1986年『女が家を買うとき』(文藝春秋)での作家デビューから、72歳に至る現在まで、一貫して「ひとりの生き方」を書き続けてきた松原惇子さんが、これから来る“老後ひとりぼっち時代”の生き方を問う不定期連載です。

※写真はイメージ

第17回
ひとり暮らしでも在宅で死ねますか?

 団塊の世代が75歳以上の後期高齢者となる2025年、国民の3割が65歳以上の高齢者になると予測されている。2015年の国勢調査によると、65歳以上の高齢者の人口は3346万5000人。そのうち、ひとり暮らしの人は17.7%で、65歳以上の6人に1人がひとり暮らしとなっている。今は夫婦二人暮らしでも、いずれどちらかが先に亡くなりひとり暮らしになる可能性は高いだろう。

 これまでは、ひとりといえば未婚の人を指したが、これからは、家族がいる人もいない人も、「ひとりで死ぬ」ことを念頭に置いて暮らす必要があるように思う。そのことからも、60歳を過ぎたら、最後はどこで人生を閉じたいか、施設か自宅かぐらいは、決めておくといいだろう。

 学校も修学旅行も嫌い、会社勤めも苦手だったわたしに、集団生活を強いられる施設の選択肢はないので、孤独でもはってでも、自宅でひとり終えたいと思っている。しかし、それはあくまでも72歳の現在のわたしの願望であり、実際にもっと高齢になり、身体が弱り、人も訪れなくなった自宅で、頑張れるのかわからない。そのことを考えると、胸がドキドキしてくるのでやめる。

 看護の専門家、介護保険に詳しい学者、訪問医に会うとき「ひとりでも自宅でちゃんと死ねますか?」と質問すると、みなさん口をそろえて「大丈夫ですよ」とおっしゃる。

 しかし、わたしは「そうですか」と、その言葉を鵜呑(うの)みにすることはできない。なぜなら、現在の介護保険は、介護する家族がいることを前提として作られているからだ。これはわたしの考え方だが、すべての制度は「ひとり」を軸に作るべきだ。本来は、ひとり者が主流となる未来を見据えて、制度も法律も見直すべきなのに、永田町の人たちは自分は安泰なので、「人はひとり」というのがわかってないのだ。ああ、国会からおやじを追い出し、男女比半々、30代・40代中心の議員構成にしないとだめだわ。

家族の世話があったから、ひとり暮らしが保てた

 こんな例が身近にある。先日、97歳で亡くなったひとり暮らしの女性Aさんだ。30数年前に夫が亡くなり、子どもたちは結婚して家を出た。そこから、彼女はずっとひとり暮らし。Aさんの息子のお嫁さんに話を聞くと、90歳までは元気だったが、92歳のときに圧迫骨折で歩けなくなり、介護サービスを使い始める。

 介護サービスの手配をしたのは、もちろん、所帯を持っているAさんの実の娘たちだ。介護保険を使い、毎日ヘルパーを頼んだが、生活のサポート全般、歩行の補助や食事、買い物の世話をしたのは家族だった。

 お嫁さんが言うには、家族4〜5人で当番を決めて世話をしたから、ひとり暮らしが保てたという。正直、世話当番は大変だったと語る。朝、当番でAさんの家に行くと、トイレの前で倒れていることもあり、ひとり暮らしの限界を見せつけられたと。

 また、当番の日でなくても、ヘルパーからしょっちゅう電話が来るという。「どうしますか?」と、いちいち家族に判断を求めるので、もうその連絡だけでヘロヘロになったとこぼす。在宅介護の大変さは、トイレの世話だけではないのだ。

 Aさんの場合、ひとり暮らしとはいえ、家族がいたので世話をしてもらえたが、家族のいないひとり身の人はどうなるのか。行政が駆けつけ、家族の代わりになり、いいように手配してくれるのだろうか。実例を聞けば聞くほど、「長生きはしたくない」という気持ちでいっぱいになる。しかし、どこまで生きるかは神の領域だ。

 いくら本人が在宅ひとり死を望んでも、ある時点で、ある年齢で、在宅死をあきらめざるをえないのかもしれない。その見極めが自分にできるか。いくら、ひとりで生きてきたと自負していても、最後の最後は、誰かの助けを借りないとならないのは理解しているつもりだが、実際にどうしたらいいか、今のところはわかりません。

介護疲れから『レスパイト入院』を利用したら

 ここでもうひとつ伝えておきたいことがある。Aさんの場合なのだが、今年に入り、介護に疲れてヘロヘロになった家族がケアマネージャーに相談すると、介護家族が休息できるよう、本人を2週間預かる『レスパイト入院』があると知らされ、飛びついた。

「レスパイト」とは「一時休止」「休息」という意味の英語で、介護疲れをはじめ、冠婚葬祭や旅行などの事情によって在宅介護が困難なとき、一時的に病院が入院の受け入れを行い、介護者がリフレッシュできるようにする仕組みだ。レスパイト入院と名前はしゃれているが、施設へのショートステイと違い、医師が必要と判断すれば、医療行為が行われる。

 入院した病院のドクターと話をすると「薬は心臓に悪いのでやめましょう。点滴も苦しいので」と、特に治療はしないということだったので、「よろしくお願いします」とホッとして帰った。しかし翌日、義母を訪ねると、酸素吸入器がつけられていたそうだ。事前にAさん家族に相談がなかったのでドクターに詰め寄ったところ、「はずすなら、ここに置いておくわけにはいかない」と、にべもなく断られたということだ。

 延命治療をしない自然死を望み、『日本尊厳死協会』にも入っている義母だったので、「延命治療はしますか?」と聞かれれば「しません」と答えただろうが……。家族もレスパイト入院は医療行為をされるのが前提だということを知らなかった。利用するなら、あらかじめ治療についてよく確かめてからのほうがいいだろう。

 最近は、長生き時代のニーズに合わせて、慢性期の疾患を扱う「療養病床」で在宅ケアできないお年寄りを受け入れる病院が増えていると聞く。

 医者は悪くない。医者は命を生かすのが仕事だからだ。レスパイト入院の知識がなかったAさん家族にも落ち度はあった。義母は、酸素吸入器をつけられなくても死期が近づいていたようで、数週間後に静かに天国に旅立ったということだ。


<プロフィール>
松原惇子(まつばら・じゅんこ)
1947年、埼玉県生まれ。昭和女子大学卒業後、ニューヨーク市立クイーンズカレッジ大学院にてカウンセリングで修士課程修了。39歳のとき『女が家を買うとき』(文藝春秋)で作家デビュー。3作目の『クロワッサン症候群』はベストセラーとなり流行語に。一貫して「女性ひとりの生き方」をテーマに執筆、講演活動を行っている。NPO法人SSS(スリーエス)ネットワーク代表理事。著書に『老後ひとりぼっち』『長生き地獄』『孤独こそ最高の老後』(以上、SBクリエイティブ)、『母の老い方観察記録』(海竜社)など。最新刊は『老後はひとりがいちばん』(海竜社)。