かつて世間の注目を集めた有名人に、「あの騒動の真っ最中、何を思っていたか?」を語ってもらうインタビュー連載。当事者だから見えた景色、聞こえてきた声、そして当時言えなかった本音とは……。第3回は’67年から放送されたドラマ『コメットさん』(TBS系)の主演を務めた九重佑三子(ゆみこ)。意図せぬ芸能界デビューにもかかわらず、宇宙からやってきたお手伝いさんの役で一躍お茶の間の人気者に。かつてのアイドルが、多忙だった青春時代を振り返る──。

今年でデビュー58年を迎える九重。現在もディナーショーやコンサートなどで歌を披露

 宇宙から来たお手伝いさんが魔法を使って大騒ぎ──。こんな奇想天外な設定の大人気ドラマで主演を務めたのが九重佑三子(73)。

「’62年に『ダニー飯田とパラダイス・キング』の一員としてデビュー。翌年にはソロ活動も開始。歌手として活躍していた九重さんは、TBS系の『コメットさん』の可愛らしい演技で国民的人気を得ました」(テレビ誌ライター)

学生時代、坂本九さんの後ろでコーラス

 スターダムを駆け上がった彼女に当時のことを聞いた。

「デビューは16歳でした。高校で体操をやっていて、将来は体操の先生になろうと思っていたんです。姉の友達が後援会長だったパラダイス・キングの発表会を手伝ったときに、リーダーのダニー飯田さんに声をかけられたのが芸能界入りのきっかけです」

 もともと歌は大好きで、FEN(米軍向けラジオ)で英語のポップスを聴いていた。

「実家は書道教室をやっていたので両親ともに忙しくてね。うちは家事を手伝うと、よくお小遣いをもらえたの。そのお金でレコードを買ってました。エルビス・プレスリーやニール・セダカ、ポール・アンカとかが好きでしたね」

 その後、ダニー飯田にすすめられ、歌の練習を始める。

「学校帰りに制服のままジャズ喫茶に通って練習してました。3か月ほどしたら池袋のドラムっていうジャズ喫茶でセダカの『悲しきクラウン』を人前で1曲歌ったわ。坂本九さんがいる後ろでコーラスのまねごとでしたけどね。その1年後に『シェリー』でレコードデビューしたんです」

 その後ソロ活動を始めた九重だが、当時の芸能界は他事務所のタレントとの交流はタブーのため孤独を感じていた。

「ダニーさんも“芸能界の男と話したりしちゃだめだよ”って言ってたけど“でも田辺靖雄くんだけはいいかな”って。それで紹介してもらったのが最初の出会いでした」

 田辺は高校在学中に、遊び人グループ“六本木野獣会”を結成中にスカウトを受けた。

「’63年に梓みちよさんとデュエットした『ヘイ・ポーラ』がヒットしたころに出会ったね。それ以降、佑三子とはNHKの『夢であいましょう』やドラマでずっと共演。運命だったんだろうね」(田辺)

『コメットさん』とレギュラーの撮影で大忙しの日々

 よき相談相手を得た九重。ソロの仕事も順調に増えてきた彼女は’67年に『コメットさん』の主演に抜擢された。

「所属事務所の社長がミュージカルスターを育てたかったみたい。『メリー・ポピンズ』や『サウンド・オブ・ミュージック』を見せられていたときに、 “宇宙から来たお手伝いさんのドラマをやるよ”と言ってね。それが『コメットさん』でした」

代表作の『コメットさん』は実写ドラマとアニメを合成するなど凝った演出が話題になった

 九重演じるコメットさんは、故郷のベータ星でいたずらを繰り返していたために地球に追放。住み込みのお手伝いさんとして、魔法を使って奮闘するというストーリーだ。

「コメットさんは、撮影現場で子どもたちと一緒に遊びながらセリフを覚えたりして楽しかったですね。風邪をひいた子役も“コメットさんに会うんだ”って頑張ってくれたりしてね。出演するのが勲章だったんでしょうね。当時、子役だったのは林寛子ちゃんや西崎緑ちゃん、ずうとるびの新井康弘くん。みんなもういい年だけど(笑)」

 しかし、当時は3話をまとめて収録する方法がとられており、撮影は長時間だった。

「ストーリーをバラバラに撮影するから、どのシーンを演じているのかわからなくて大変でした。撮影は夜中の2時くらいまで続いて、帰って2時間しか寝れなくて。ほかにもレギュラーが3本もあったから大忙し。でも文句も考えられないほど忙しかったから、かえってよかったのかもね」

21歳で『紅白歌合戦』紅組の司会を務める

『コメットさん』が始まった年の紅白歌合戦では、紅組の司会も務めた。21歳というのは当時の最年少記録だ。

「NHKに呼ばれて話し方の勉強をしましたね。私、江戸っ子でスラスラってしゃべるから“そういう話し方は一般の方にわかりません”って言われて。ひと言ずつ標準語の勉強です。私の前はペギー葉山さんとか美空ひばりさんとか森光子さんが司会をなさっていて大変だったと聞かされていたけど、私は楽しかったです。本番の日は山本リンダさんや前田美波里さんと一緒に、ダンスの練習に参加してましたよ(笑)」

 大役を順調にこなす九重だったが、田辺との関係はスローペースだった。

私は父親が厳格で、仕事に真剣でしたから。田辺さんとはずっとよき相談相手で交際期間なんかありません(笑)。そもそも田辺さんは私に告白とかしなかったんです。私から “私のこと好きですか?”って聞くわけにもいかないじゃないですか。当時、伊東ゆかりさん・中尾ミエさん・園まりさんたち“スパーク3人娘”は田辺さんのことが好きだったみたいでしたが

森繁久彌夫妻の媒酌で田辺靖雄と結婚

 親密すぎて“兄妹”のようになってしまった九重と田辺の関係はいっこうに進展せず。ついには一時疎遠になるが、’70年の大阪万博で久しぶりに共演することになる。

「共演すると知って “何を話そうか”と悩んでましたが、会ったら普通に“オッス”って(笑)。でもこれでもし付き合い始めたら結婚だなって思いましたね。ショーが終わった後に社長や坂本九さんが集まり、“機は熟している。さぁそろそろ婚約を考えて”って(笑)。事務所がセッティングしてくれたんです」

 森繁久彌夫妻の媒酌で’73年に結婚。子どもも生まれ、’78年から育児休暇をとった彼女は子育てが一段落して芸能活動を再開すると、早々に夫婦で大きな仕事が。

「“元日から15日まで東京・赤坂でショーをふたりでやってください。これは社長命令です”って言われてね(笑)。これまで一緒に歌ったことないから驚いたよ」(田辺)

現代的な夫婦関係のふたり。洗濯は九重、掃除は田辺と結婚当初から家事を分担している

昔から家事をシェアする現代的夫婦

 九重と田辺は結婚47周年。夫婦でステージをともにし長い時間を過ごしてきた。

「ステージを続けていると、ずっと来てくれた夫婦のお客さんがひとりしか来られなくなったりしてね。そういう姿を見るたびに裏切っちゃいけないって気持ちになります」

 昨年12月には、ふたりで新曲をリリースした。

’19年12月に発売された『夢の季節をはなれても』は、九重自ら作曲家にオファーして作られた ※記事の中で画像をクリックするとamazonのページに移動します

「家の中を整理していたら、歌詞とデモテープが出てきて。それが10年前に作曲家の伊藤薫さんからいただいた『夢の季節をはなれても』という曲だったんです。伊藤さんに報告して、すぐ収録しました。肩を寄せてお台場あたりまでドライブしたり飛行場とか見に行ったりするという歌詞は、私たちの憧れの世界なの」

 そんなふたりは家が好きで仕事以外であまり外出しない。昔から家事をシェアする現代的夫婦だ。九重をそばで見続けた田辺はこう締めくくる。

「森繁さんから “夫婦一心同体にあらず” “夫婦それぞれ自分の世界があるからそれを大事にするんだぞ”と言われました。仕事も家庭も頑張らないことが円満の秘訣ですね」