「ネタにできたらラクになりました、私も小雁も。一生“合わせ鏡”です」──寛子さん

 1年半前、認知症を公表した、俳優の芦屋小雁さん。「要介護4」の認定を受けたいまもなお、トークショーなどで元気に活躍しています。マネージャーでもある、妻・寛子さんとの二人三脚の暮らしぶりをうかがいました。

◆    ◆    ◆

冬の京都で行方不明、死さえ覚悟した

 2017年に、血管性認知症とアルツハイマー型認知症の合併症と診断された芦屋小雁さん。その症状がはっきり表れたのは、同年秋の舞台公演のときでした。「ここどこや? 何してるのかわからへん」。

 本番の舞台袖で小雁さんの言葉を聞いて、寛子さんは「心臓が口から飛び出しそうだった」と言います。

とっさに出だしのセリフを耳元でささやいて舞台に出したら、アドリブを交えて、ちゃんとお芝居はしはるんですよでも、 “もうお仕事は受けられない”と思いました」

結婚24年。いまも毎日、手をつなぎ、ハグをして、キスをする。それが“笑いのある生活”のもと

 翌年2月には、寛子さんが仕事に出かけたあとに、小雁さんが30時間以上も行方不明になるという事件が起こります。寒い京都の冬のひとり外出です。死さえ覚悟したと言います。

 寛子さんは仕事を減らし、小雁さんと家にこもりがちになりました。同時に、心配がストレスになって心にたまるいっぽうです。けれど、「そのころは、誰に相談したらいいかわからなくて『芦屋小雁ボケる!』なんてネットに書かれたらどうしよう、とか。考えるのは悪いことばかり」

 転機になったのは、あるテレビ局の情報バラエティー番組から小雁さんへの出演依頼が来たときでした。疲れがピークに達していた寛子さんは、思わず「もうダメなんですわ。認知症になってしもたから!」。投げ捨てるように言葉を放ちました。

「死ぬまで仕事をしていたい!」

 寛子さんがその番組への出演を決めたのはスタッフの真摯(しんし)な対応です。

 オファーは、小雁さんの元気な姿を面白おかしくテレビで見せてほしい、という内容でした。でも「もう元気じゃない!」。悔しさと苦悩が交じった寛子さんの感情に、番組は内容をあらため、『壮絶な介護の実態、介護とともに生きる』をテーマに、認知症を正面からとらえてくれました。

 寛子さんは、構成のために、細かいことまでたびたびインタビューされます。カメラを前に、場面を変えて同じ言葉を繰り返します。今までのことを口に出して何度も何度も話すうちに、心が整理されていきました。1回目より2回目、2回目より3回目と、自分の中にかかった霧がどんどんと晴れていき、やわらいでいくのを実感しました。

「これ、もしかしてカウンセリング? って思いました。告白したら気持ちが整理できて、余裕が生まれたんです」

認知症やセカンドライフのイベント、リンゴの収穫祭など、さまざまなイベントでトークショーの仕事が入る

 すると寛子さんは、小雁さんのなかに宿る“願い”に気づきました。それは、認知症になっても変わらず、死ぬまで『芦屋小雁』として仕事をしていたい!ということ

 寛子さんはこの願いを“小雁スイッチ”と名づけました。本名の西部秀郎から、舞台役者・芦屋小雁へ切り替わる瞬間です。いまも、寛子さんが一生、仕事をしてくれるのよね?と問いかけると、小雁さんはパッと顔を輝かせて、まだまだ仕事するで!と、ハッキリ答えます

いつも二人で夫婦漫才風に笑いを誘う

 現在は、認知症に関連するイベントなどのトークショーに寛子さんと二人で出演。夫婦漫才のような掛け合いが客席を笑いで包みます。「お客さんが反応してくれると、乗ってしゃべっていけますわ」と小雁さん。

 とはいえ、仕事を持つ寛子さんが「要介護4」と認定された小雁さんを支えるには、万全の介護体制を整えておく必要があります。ケアマネージャーの市田勝彦さんに相談し、デイサービスや小規模多機能施設の利用も試しましたが、いずれも小雁さんには合わずに断念。「家で過ごしたいという本人の意思を尊重して、在宅介護を選択しました

 寛子さんが仕事に出かけるときは、訪問介護員の西本豊さんに小雁さんの介護をお任せし、お昼ごはんの買い物などの外出にも同行してもらいます。道に迷ったときのために、GPS端末を組み込んだ靴も用意しました。「小雁さんが家を出たらスマホに連絡が来て、現在地を確認できるんですこれがあれば在宅介護で大丈夫と思えました

喜んだ気持ちはいい種になって心に落ちてる

 小雁さんが認知症と診断を受けてから約2年半。介護をする寛子さんは軽やかです。「主治医の先生が、『認知症の人は覚えてないことが多いから、介護する人は残念でしょう。でもね、喜んだ気持ちはいい種になって心に落ちてるんです』って。それがストンと腑(ふ)に落ちたんです」

 目が不自由な人には「なんで見えないの?」と言わないのに、なぜ認知症の人には「なんで覚えてないの?」と言ってしまうのか。同じようにとらえよう──いまの寛子さんはそう考えます。だから小雁さんが家がどこかわからへんと言うと、大丈夫。私がわかってるからと声をかけます

忘れてもすぐ思い出せるように、寛子さんは、小雁さんへの用件をメモに書くことにした。ときには小雁さんから、心の叫びの返事が書かれていることも

「主治医の先生には、『介護する人とされる人は“合わせ鏡”』と言われましたが、本当にそのとおりで。私が『大丈夫』と言えるようになったら、小雁さんの徘徊(はいかい)もなくなったんです」

 外出時はいつも手をつなぎます。「なにより私はこの人が好きやから、お世話が全然苦じゃないんです」。そう寛子さんが言えば、「ケンカもせえへんしな」と小雁さん。今日も二人は温かな笑いのなかにいます。

【寛子さんの支えになった主治医の言葉】

・「喜んだ気持ちはいい種となって心に落ちている」
・「介護する人とされる人は、合わせ鏡。介護する人が笑っていれば、介護される人も笑う。でもそうでないと……」
・「認知症の人は、いつもエンジン全開の状態」

 介護される側の気持ちに寄り添い、認知症理解の手がかりに。「認知症のイメージが変わった」と寛子さん。

【芦屋夫妻を支える『チーム小雁』三人衆 】

『チーム小雁』三人衆 「友達みたいにさせてもらってます」
(写真左から)訪問介護員の西本さん、ケアマネージャーの市田さん、介護用品レンタル業者の村上さん

 訪問介護員の西本さんは通称「買い物のお兄さん」。ケアマネージャーの市田さんは“小雁スイッチ”の発見者。寛子さんにとっての「お守り」を届けてくれた村上さんは介護用品のレンタル業者。

《PROFILE》

芦屋小雁さん ◎
あしや・こがん。1933年、京都府生まれ。15歳で兄・芦屋雁之助と漫才を始め、舞台やテレビ、映画などで活躍する喜劇俳優に。神戸映画資料館名誉館長。

西部寛子さん ◎にしべ・ひろこ。1964年、京都府生まれ。1996年、芦屋小雁さんと結婚。マネージャーとして公私をともにする。「勇家寛子」の名で女優、時代劇や映画の所作指導も。

(隔月刊誌「NHKガッテン !」2020年3-4月号/総力29ページ巻頭特集『認知症が“怖くなくなる”予防と介護の新対策』より)

※画像をクリックすると『ガッテン!』の雑誌紹介ページへジャンプします