林マヤ

 パリ・コレモデルとしてデビューし、華やかな芸能生活を送っていた林マヤ。しかし、散財の結果、借金はなんと1億円に(!!)。

 ポスティングなどアルバイトを4つ掛け持ちし、17年ほどかけて完済した後、'09年に茨城県守谷市に移住。現在は芸農人として、夫・笛風呂タオス氏とともに、2400平方メートルの畑で、年間約120種のレアべジ(珍しい野菜)を作るなど、芸能と農耕の二足のわらじを展開中だ。

一歩じゃなくて二歩踏み出す気持ちで

身体と心の健康を取り戻すために始めた野菜作りだったのですが、気がつくと見事にハマっていました。愛情を注いだ野菜って、それぞれ形も違えば、味も違う。自分で育てて、目で見て、手で触って、料理をする……色鮮やかなレアべジが育つと、私には自分の畑がパリ・コレのように見える!(笑) 今年の春コレクションはどんな野菜を育てようかなって楽しみが尽きないんです

 当初は、都会とのギャップに四苦八苦したと振り返る。

「ダーリンは東京育ちだったので、最初の3か月ぐらいは“都落ちだ”って落ち込んでいた(苦笑)。公共機関が少ない、コンビニが少ない、都会では当たり前のことが、ここでは当たり前じゃない。でも、だんだんとマイナスに感じられたことが面白くなってくる。カバーしようとアイデアを練るようになるから想像力が豊かになっていくの! 収穫した野菜を大事に扱うなんて発想は東京にいたら味わえないでしょ?

 住めば都──。そう林は笑い飛ばす。とはいえ、そのマインドにたどり着くのは容易ではない。

「自分の人生の延長線上にあるんだけど、もうひとりの自分を作っていくような感覚ですよね。 若いころって、何でもがむしゃらにできるし、失敗しても“次がある”って切り替えられる。でも、年齢を重ねていくと失敗できなくなる怖さがつきまとう。

 けれど、恐れていたら何もできない! だから、まだ体力があるときに興味のあることにトライしたほうがいいと思うんです。一歩じゃなくて二歩ぐらい踏み出す気持ちがあったほうがいい」

林の畑でとれたいろいろな種類のトマト。まさに“野菜界のパリ・コレ”のよう

 野菜作りはスローライフと思いきや、「すんげぇ体力使うんだ。都会にいるときより忙しいんだわ!」。時折、茨城訛りで嬉々として話す姿がなんとも素敵だ。

「いろいろな経験を経て、第2の人生を見つけたい人って多いはず。チャレンジすると、悩んでる暇なんかないくらい毎日が充実します……そのぶん、のんびりできないけど(笑)。新しいことを始めるときは、新しい情報や知識も必要になるから思いのほかハード。だから、一歩じゃなくて二歩の気持ちが大切

“一人十色”って言葉があっていい

 移住&セカンドキャリアを展開してから約10年。今のライフスタイルを発展させて、「田舎の裸電球みたいな存在になれたら」と目を輝かせる。

「地元の若い農家さんたちとのつながりに加え、私の故郷・長野県上田市の農家さんとも交流があるのですが、どんどん参加する人が増えています。私にどこまでできるかわからないけど、みなさんから“芸能人が一緒に参加してくれるのはすごく明るい話題だし、励みになる”って言ってくださるのが、本当にうれしい

 芸能人がいることで、興味や関心を抱く人も増えそう。「橋渡しになりたい」という林の言葉は、芸能人のセカンドキャリアの新しい道しるべになるかもしれない。

「私の経験を農園デビューを考えている人に伝え、ゆくゆくは私の周りからレアべジを生産する人が生まれてくれたら最高! 農作物を作るだけではなく、農作物を通じて輪も作れれば」

 セカンドステージを充実させるには、「これまでの失敗が財産になっている」と林は伝える。

「かつて1億円の借金を抱え、たくさん失敗もしてきたけど、きちんと頑張っていくとその失敗が新しいことを生み出すための貯金になっていることに気がつきます。私は、“一人十色”って言葉があっていいと思う。自分の色を決められずに、いろんな失敗をしてきたけど、自分がやってみたいことって、結果的にその人の色になっていく。決めつけないで、いろんな自分がいていいと思うんですよ


《PROFILE》
林マヤ ◎はやし・まや 1958年長野県生まれ。日本人で初めてフランス版『マリ・クレール』誌に登場、パリ・コレクションをはじめ、モデルとして活躍。タレント活動とともに農に関わるボタニカルな暮らしを発信中。 現在、自身のブランド『MAYAMAYA』をQVCで好評発売中。