昭和から平成に世間を騒がせた有名人に、ズバリ「あの騒動の真っ最中、何を思っていたか?」を語ってもらうインタビュー。当事者だからこそ見えた景色、聞こえてきた囁き、そして、当時言えなかった本音とは……。記念すべき第1回は'90年代後半に連日ワイドショーをにぎわせた『ミッチー・サッチー騒動』の浅香光代(91)。ライバルだった野村沙知代さんとの“死闘”を振り返る―。

当時の騒動を振り返る浅香光代。91歳になる現在も役者・指導者として活動している

 70歳近い熟女同士が憎まれ口を叩きあい、舌戦を繰り広げる─。ワイドショーにとって、こんなに“おいしいネタ”はなかった。

「浅香光代さんは女剣劇のスターで、歯に衣着せぬ物言いで昔から有名人。一方の野村沙知代さんも野球界の大物・野村克也さんの奥さんで、不遜な態度がウケて当時はメディアに引っ張りだこ。そんな個性の強い2人が言いたい放題の口ゲンカをするんですから、面白くないわけがないですよ」(ワイドショー関係者)

 長きにわたった“ミッチー・サッチー騒動”だが、20年近くがたった今、当事者はどう思うのか。浅香本人にあの騒動を振り返ってもらった。

あたし、元気でしょ! 声も大きいから、みんなに声を落としてって言われちゃうの」

 91歳を迎える今もハキハキとした口調は健在! そんな彼女がサッチーと出会ったのは’97年。とあるパーティーだったそうだ。

「もともと、あたしと事実婚状態にある世志凡太さんと野村克也さんは若いころからの友人でね。その2人から“仲よくしてほしい”って紹介されたのがきっかけだったの」

 年齢は4歳離れていたものの、2人はすぐに意気投合。サッチーは頻繁に浅香の家に遊びに来るようになるが、ここから彼女の受難は始まる。

「あたしはお客様はおもてなしするのが当然だと思ってるの。でもサッチーは毎日のようにウチに来て、寿司とか高いものをお願いしちゃうのよ(笑)」

「日本の飛行機以外は乗りたくない!」

 サッチーはおねだり上手なだけでなく、想像を超えた“厚かましさ”も持ち合わせていた。

「あたしの知り合いに美容整形の先生がいたんだけど、その先生に芸能人の友達を紹介して、シミやイボを取ってもらっていたのよ。サッチーも何度も通ったみたいなんだけど、お金を払っていなかったみたいでね。彼女に催促したら“私は野村沙知代よ。やらせてあげてるんだから、むしろ宣伝費をもらいたいくらいよ”とか言い出したの!

毒舌バトルから逮捕まで世間をにぎわせた故・野村沙知代さん

 サッチーからの“負担”は増える一方だったが、面倒見のいい浅香はそれでも交流を続け、いつしかテレビ番組の企画として2人が取り上げられるほどに。

「韓国に料理を食べに行く食レポの番組で共演することになったんです。海外の安めな航空会社の便で出発しようとしたら、サッチーが“日本の飛行機以外は乗りたくない”って駄々をこねだして。飛行機を待たせているのにね。まぁ大変な方でしたよ」

 2人の関係に決定的な亀裂が入ったのは、’98年の舞台共演だった。

あるとき、サッチーをあたしの芝居に招待したの。見終わった後に彼女が“胸のすくような芝居でいいわね、私も踊りたい”って言うもんだから一緒に舞台やることになったのよ。劇場を押さえてチラシもポスターもできたってところで、サッチーがいきなり高額な出演料を要求してきてね。自分から舞台に出たいって言ってたのにね。なんとか工面して払ったわよ」

 こうして『ミッチーとサッチーのウルトラ熟女対決』と題した公演は幕を開けたが、そこでもトラブルは続く。

「彼女は自分で踊りができるって言ってたのに、これが全然できてなくてね。舞台中なのに彼女は知ってるお客さんに手を振ったりしていい加減だったのよ。しかたないから踊り出すタイミングを合図してあげたんだけど、“私のほうがうまいんだから指示出すな!”って本番中にケンカを仕掛けてきちゃって。そんなことばっかりだから仲が悪くなっちゃったのよ」

「あたしゃ許さないよ!」

 ’99年3月。浅香は当時レギュラーだったラジオ番組を体調不良で降板することになる。そこで最後に言いたいことを言う流れになると、サッチーとの一件をぶちまけてしまったのだ。

「当時のサッチーは講演会で教育論とかを語ったり、選挙に立候補したりするもんだからずっと頭にきててね(笑)。“稽古に平気で6時間遅れてくる”“あたしゃ許さないよ!”って。それまで我慢していたことを全部ラジオで言っちゃったの」

騒動時の本誌『週刊女性』の記事。2人は長期にわたり取り上げられた(’99年4月20日号より)

 当のサッチーは持ち前の図太さで浅香の非難を“売名行為”と一蹴。しかし浅香の発言をきっかけに、サッチーの振る舞いに反感を持っていた芸能人も賛同するように。さらにサッチーには巨額の脱税疑惑もかかり事態はますます大きくなってしまう。

「全国からお礼の手紙や電話がすごかったわよ。サッチーが関わっていた少年野球のお母さんたちも、アメリカ遠征するお金をピンハネされたと話しにきたわね」

 あらゆるところで傍若無人な振る舞いをしていたサッチーの被害を訴える人は、全国で後を絶たなかったそう。

「騒動中、たまたまサッチー宅の最寄り駅に降りたら、あたしに気づいたタクシーの運転手さんたち10人くらいが拍手で出迎えてくれてね。聞けばサッチーってタクシーに乗ると運転手さんに“好きなように行きなさい”って指示するけど、目的地に着いて支払いになったら、“あんたが好きで来たんだから払わない!”とか言って運転手さんが困っていたみたい。“浅香先生、戦ってくれてありがとう”ってお礼言われちゃったわ

かつての“ライバル”へ…

 浅香と世志のもとには連日応援や感謝の声が届いたが、同時に多大な迷惑も降りかかる。ワイドショーのスタッフが事務所前に人だかりをつくるようになったのだ。

毎日、事務所の前にテレビがいるから大騒ぎ。一歩外に出れば“今日は何かありますか?”ってレポーターの人たちに追い回されてね。いきなり車内に連れ込まれてインタビューさせられたこともあったわ。彼らに気づかれないように服を途中で着替えたりしてね。みんなあたしを犯罪者みたいに扱ってたわ」

 世間をにぎわせた熟女バトルは、’01年12月にサッチーが脱税容疑で逮捕されたことで収束。踏んだり蹴ったりだったはずの浅香だが、彼女の口調はなぜか当時を懐かしんでいるようにも聞こえる。

 浅香の隣にいた世志は、浅香の気持ちを察してか静かに口を開いた。

「サッチーがしていたことって全部“野村監督”のためなんだよ。お金を貯め込んだのも、派手な服装できれいに着飾ったのもね。確かに度を越したところもあったけど、それだけ一生懸命だったんだなって今は思うね」

世志凡太(左)とは公私ともに支え合っている

 そんなサッチーは’17年12月に逝去。

 かつてのライバルに対して浅香は最後にこう語った。

「この世では2度とああいう女には会えないだろうね。あと何年かしたら、“座布団敷いて待ってたわよ”って迎えてくれるかもね(笑)」