白石一文さん 撮影/山田智絵

『一瞬の光』でデビューして20年。以来、人気作家として、26作を世に送り出した白石一文さん。

 27作目となる本作は、以前勤めていた出版社の上司や同僚、小説家の父、担当編集者、いま生活をともにする女性などとの日々をつづった私小説だ。多くの作品が書き下ろしだった白石さんにとっては、めずらしい連載小説でもある。

作家には賞味期限や耐久年数がある

「(私小説を書こうと思ったのは)年をとったからです。年をとると、これからする経験よりも今までしてきた経験のほうが圧倒的に多くなる若いときは振り返ってもなにもなかったけれど、いまは振り返ったほうがたくさんのことがある

 だから、1度は(私小説を)やってみようかな、と思いました。そして、いままで出会った人々のほんの一部を書いたわけです」

 “例えば、生まれたときに与えられた粘土があって、その量は限られているとする。その粘土を使って創作をしながら、人々は生きているが、62歳の白石さんがいま、45メートルのものを創作しようとしても、量が足りないいままでの仕様ではなく、新たな仕様を模索しなければいけない

 いま白石さんが作家として置かれている状況をそんなふうに説明した。

「作家にはそれぞれ賞味期限や耐久年数があると思うんです。僕の場合のそれは、70歳くらいだと感じています。30年小説を書けば、限界かなと」

 小説に登場する人物の年齢設定は自らの年齢のプラスマイナス13歳と考える白石さん。そう考えると、主人公の年齢は若くて49歳、年をとっていて75歳。これまで白石さんが描いてきた世界からいうと、年嵩(としかさ)だ。 

「50代近い主人公が独身でブイブイ言わせているという設定には無理がある。ならばもっと若い人たちを描こうと思っても、若い人のことは全然わからない(笑)。そうなってくると書ける範囲は狭まり、与えられた粘土もどんどん少なくなって、いよいよ仕上げの時期に入ってきたかな、と感じます」

多くの白石ファンから否定の声が重なりそうだが、作家が年を重ねることは、悪いことばかりでもない。

若いときに確信を持って書いた作品も、いまになると、雑だったり、舌っ足らずだったり、粗のほうが目立っていますでも、この作品は何年かたって読み直したとき、まだ青いねとは感じるかもしれないけれど、意外とそうとばかりも思わないのではないか、とも感じています

思い出は自分に都合よく覚えている

 物語は横軸に白石さんが現在暮らす恋人・ことりとの生活が、縦軸に過去、あるいは現在、白石さんと時をともにした人々との記憶が描かれている。

 登場する人々はみな、少し欠けたところも併せ持つ魅力的な人たちだ。

「毎月の連載小説だったので、執筆中にパッと思いついた人を書いてきました。実は、登場した人たちのことを僕は深く知らないんです。というよりも、この人たちに限らず、人生の中で誰かのことを詳しく知った経験が僕にはありません。

 でも、人と人は何か一点でつながることがある。その関わり合いは、決して時間と比例するものではないと思っています

白石一文さん 撮影/山田智絵

 娘ほどの年齢の女性と結婚をし、1児をもうけた男性弁護士、幾人かの会社員時代の個性的な先輩や同僚、取引先の人、時代小説家だった父親……深く関わった意識はないと言うが、小説家は、日常からこんな面白い人たちに囲まれているのか、と思う。

「そんなに近しい人ではなくても、ふとした瞬間に思い出の鍵が開いて、その人との時間がよみがえることがあります。でも、それは、実は自分に都合よく覚えている思い出

 魚にたとえると、お刺身じゃなくて干物なんです。とれた魚をある程度の時間干して、つまり加工して干物にする。僕たちが思い出すのは、自分に都合のいい干物の記憶。干物の蓄積が自分自身とも言えます」

 なるほど、確かに記憶は干物だ。しかし、白石さんの干物は、人より、うんとおいしくコクがある。

“毎日笑って暮らす? ケッ”とか思っていた

「登場人物の方から手紙やメールをいただくことがあります。昨日も、とある方から長いメールをもらいました。

 世間的にいえば、かなり成功を収めたと思われるその人は『読んでいるうちにつらくなった。自分はなんてつまらない人生を送ってきたんだろう』と書いていました」

 白石さんの周りの世間的に成功したかに見える多くの人が、人生の終盤、幸福でないように映るそうだ。

年をとると、僕も含めて、自分の欲望を貫徹するために、人生で犠牲にしてきたものの大事さに気づくんです本来なら一生かけて大事に築き上げていかなければいけなかった家族や友達をないがしろにしてきたことを悔やむ

 僕もいま一緒に暮らしている人とはとても仲がいいですが、かつて結婚には失敗している。一緒に暮らしている彼女の存在以外は、なんてつまらない人生だったんだろうと思っています」

 まさに本のタイトル『君がいないと小説は書けない』そのままの言葉だ。

「つまり、馬齢(ばれい)を重ねないとわからないことがあるということ。若いときに考えたことは大したことがない僕も若いころは“毎日笑って暮らす? ケッ”とか思っていましたけれど(笑)、実はそれがめちゃくちゃ大事で、めちゃくちゃ難しいと、やっとわかりました

 読み進めるうちに、ふと自分の人生を考える。そんな一冊だ。

ライターは見た!著者の素顔

 お会いした瞬間に「どうぞよろしくお願いします」と優しく声をかけてくれた白石さん。質問に丁寧に答えてくださる姿はとても素敵でした。サービス精神が旺盛なのか、編集者時代に関わった政治家や小説家のお話までしていただいて、そのお話ひとつひとつが面白く、読者のみなさんにご紹介できないのが残念です

君がいないと小説は書けない』というストレートでいて余韻の残るタイトルについては、実は担当編集の女性からの提案だったとのこと。「彼女のコピーセンスを信じています」。ずっとお話を聞いていたい、そんな方でした。

(取材・文/池野佐知子


『君がいないと小説は書けない』(新潮社)白石一文=著 1900円(税抜)※記事の中の写真をクリックするとアマゾンの紹介ページにジャンプします
・PROFILE・
しらいし・かずふみ 1958年、福岡県福岡市生まれ。週刊誌記者・文芸編集者を経て、2000年『一瞬の光』でデビュー以降、執筆を重ね、'09年『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』で第22回山本周五郎賞を、'10年『ほかならぬ人へ』で第142回直木賞を受賞。本作は27作目となる。父は小説家の白石一郎。直木賞は初の親子受賞となった。