甚大な台風被害を考慮して延期となったパレード。直前まで衣装を熟考された雅子さま(11月10日)

「天皇・皇后両陛下は12月4日の午前中に『即位の礼』『大嘗祭』(だいじょうさい)を終えたことを奉告する『親謁(しんえつ)の儀』、午後に皇祖神の天照大神に感謝を込めて神楽を演奏する『賢所御神楽(かしどころみかぐら)の儀』に臨まれました。

 雅子さまは和装で、髪型を『おすべらかし』にして拝礼され、今年5月から続いた即位に関する一連の儀式がすべて終了しました。

 この日、儀式を終えられた雅子さまは、予定よりも20分ほど遅れて皇居をあとにされました。だいぶお疲れの様子だったので、少し休まれていたのかもしれませんね」(皇室担当記者)

 12月9日、皇后として初めてのお誕生日を迎えられた雅子さま。毎年、お誕生日に際してのご感想が文書で公に発表されるのだが、事前に配られる宮内記者会向けの配信が、少々遅れてしまったそうだ。

「テレビ・新聞などが所属する宮内記者会は、お誕生日の当日にご感想を報道する必要があるため、数日前に宮内庁から文書が配られます。

 今年は、お誕生日の3日前に配られるとアナウンスされていたのですが、直前になって“皇后陛下のご体調”を理由に、前日の配布に変更されたのです」(宮内庁関係者)

国民のために被災地へのお見舞い

 5月1日に『令和』が始まり、即位関連の儀式が本格化したのは10月から。『即位礼正殿の儀』当日に向けてのリハーサルや、全4回にわたる『饗宴の儀』、祝賀パレードや『大嘗祭』などの重要儀式や行事でご多忙だったことで、心身ともにお疲れになっていたのだろう。

 11月下旬には、皇位継承に伴う一連の国事行為を神武天皇や孝明天皇に奉告するため、三重、奈良、京都の各府県を訪問された。

11月23日、即位礼などが終了したことを奉告するため、皇室の祖先『天照大神』をまつる伊勢神宮内宮をご参拝

「療養中の雅子さまにとって、負担が大きいと言われている和装『十二単』をお召しになる機会も多かったのですが、即位行事にすべて出席できたのは、ひとえに皇后陛下の努力の賜物だと思います。

 だいぶお疲れになったと思われますが、ハードな日程を終えられて、陛下も安心されているのではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト)

 即位行事が一段落して、しばらく落ち着かれるかと思いきや、そう時間を空けずに陛下と東北地方に足を運ばれる予定だという──。

「12月26日をめどに、10月中旬に日本を襲った台風19号によって甚大な被害を受けた宮城県と福島県を、見舞われる方向で調整されています。両陛下が被災地に行かれるのは、お代替わりしてから初めてのことになります。

 皇太子ご夫妻時代には、東日本大震災の被災地である岩手、宮城、福島の3県を計9回も訪問されていて、雅子さまは毎年のお誕生日文書でも必ず触れられているほど、被災地に心を砕かれています」(前出・皇室担当記者)

お心遣いから祝賀パレードも延期へ

 11月9日に政府主催で行われた『国民祭典』でも、陛下は「被災された方々が安心できる生活が、1日も早く戻ることを心から願っています」と、台風被害に遭った被災者を気遣われた。

「両陛下は、台風の被災地をとても心配されていて、『即位の礼』のリハーサルをしていた時期から、早期のお見舞いを望まれていました。実は“即位礼より前に、一刻も早く被災地を訪れたい”という思いさえ、両陛下はお持ちだったそうなのです。

 しかし、被災した10月から11月は、即位関連の儀式で日程がつまっており、一連の行事が終わった12月下旬でのお見舞いに決まりました」(侍従職関係者)

九州北部を襲った豪雨で福岡県の自宅が全壊した高齢女性の手を握り、しゃがみながら励まされた雅子さま('18年9月)

 一方で、両陛下が被災者を案じる強い思いもあり、本来ならば10月22日に行う予定だった祝賀パレードもぎりぎりになって延期された。

「被災した各県から派遣する予定だった約1800人の警備用の警察官を急きょ他県からかき集めていましたし、直前で延期や中止にすると、関係者に大変な負担がかかるので、予定どおりに決行するだろうと言われていました。

 しかし、直前になって被災者への配慮を理由に延期になったのは、両陛下の思いが影響したことに間違いありません」(政府関係者)

 さらに雅子さまは、11月10日に延期された祝賀パレードの際にも、被災者に対してこんなこまやかなお心遣いを見せられていたそうだ。

「当日はティアラと純白のドレスをお召しになって祝賀パレードに臨まれた姿が、全国に生放送で中継されました。

 実は、雅子さまは“このドレスが苦しい状況にある被災者の方々にどう映るのか、華やかな衣装がはたして適しているのか”を熟考した後、衣装を選ばれたそうですよ」(前出・宮内庁関係者)

 そもそも被災地へのお見舞いは、'91年の上皇ご夫妻による長崎県・雲仙普賢岳から始まり、両陛下に受け継がれた。おふたりは、皇太子ご夫妻時代からたびたび被災地に足を運ばれている。

被災者と同じ目線でひざをつかれて

「両陛下は'95年の阪神・淡路大震災の発生時、外国訪問の日程を繰り上げて帰国され、2か月連続で被災地を見舞われました。東日本大震災時にも、ご体調が万全でなかった雅子さまの強いご希望で、ご夫妻で訪問を何度も重ねられたのです。

 昨年9月には、その前年の九州北部豪雨で被害を受けた福岡県朝倉市の仮設住宅で、避難生活を送る人々に寄り添われるなど、被災者に対する強いお気持ちをお持ちなのです」(前出・侍従職関係者)

 宮内庁OBで皇室ジャーナリストの山下晋司さんは、皇族が被災地を訪問されることには“3つの意味”があると次のように話す。

「皇室の方々が被災地を訪問されることで、被災者は励まされますし、その様子が報道されることで、被災地や被災者の状況を国民がより知ることになります。皇室の方々にとっても、災害というものを肌でお感じになることでしょう。

 テレビなどでご覧になったり、知事や関係者からの説明をお受けになるだけではなく、ご自身の目で見て、被災者の声を聞き、お声をかける、そういう直接的なご活動は国民とともに歩む皇室にとって非常に重要です」

長崎県の雲仙普賢岳で噴火被害に遭った住民を励ますため、ひざをつかれて目線を合わせた上皇ご夫妻('91年7月)

 上皇ご夫妻も平成のときに、被災地にたびたび赴かれていて、現地に足を運ぶ大切さを両陛下にもお伝えになっていることだろう。

 とはいえ、即位行事によってお疲れでいらっしゃる雅子さまはなぜ、一刻も早いお見舞いを希望されたのだろうか。それは、これまで国民から励まされたことが関係している。

皇室の方々は国家や国民のため、全身全霊をもってお仕事をされています。その一方で、非常に厳しい状況の中でも頑張っている国民の姿に、皇室の方々も励まされておられるでしょう。

 皇后陛下はまだ万全とはいえないご体調の中、努力されながらも被災地を訪問されると、国民からは喜びの声が上がります。そういう喜んでくれる国民の姿は、皇后陛下の力にもなるでしょう。

 現在は、皇室と国民の双方が喜び、励まされるという非常にいい関係が築けていると感じます」(山下さん)

 雅子さまの笑顔とお心遣いで、被災者の心も救われることだろう────。