1999年10月、西田敏行が『大船撮影所』の存続運動に送った熱いメッセージ

 中国では8万人、イタリアでは1万5000人、イランでは1万人……世界規模で感染者が増え続けている新型コロナウイルス。日本の芸能界でも、映画やドラマの撮影中止やイベントの中止など多大な影響が出ている。

 舞台を中心に活動する俳優はコロナウイルスの影響について、次のように話す。

「予定していた公演が次々に中止になって、これがいつまで続くのか……そう思うと本当に怖いです。舞台俳優は1つの公演がなくなって、アテにしていたギャラがなくなってしまうと、本当に生活ができなくなってしまうという人も多いので……。劇団も公演がなくなって大変なので、保障してほしいとも言えなくて……。俳優としての仕事はこれからもどんどん中止になっていくことが目に見えているので、バイトを増やして生活していくしかないですね」

俳優は“生きる危機に瀕する事態”に

 そんななか俳優たちの仕事と生活を守ろうと声を上げたのが、西田敏行だ。

 3月5日、『日本俳優連合』は安倍晋三首相、菅義偉官房長官、加藤勝信厚生労働大臣宛に『新型コロナウィルス感染防止措置に伴う公演などの中止に伴う声明 及び働き手支援についての緊急要請』という要望書を提出した。この日本俳優連合の理事長が西田なのだ。

 要望書のなかで西田は、

《私たちは今般の政府のご意向に添い、不特定多数の人々が集まるイベントなどの開催自粛を受けて、俳優は、映画・演劇・イベントなどの主催者の指示に従い、中止(キャンセル)を受け入れております》

《しかし出演者へのキャンセル料等の話し合いには到底至らないケースが多く、生活に困窮する事態が見えています》

《私たちにとっては仕事と収入の双方が失われ、生きる危機に瀕する事態です》

 と、俳優たちの現状について訴えた。

 政府が発表した緊急対策には、コロナウイルスについての助成金が盛り込まれている。臨時休校の影響で仕事を休んだ場合に支払われるというこの助成金だが、企業に雇われた保護者の場合は1日8330円なのに対し、フリーランスの場合は1日4100円となっている。

 俳優はそのほとんどがフリーランスの立場である。これについて西田の要望書は、

《どうか雇用・非雇用の別のないご対応で、文化と芸能界を支える俳優へご配慮下さいますよう要望いたします》

 という言葉で締められていた。

 西田が理事長を務める日本俳優連合は、テレビ局などの制作側と対等な出演契約を結ぶことが難しい俳優の権利を守る団体として1963年に発足。2600人もの俳優が加入しているという。今回の要望書の提出を担当した、日本俳優連合の国際事業部長である森崎めぐみさんは、

まだまだ俳優の社会保証、社会保険や労災保険などが足りていないなかで、コロナによって現在俳優たちの仕事は、“キャンセルが当然”というような状態になってきています。しかし、個人事業主で働いている俳優たちにはキャンセル料の交渉などはまったくできない。要望書にあるように、このまま改善がされないと、生活にも困っていくだろうということが目に見えていますので、『日本音楽家ユニオン』など、ほかの団体とも連携しながら、今回要望書を提出させていただきました。理事長の方針として、組合員の健全な労働と芸術活動が大前提ですので、非常事態であっても最低限のことは保障されてほしいというのが願いです

20年前も撮影所の存続運動に立ち上がった西田

 今回、要望書を提出した西田だが、芸能界のために彼が動いたのは初めてではない。話は20年前に遡る。

西田敏行

 1999年10月、映画や演劇を手掛ける松竹は、神奈川県鎌倉市にある『大船撮影所』の閉鎖及び売却を発表した。『男はつらいよ』シリーズの撮影が行われるなど、60年以上の長い歴史を持つ撮影所の閉鎖には反対の声も多く、存続のための運動が松竹の労働組合を中心に巻き起こった。その運動に熱いメッセージを送ったのが西田だった。

「生きる情熱! 映画への熱情! 失うことなく働ける現場を確保して下さい 
 皆さんの仲間 俳優 西田敏行」

 こちらが西田が送ったメッセージ。当時、松竹労働組合の中央書記長だった梯(かけはし)俊明さんはこう振り返る。

大船撮影所の売却問題が起こったときは、『釣りバカ日誌11』の撮影中でした。監督だった本木克英は当時、松竹労組の組合員で大船撮影所の売却に反対することに対して、“全面的に協力する”ということで、『釣りバカ11』スタッフ全員が“大船をなんとか残そう”という雰囲気になっていたんですね。そのなかで西田さんに激励のメッセージをいただけないかとお願いしたら、すぐに直筆でメッセージを書いてくださった。西田さんのメッセージがきっかけになって、大船撮影所にゆかりのある俳優さんや著名な方からまたたく間に多くのメッセージが集まりました」

『週刊女性』を発行する株式会社主婦と生活社の労働組合にも、20年前に西田が送ったメッセージ(コピー)が残されていた。

「マスコミ発表などで、著名人の方から寄せていただいたメッセージを刷って記者さんに渡したりしていたので、おそらくそれが残っていたのではないでしょうか」(梯さん)

 西田の応援もむなしく、残念ながら大船撮影所は2000年6月に閉鎖となった。激励のメッセージのなかで、反対運動に参加した映画製作スタッフや組合員に対し、“皆さんの仲間”と自身を称した西田。“仲間”への熱い思いは、20年たった今でも変わらない。