毎年、智子さんの命日には智子さんを偲び宴が行われている

 高層ビル群の夜景が見える窓際に、3枚の写真が並ぶ。所属していた大阪の劇団仲間と一緒に、白いバラを手に笑顔で、旅先のタイでビールグラスを片手に……。写真の隣には立派な白い花束が添えられ、「ともちゃんを偲ぶ宴」が、今年も始まった。

仲間に広がる戸惑い

 新宿歌舞伎町の居酒屋に集まったのは、川下智子さん(当時27歳)の友人14人。12年前にタイで殺害された命日と重なる、11月25日夜のことだった。

「ともちゃんは妹役が多かったよね」

「お芝居で悩んでいたとき、大阪城公園でよく悩み事を話し合った」

「いまだに、これだけみんなが集まるのは彼女の人徳。演劇への愛情が深く、笑顔が人懐っこいんです」

 智子さんは短大を卒業後、大阪市内のケーキ店などでアルバイトをしながら芝居を続けてきた。そんな当時の思い出話に花が咲いたが、今年は参加者の一部からこんな声も上がった。

「今回の報道に関しては正直、何の感情も起きなかった。タイは観光立国だから、捜査を頑張って継続していますというアピールにしか見えなかった」 

 今回の報道とは、今年秋、容疑者とみられるタイ人男性が捜査線上に浮上したことだ。 

 発生から12年が経過し、解決に向けて一筋の光が差し込んだかのように思われたが、むしろ仲間に広がったのは、突然の容疑者浮上に対する戸惑いだった。

 智子さんは2007年11月25日午後1時過ぎ、タイ東北部のスコータイにある歴史公園で殺害された。首には刃物で刺された傷が2か所あり、死因は大動脈を切られたことによる出血性ショック死だった。着衣の乱れはなかった。

 歴史公園は1991年にユネスコの世界遺産に登録され、仏教遺跡が点在している著名な観光地だ。事件の現場は、その公園の西側に位置する「ワット・サパーン・ヒン」と呼ばれる寺院だった。長さ約300メートルの石段を上った高台のような場所に、仏像が立っているのが特徴である。

 智子さんは同月上旬にタイをひとりで訪れ、国内やラオスを回り、事件前日にスコータイ入りした。宿泊予定のゲストハウスに向かったが、満室だったために荷物だけ預けて外出。深夜に再びゲストハウスに戻るも空き部屋はなかった。

 同日は「ロイクラトーン」と呼ばれる灯籠流しのお祭りで、外出する地元住民や観光客でにぎわっていた。智子さんは未明までカフェなどで時間をつぶし、朝になって自転車をレンタルしてワット・サパーン・ヒンへ向かい、被害に遭った。

今年も智子さんを偲び宴は行われた

物取りか、捜査難航

 智子さんの遺体は、石段の麓から4分の3ほど上ったところで発見された。高台がある頂上の仏像周辺には、折れて血痕がついたほうきや智子さんが所持していたペットボトルが放置されていたことから、智子さんは1度、高台まで歩いてたどり着き、そこで犯人に襲われたとみられる。

 高台から遺体発見現場までは約44メートル。犯人に応戦したが、ほうきが折れたため全速力で逃げ下り、さらに危害を加えられたとみられる。草むらにはその跡が残されていた。

 智子さんが首にかけていた貴重品袋には、現金2877バーツ(約1万400円、1バーツ=約3・6円)が手つかずのまま。ところがパスポートとデジカメが入ったショルダーバッグはなくなっていた状況から、スコータイ県警は、物取りの可能性が高いとみて捜査を開始した。

 犯人の有力情報提供者への懸賞金は200万バーツ(約720万円)まで引き上げられ、現場周辺の住民約200人からDNAサンプルの採取も行った。しかし、犯人の特定につながる有力情報は得られず、発生から6年後、捜査権限はスコータイ県警から法務省の特別捜査局(DSI)へ移行された。

 重要事件を扱う中央政府の捜査機関が管轄することで、捜査への進展が期待されたが、思うようには進まなかった。そして発生から12年目を迎えた今年秋、事件は急展開した。

今年の1月に行われた現場での献花

犯人と断定できず

 タイのソムサック法相は10月半ばに首都バンコクで開いた記者会見で、「事件発生時に現場近くにいたタイ人男性が、事件に関与した可能性を示す情報が寄せられた」と明らかにした。

 情報によると、男性は当時32歳で、現場から約1キロ離れた養豚場で働いていた。しかし、アルコールや薬物依存で精神的に不安定に陥り、数年前に別の事件に巻き込まれて死亡したという。

 これを踏まえて法相は、智子さんの衣服に付着した血液と男性の親族のDNA型の照合を行うと表明した。

 その鑑定結果は1か月後の11月半ばに発表され、ソムサック法相は会見で次のように述べた。

「男性が事件に関与したと断定することはできない」

 説明によると、智子さんの衣服に付着した血液から検出されたDNA型の一部が男性の親族のものと一致したが、犯人と断定するまでには至らなかった。このため、引き続き別の鑑定方法やほかの物証も参考に捜査を続行する方針を示した。

 発生以来、タイを9回訪問し、現場で献花を続けてきた智子さんの父、康明さん(71歳)にとっても、容疑者浮上には最初、複雑な気持ちを抱いた。

「今回の情報に一喜一憂することなく、周辺捜査を固めて確実に犯人へたどり着けるようお願いしたい」

 ただ、鑑定結果発表の会見を聞いて以降は、仲間の戸惑いとは裏腹に、気持ちに変化が表れた。

「別の鑑定方法で捜査を続行するとのことで一生懸命、取り組んでいるように見える。事件解決に向けて進展しているという感触を得ています」

(取材・文/水谷竹秀)


【PROFILE】
水谷竹秀(みずたに・たけひで) ◎ノンフィクションライター。1975年三重県生まれ。上智大学外国語学部卒業。カメラマンや新聞記者を経てフリーに。2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で第9回開高健ノンフィクション賞受賞。近著に『だから、居場所が欲しかった。 バンコク、コールセンターで働く日本人』(集英社文庫)など。