクリスマスディナーショーを開催していたが、

何度も来ていますが、聖子ちゃんはプライベートのことを話さないんですよ。過去に母娘でショーに登場したときは多少話していましたけど」(ショーを観劇した女性)

 聖子は結局、自身の紅白出場についてはアピールしたものの、沙也加の離婚については無言だったという。

 一方、大阪に住む村田の母親に話を聞くと、

お話しできることはないんです、いろいろなことがあるので。でも、お互い勉強になったこともあったと思います。子どもは子どもでやっていますし、もう40過ぎた大人ですから。私から何も答えることはありません

 最近、村田は帰省しておらず、離婚のこともテレビで見て知ったとのことだった。

 昨年10月には、村田の地元で開かれた祭りで仲睦まじいふたりの姿が目撃されていた。さらには今年6月、村田の約1年半ぶりの復帰舞台となった朗読劇『私の頭の中の消しゴム』に沙也加も出演して夫婦の円満さを披露していたのだが─。新婚のふたりが直面した厳しい現実は“ありのまま”で乗り越えられる壁ではなかったようだ。