幼少期から30歳に至るまで、彼女の側には常にSMAPがいた。雑誌やテレビ、ラジオでSMAPの発言を聞き集め、これまでの人生にずっと寄り添ってきた彼らのことを書いた、『SMAPと、とあるファンの物語-あの頃の未来に私たちは立ってはいないけど-』(双葉社)。その著者であり、フリーライターの乗田綾子氏が感じた、中居正広のジャニーズ事務所退所とはーー

中居正広(2009年)

 2020年2月21日、中居正広が3月いっぱいでジャニーズ事務所の退所を正式に発表した。所属していたSMAPの解散から3年。幾度となく立ち昇っては消えていた再出発の噂は、ついに現実の出来事となったのである。

 退所発表当日に行われた会見の詳細については、多くのメディアが伝えているので、すでにご存じの方も大勢いるだろう。そこで当記事では、あえて過去の「SMAP中居正広」が語っていた言葉を拾い集めることで、彼の決断の意味を改めて考察してみたい。

解散から退所に至るまでの歩み

 まずは記者会見が行われると報じられたときから、おそらく誰もが気になっていた「グループ解散から退所に至るまでの3年間の心境」。もともとSMAPとして最後に出演したラジオ番組で、中居はグループ解散を控えた自身の気持ちについて、こう語っていた。

《(SMAPとして活動した)28年っていうのは全然あっという間だったと思わないですし、僕は性格的なものなのかなんなのか……前ばっかり向けるタイプじゃなくてね。ちゃんと自分がどこで脱線したのか、どこで立ち止まったのか、そういうのを確かめながら、僕は進みたいタイプなんでしょうね》(ニッポン放送『中居正広のSome girl' SMAP』2016年12月31日)

 実際、この発言から約半年後の2017年6月に、稲垣吾郎・草なぎ剛・香取慎吾の3人はジャニーズ事務所からの退所を発表。しかし中居は、結果として行動をともにはせず、ジャニーズ事務所との契約更新を選んでいる。

 3人と中居の退所タイミングに見られる数年単位のタイムラグはそのまま、中居が前に進んでいくために必要と感じた「人生の振り返りと確かめ」の時間だったのだろう。しかしその中で、中居は改めて自身が失い、ずっと取り戻せずにいるものを痛感していくことにもなる。解散騒動が起こる直前の2015年秋、中居はこんなことも話していた。

《もしそのありがたさをホントに実感するときが来るとしたら、それはきっとグループがなくなったときだよね。水の流れが止まったときに水のありがたみが分かるように、SMAPの偉大さみたいなものは、メンバーと別れたときに感じるんじゃないかな》(『ザ テレビジョン』2015年9月12日)

中居にとって「SMAP」の存在とは

「メンバーと別れた」SMAP解散の日を境に、仕事への意欲をなかなか取り戻せなかったことを退所会見で打ち明けていた中居。そもそも彼自身にとってのSMAPとは、一体どんな存在だったのだろうか。2012年のインタビューを読み返してみると、SMAPのメンバーとして生きる日々を、こんなひと言で表している。

《宿命》(『ザ テレビジョン』2011年9月16日)

 また2014年のインタビューでは、SMAPとしての活動について、こうも表現していた。

《SMAPは5人でいることが、最大の武器であり戦力であり、最大の自信になるんじゃないかな。5人でいればなんとかなるだろうと思えるし、どうなるか分からないものに対しても立ち向かうことができる》(『ザ テレビジョン』2014年12月12日)

 中居がSMAPのメンバーに選ばれたのは1988年、15歳のとき。それからの28年、普通の少年が国民的スターになっていく激動の年月を、彼は避けることも変えることもできない自身の「運命」と捉えることで理解し、受け入れていく。

 しかし、そのあまりにも過酷な「宿命」から、彼はなぜ逃げずに、30年近く立ち向かうことができていたのか。それはやはり「宿命」を同じように背負った5人の仲間が、互いの勇気の源として、いつも近くに存在していたからなのだろう。

 10代から40代になるまでの彼が、運命として向き合い続けたものの重さと、そんな彼にとって心の支えとなっていた、メンバーという存在の大きさ。それらを思えば、解散後にエネルギーを取り戻せないまま来てしまったことも、その先にあった今回の退所も、彼の中でひと繋ぎの意味をもっていることがよりはっきり見えてくる。

メンバーへの信頼と覚悟

 また退所会見では、ソロで活動しているSMAPメンバーの現在について、改めて中居が言及する場面もあったが、そこで印象的だったのはこの言葉だ。

「頑張ってると思うし、好きなことをやってると思うので、何の心配もしてない」

 何の心配もしてない。このひと言に込められた信頼感にとても似た内容を、やはり2011年、中居はSMAPのメンバーたちに向けて語っている。

《SMAPの未来を予測することは、ムズカシイです。ただ、SMAP全員、根性ありますからね。MCだって、僕が何となくやってますけど、誰がふられてもできるんですよ。全員が何をやらせても、ちゃんとできるところは、SMAPの強みなんじゃないですか》(『オリ★スタ』2011年5月9・16日)

 確かに、『新しい地図』として再出発した稲垣吾郎・草なぎ剛・香取慎吾は激減したテレビ出演の代わりにインターネットの世界へ飛び出すことで、ジャニーズ時代には想像もつかなかった新たな未来を紡ぐことに成功した。またジャニーズ事務所に残った木村拓哉も、解散騒動の逆風から逃げずに第一線で戦い続けた結果、令和元年放送の主演ドラマ『グランメゾン東京』(TBS系)をしっかりと話題作に育てている。

 このように解散からの3年間、メンバーはたとえステージや所属事務所が変わっても、“ちゃんとできる”ところを、自分なりのやり方で広く見せてきたのである。だからこそ中居は「何の心配もしてない」し、自らもSMAPとして培った“努力と根性”を武器に、新しい世界にイチから身を投じる気持ちになれたのだろう。

 そしてそのチャレンジは、かつてSMAP時代の中居が矜持としてよく口にしていた「非常識を常識に変える覚悟」、どこかその新たな実践のようにも思える。

今でも「リーダー・中居」のまま

 中居正広にとって、SMAPとはあるときまで確かに人生の全てだった。しかしSMAPは結果として2016年12月31日を最後に形を失い、彼自身の歩みもまた、一時は止まらざるを得なくなる。

 しかし会見を見る限り、退所を発表するその表情にあった明るさは、喪失感を抱えていた彼が、3年かけてやっと自分の進むべき未来を見つけられた、そんな何よりの証なのだろう。そしてそれはSMAPをずっと大切に思い続けているファンにとっても、何よりの希望、何よりの励ましになったはずだ。

 最後になるがもうひとつだけ、ここでどうしても紹介しておきたい言葉がある。これは退所会見でSMAPの再結成について「100%ではないが0%でもない」と語っていた中居が、今から23年前の1997年に、SMAPのリーダーとして話していたものだ。

《よく、解散するグループがその理由で、『自分たちのやりたいことがバラバラになったから』って言うけど、俺はバラバラになったっていいじゃないかって思うのよ。グループにいることでやりたいことができないんなら、そこを離れて好きなことやって、また帰ってくればいいんだからさ。SMAPはそれができるグループなんだよ》(『JUNON』1997年2月)

 離れて好きなことをやったら、また帰ってくればいい。道が別れた仲間たちを今も「メンバー」と呼ぶ彼の中で、SMAPはきっと今も、それができるグループである。


乗田綾子(のりた・あやこ)◎フリーライター。1983年生まれ。神奈川県横浜市出身、15歳から北海道に移住。筆名・小娘で、2012年にブログ『小娘のつれづれ』をスタートし、アイドルや音楽を中心に執筆。現在はフリーライターとして著書『SMAPと、とあるファンの物語』(双葉社)を出版しているほか、雑誌『月刊エンタメ』『EX大衆』『CDジャーナル』などでも執筆。Twitter/ @drifter_2181