2度目の紅白出場となった'00年の『19』の2人。健治(左)と敬吾(右) 写真=共同通信イメージズ

 音楽不況といわれる昨今だが、ほんの少し時間を巻き戻せば、10代の若者がデビュー直後に数十万枚、数百万枚を売り上げるような夢のある時代があった。そんな時代に活躍した19(ジューク)──。

「'99年にリリースした『あの紙ヒコーキ くもり空わって』が大ヒット。デビューからわずか1年で紅白歌合戦への出場を勝ち取りました」(音楽誌ライター)

 19は岡平健治と岩瀬敬吾がともにボーカルを務めるデュオ。広島県出身の2人は、上京後に19を結成。『あの紙ヒコーキ〜』以降にも、'00年に『水・陸・そら、無限大』をリリース。同年に開催されたシドニー五輪の日本代表公式応援ソングとなり、2度目の紅白出場を果たす。しかしその後、人気絶頂といえる'02年に突然、解散した。

「不仲というわけではないようですが、徐々に音楽性にズレが生じたことで解散を選択しました。急な解散のため、事務所から違約金を請求され、最後のベストアルバムの初動売り上げの印税を放棄する形で支払ったそうです」(レコード会社関係者)

岡平健治は実業家として成功

 解散後、健治は自身がボーカルを務めるバンドで、敬吾はソロシンガーとしてそれぞれの道を歩みだした。

「健治さんは大ヒットによる多額の印税を投資に回し、その利益で起業。音楽事業だけでなく飲食店経営や不動産業など、ミュージシャンでありつつ多角的な実業家となり、現在も複数のビルを所有するなど成功を収めています」(前出・音楽誌ライター)

 一方の敬吾はというと──。

「ソロでもメジャーレーベルで活動していましたが、現在は自主レーベルを立ち上げ、ソロシンガーとして全国のライブハウスを回っています。規模的には数十人の会場が多い印象ですね」(同・音楽誌ライター)

 規模が大きければいいというわけではないが、19の大成功を考えれば、現在の活動は少し寂しさを感じてしまう。昨年末には、こんなことも。

「12月中旬に北海道の中標津町で敬吾さんのライブがありました。50人限定としていたライブだったのですが、直前までチケットが1枚も売れなかったため、中止の危機に。本人の呼びかけにより予約が入り、なんとか開催されました。北海道ということでファンも駆けつけることが難しかったとは思いますが……」

毎月10数本程度のライブに出演している岩瀬敬吾。19時代よりも少しやせた印象(オフィシャルホームページより)

 敬吾の自主レーベルに問い合わせると、本人とコンタクトがとれたが、この件についての話を聞くことはできなかった。

 19の再結成を願う根強いファンは、今も多い。別々の道を選んだ2人。夢を描いた紙ヒコーキは今後、並んで飛ぶことはあるだろうか──。