過干渉の親から彼が受けた仕打ちとは?(筆者撮影)

 毒親――。過干渉で子どもを支配したがる親、またはネグレクト(育児放棄)する親のことを一般的にそう言う。スーザン・フォワード著の『毒になる親一生苦しむ子供』(講談社)や田房永子著の『母がしんどい』(KADOKAWA/中経出版)のヒットにより、毒親の認知は広まった。毒親育ちの人は生きづらさを感じているケースが多い。今回は、そんな毒親と一緒に生活していた30代の男性が、毒親から逃げた体験談のルポをお届けする。

家にはいくつもの防犯カメラが

 キャリーケースに服の買い物袋という大荷物で待ち合わせ場所に現れた笠原義之さん(30代・男性・仮名)。都心から少し離れた場所に住んでいるため、この日は1泊で都内に買い物にやってきたそうで、取材に協力してくれた。現在、笠原さんは、一人暮らしをしながら福祉施設で働いている。

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 笠原さんの父親は大企業を経営する社長。その父親からの過干渉と暴力を受け続け、典型的な毒親家庭で育った。豪邸である家にはいくつも防犯カメラがついていた。これはセキュリティーのためだけでなく、笠原さんが勝手に家を抜け出さないために監視するためでもあった。

 また、特殊な家庭で、家にはつねに会社の関係者がおり、父親は会社関係者にも彼が勝手に家を抜け出さないよう指示していた。

「小学生の頃、学校のとある行事で近所の体育館を貸してもらいました。そのお礼の手紙を書きましょうと担任に提案され、その学校の生徒宛に手紙を書きました。すると後日、女の子の名前の差出人で自宅の郵便受けに返信が届きました。厳格な父は『なぜ女の子から手紙が届くのだ!?』と激怒し、封も開けずビリビリに破かれてしまいました。

 ほかにも、高校生カップルを見かけては『あんな恥晒しをして』みたいなことを言っていたので、恋愛=悪のような考えが植え付けられている気がします。もう30代ですが、いまだに女性とお付き合いをしたことがないです」

 中学の頃、勉強中にふと気配を感じ、後ろを振り返ると父がいた。その瞬間、ボコボコに殴られた。「後ろを振り返るということは集中していない証拠だ」と。笠原さんが父親に殴られるたび、母はただオロオロし「目だけはやめてちょうだい!」と泣き叫ぶだけだった。

アルバイトを禁じられていたことから世間知らずに

 大学では厳しい寮に入れられた。親にはアルバイトもサークルも禁止されていたので、とにかく勉強をした。また、入った学部が取得すべき単位数が多かったこともあり、遊ぶ暇がなかった。

 多くの若者は、アルバイトを通して世間一般的な常識を知るケースが多い。しかし、笠原さんはそれを経験していないので世間知らずな部分がかなりあった。この日の前日も、寝るためにネットカフェを利用しようとしたところ、客引きに引っかかってぼったくられそうになったという。

「大学卒業後は父の会社の関係の地方の企業に就職したのですが、数年経った頃、父親から『戻ってこい』と言われ、実家に戻り実家の手伝いを始めました。一応、初任給並の給料は父親からもらっていました。しかし、やはり親からの過干渉がひどいのと、自分の家がおかしいことに改めて気づきました。そして、自分自身のメンタルもだいぶ歪んでいるのではないかとさまざまなセラピーを受けました」

 ちなみに、外出時も父親に監視されているので、そのようなセラピーやカウンセリングを受けに行く際はお使いのついでに寄っていたという。

「周りからは『育ててくれた親なんだから』と言われて余計つらく、この親子関係の悩みを誰かに相談することを躊躇したこともありました。それでも、セラピーやカウンセリングにはかなりお金を使いました。中にはうさんくさいものも多かったと思います。

 ある日、ネットで『家族問題』などで検索をして見つけた毒親脱出をテーマとするセミナーに申し込みました。最初は60分の電話カウンセリングで8000円。ちなみに折り返し電話での対応だったので電話代はほとんどかかっていません。その後、対面での60分のカウンセリングで1万2000円を払いました。その際、『あなたは絶対に毒親から脱出すべきだ』と、洗脳めいたことを言われました」

 通常、メンタルクリニックなどで行われているカウンセリングは60分1万円程度なので、カウンセリング料金としては、このカウンセリングが特別高いわけではない。(笠原さんが受けたカウンセリングが、きちんとした資格や知識を持った人がカウンセラーだったのかは定かではないが)しかし、その後に彼は追い詰められることになる。

「まず、脱出プログラムの10回コースの教材が25万円もしたんです。しかし、すでに洗脳されていた僕は、あの家を出られるならと思い支払いました。トレーニングの内容は、今まで親から受けたひどい仕打ちを書き出し、フィードバックをもらうというものでした」

 実際に彼が提出した資料を見せてもらうと、「お前は人と話す権利などない」「人のミスを自分のせいにされる」「月に1日しか休みをもらえない」など、人格否定やブラック企業の理不尽な規則のようなひどい環境にいた。

 そのせいか彼は、自分で思考すること、この選択が正しいのか、この行為を行って大丈夫なのか?という判断ができなくなってしまっていることが感じ取れた。また、彼とやり取りをしていると、自分の気持ちを言語化できていない部分が多く、時折言葉に詰まることもあった。

毒親脱出プログラムを放棄し、成功した意外な方法

 その後のプログラムも厳しかった。親に自分の気持ちを手紙に書いて、即脱出する、という内容だった。親に隠れてプログラムの課題をやっていたので、提出が遅れることが多々あった。そうすると延滞料金が発生し、最終的に総額40万円も支払わなければならなくなった。

 ここで、なぜ憎い親に手紙を書いて自分の気持ちを伝えないとならないのか、逃げたとしてもその先どうすればいいのか疑問がわいてきた笠原さん。そして、このプログラムをやめることにした。

「でもどうしてもこの異常な家を抜け出したかったんです。そこで、もう一度脱出のための方法を考えました」

 最終的に彼が使った手は夜逃げ屋だった。前日までは通常営業していた企業が翌朝、すっからかんになって倒産しているのを手伝う、あの夜逃げ屋だ。

「これもネットで検索して見つけました。費用は5万円しかかかりませんでした。決行は父が外出の日を狙いました。そして、ちょうどその日は給料日でもあったので、父の部下から手渡しで給料をもらいました。そして、家の裏にレンタカーを用意して必要最低限の荷物を持って逃げました。また、この日のために前々からトランクルームを借りて、少しずつ荷物を移動させていました」

 彼夜逃げ屋と共に最初に向かったのは役所。そこで、「捜索願いを出さなくてもこの人は安全である」という手続きを夜逃げ屋が教えてくれた。その後向かったのは一時的なシェルターのアパートの1部屋だった。まずはそこに3日間ほど滞在した。その後はホテルに連泊し、そこそこ理解のある親戚に連絡を入れた。そして現在、その親戚が紹介してくれた職場で働いている。

 縛られてばかりだった今までと打って変わっての生活。解放感に浸っているのではないかと尋ねるも……。

「正直、解放感よりも仕事に慣れなくて大変です。今までと全然違う職種なので。あとは人間関係です。女性が多い職場なので、女性とどう接していいのかわからなくて。今まで、人との接触、とくに女性との接触はダメだと父親に言われていたのに、突然女性の多い職場に投げ込まれたので、毎日必死です」

 逃げたはいいが、この先も彼は家庭環境から発生した心の傷に苦しむのだろう。私はメンタルヘルス関連の取材の機会もあるため、安くセラピーを受けられるセミナーなども知っているので、もし何かあったら力になれるかもしれないと彼に伝えた。

「自分の中でカウンセリング=高額というのがもう染み付いているんです」

トラウマから極度の人間不信に

 彼は頑なだった。また、今回の毒親脱出プログラムの資料が膨大にあり、それをこの記事の参考のために送付することもできるとのことだったので、私が住所を伝えようとすると「よく知らない人の住所を知ってしまうのはよくないので局留めでお願いします」と言われた。確かに、初対面の人に個人情報を教えようとした私もうかつだった。しかし、それ以上に彼は人間不信に陥っているように見えた。

 取材が終わり、帰りは笠原さんと偶然途中まで同じ電車だった。その中でぽつりぽつり雑談をした。恋愛を禁止されてきた笠原さんだが結婚願望はあるらしい。婚活パーティーやマッチングアプリなど、「あれってどうなんでしょうね」といった話をお互いにした。友人のきょうだいは、有名なお見合いサイトに登録し、半年でゴールインした話なども伝えた。

 今や毒親本は多く出版されている。家を出ても毒親がついてまわるので、時折親の小言に付き合い、うまくガス抜きをしている人もいる。毒親育ちで精神的に不安定になっている場合、笠原さんのように高額なビジネスに引っかかってしまうケースもある。

 今回は、夜逃げ屋という意外な方法があったことが新たな発見だった。しかし、これは本来の用途ではないので最終手段である。まずは信頼できる人への相談や、悪質な高額ビジネスではない、メンタルクリニックに駐在しているカウンセラーへの相談を勧める。


姫野 桂(ひめの けい)◎フリーライター 1987年生まれ。宮崎市出身。日本女子大学文学部日本文学科卒。大学時代は出版社でアルバイトをしつつヴィジュアル系バンドの追っかけに明け暮れる。現在は週刊誌やWebなどで執筆中。専門は性、社会問題、生きづらさ。猫が好きすぎて愛玩動物飼養管理士2級を取得。趣味はサウナ。