馬具工房として創業した「エルメス」のベルトをさりげなくしてポーズを(田村容疑者のFacebookより)

「いきなり2人の男性が裏の庭側のフェンスを乗り越えてきたから、最初は泥棒かと思ってね。ところが、玄関のところにも2人の男性と女性が1人いて、“田村さーん”と呼んで部屋に入った。

 そのうち、車のトランクも開けて調べていたから、てっきり覚せい剤の捜査じゃないかと。2時間ほどあとに田村さんの手にタオルをかけて連行していったから、びっくりしてね

 1月7日の逮捕劇についてそう語るのは、千葉県野田市の田村純子容疑者が住んでいたアパートの男性。

“私を解雇してください”

 直接の逮捕容疑は2013年12月に住友重機械工業(東京・品川区)の労働組合連合会の金5000万円を業務上横領したというもの。

 容疑者は'08年から解雇されるまでの10年間で、少なくとも6億4000万円、時効が成立した分を含めると総額10億円余りを着服していたようだ。

「田村容疑者は1982年に同社に入社。すぐに組合出向となって、組合専従の会計担当書記になった。しかし、'18年1月に幹部が交代して会計調査が始まると突然、“私を解雇してください”というメールを残して、失踪しました」(社会部記者)

 その後、横領が発覚し今回の逮捕となった。容疑者は埼玉県の杉戸町の実家暮らしだったが、失踪前後は転々としていたようで、昨年10月下旬に野田市の駐車場代込みで6万円弱のアパートに転居してきた。

「台風19号のころ、ボロボロの軽自動車で来てね。アパートの全世帯に“来週から引っ越してきますので、よろしくお願いします”と挨拶して、タオルを配ったんです。甲高い声で明るかったけど、ふだんの服装はジャンパーにジーパン。独身で、顔はスッピン。地味なおばさんという感じでしたよ」(アパートの女性) 

 冒頭の男性も、

「12月になると、車がトヨタの『レクサス』に替わっていて驚いたよ。先日、ガス会社の人が彼女の部屋のガスを止めに来たけど、“ほとんど使ってないなぁ”って言ってたよ。そういえば、3日に2日は帰ってきていないみたいだったからねぇ」

 と、いぶかしがった。

レクサス(右)が止まったままの自宅アパート

 逃亡先でも“バブリー体質”は隠しきれなかったのかもしれない。

 田村容疑者のFacebookではエルメスなどのブランド品、有名店での飲食、ポルシェなどの高級車や、とりわけ「馬」に入れ込んでいたことがうかがえる。「私の恋人たち」「私の息子」などと馬たちをわが子のように紹介している。

馬1頭につき月20万円

 容疑者が愛馬6頭を預けていた隣県の乗馬クラブのスタッフがこう証言する。

「10年くらい前に馬1頭を持って入会されました。以前からやっていたようですが、技術的にはアマチュアクラスで、馬術を楽しんでいるという感じですよ。その後、馬は次第に増えていったんですね。“うちは資産家なんです”と言っていたし、地方競馬の馬主だったし、エルメスのバッグや、ポルシェにも乗っていたので、お嬢さんなんだと思っていました

 預託料(エサ代、調教代など)は馬1頭につき月に20万円前後。馬の値段はピンキリで、数百万円から高いものは億の値がつくというが、容疑者の馬は輸入馬で1頭数千万円ぐらいのようだ。

「彼女は去年の12月まで週末の土日に必ず来ていましたが、逮捕されたので、馬たちが宙ぶらりんの状態です。連絡はないですが、生き物ですから毎日、飼育料などもかかっています。私たちも今後どうしたらいいのか、馬たちがどうなるのか、困っているところです」(同・スタッフ)

 容疑者は乗馬だけではなく競走馬も6頭所有していたようだ。こちらはレースに出走していい成績を挙げれば賞金も入るが、やはり1頭につき月に20万円ほど経費がかかっていたという。

富士山をバックに愛馬とポーズをとる容疑者(田村容疑者のFacebookより)

 横領をしてまで田村容疑者を馬に駆り立てたものは何だったのか─。

 実家近くの住人が次のように説明する。

「田村さん一家は、50年ほど前にここへ来られたんです。純子さんのお姉さんはとうの昔に嫁ぎ、20年ほど前にお父さまが病死。

 2年前までお母さまと純子さんの2人で生活していましたが、純子さんが出ていくのと同時に、お母さまは“長女のところへ行く”と。その後、認知症で、老人介護施設へ入られたとか」

 別の住人は、周辺では裕福な家だったと証言する。

「父親は一流企業勤務で、母親は仙台の良家の出身ですからね。長女も医師の家に嫁いだ。結婚式の際は有名デザイナーが作ったウエディングドレスを着たそうです」

ほとんど覚えていない

 田村家を知る関係者はこう証言する。

「“ハイソ”な家だったようで、容疑者の母から娘にお茶や乗馬を習わせていて近くの乗馬クラブに通わせていると聞いたことがあります。そのころの趣味が高じて今回の事件になったのでしょうか……」

 母親は町内会の役員を長く務め、料理上手で、近所に手作りのマドレーヌを配るなど、“ハイカラ”な女性でもあったという。

目立つ存在ではなかった中学校時代

 一方、地元の同級生を訪ねると、

「あの事件の本人とは知らなかった。彼女をほとんど覚えていない」

「地元で毎年のように同窓会をやっているけど、1度も来たことがないし、彼女の話が話題にのぼったことは1度もない。たぶん交友関係が狭いんだろうね」

 と影の薄い存在だったようだ。やっとかすかに記憶にある人物にたどり着くと、

「確か小5で転校してきて、中学校では体操部だったと思う。シャキシャキして可愛かったけど、男にモテるとか、そういうのでもなかった。運動でも勉強でも、まったく目立たない子でしたね」

 そして記憶をたぐるように唯一のエピソードを明かしてくれた。

「まだこのへんでは、バレンタインデーという習慣がなかった'71年ごろ、彼女だけが好きな男子にチョコレートをあげたのよ。それで女子の間では“あの子は生意気だ!”と総スカンをくらったみたい。おそらく、彼女は人嫌いになったのかも……」

 学校では孤立し、やがて家族もいなくなった容疑者にとり、唯一の居場所は馬場だったのかもしれない。しかし、資産家かよほどの稼ぎがなければ馬は所有できない。

 手綱を引いてくれる者がいない環境のなかで、田村容疑者は次々と会社の金に手をつけていった……。