(写真左から)ジェームス三木、原田龍二

 人生に反省はつきもの。昨年、世間をにぎわせた俳優・原田龍二もまた、自らの過ちと向き合いながら、猛省の日々を過ごしている。そんな原田が、波瀾万丈(はらんばんじょう)な人生を送る人々と言葉を交わす『週刊女性』の人気対談企画、『全裸俳優・原田龍二の「人生、反省。」』。第6回のお相手は脚本家のジェームス三木、その人だ。数々の浮名を流した重鎮・ジェームス三木との濃厚な時間。ドラマ顔負けの茨道を歩んできた、彼にしか語れない“男の生き方”とは!?

名刺には「脚本・演出・喫煙」

原田 小学生のころに、堺正章さんの『西遊記』を夢中になって見ていたので今日、ジェームス三木先生とお会いするのをとても楽しみにしていました!

三木『西遊記』か! あれは楽しい仕事だったなあ。原田くんはいま何歳?

原田 今年50歳になります。

三木 僕は85だから……35歳下か。そんなに下か!

原田 そうなんです。そこで今日は、ジェームス先生の元気の源をお聞きしたくて馳せ参じました。

三木 元気の源ねえ。50歳のときに脳腫瘍(のうしゅよう)の大手術をして死ななかったのは、その後の人生にも影響してると思うよ。病気をしたあとのほうが元気かもしれない。

原田 病気がきっかけになったんですね。病気の後に、何か生活で変えたことはありますか?

三木 いや、特に大きくは変えてないよ。健康面では、ちゃんと薬を飲んで、歯科医に行ってる。最近、量は減ったけど、酒は飲むしタバコも吸うんだよ。

原田 たしかに、先生の名刺に「脚本・演出・喫煙」って書いてある! 喫煙も仕事のうちなんですね。

三木 原田くんはタバコを吸うのかい?

原田 はい、吸います。

三木 おお、それはよかった。タバコはいい。理容師さんも「タバコを吸ってる人はハゲない」って言ってたんだから。

原田 そうなんですか!? 初耳です。先生は食べるのもお好きなんですか?

三木 そりゃ好きだわなあ。妻と一緒に外食するのも楽しい。料理店にふたりで行って仲居さんなんかが料理を運んできて「前菜です」と言うと、妻はいつも「私は後妻です!」と言うんだよ。おもしろいだろ。

原田 うまいですねえ(笑)。

三木 前妻とは、泥沼離婚をしたから大変だったよ。前妻が1992年に出版した『仮面夫婦』という本の中で、僕が170人以上の女性と関係を持ったことを暴露されて、その本が15万部も売れちゃってさ。連日、事務所にはレポーターが押し寄せてたよ。ここ、ここの事務所だよ。

原田 壮絶ですね……。当時、奥様に気づかれてるな、という感覚はあったんですか?

三木 そりゃ気づくだろうな(笑)。黙って自宅を訪ねてきたりして、今で言う“匂わせ”をしていた女性もいるからね。

原田 170人以上ですからね……。

(写真左から)ジェームス三木、原田龍二

三木 当時は本当にどん底だった。もう一生、脚本は書けないかと、腹を括(くく)ったよ。それが57歳くらいだったから、思い起こせば、50代は本当にいろんなことがあった。

原田 脳腫瘍に『独眼竜政宗』の大ヒット、泥沼離婚……。人生の山場が全部50代に集約されてますね。

三木 泥沼離婚の渦中で、業界に干されていた僕に、NHKの川口幹夫会長(当時)が『八代将軍吉宗』の脚本を依頼してくれたんだ。でも、当初は「人間性に問題がある人に脚本を担当させるな」という抗議もたくさんあったとか。

 それでも、川口会長は「今回の件は、刑事事件ではなく、家庭の事情。ジェームス三木さんには脚本家として期待しています」と励ましてくれたんだよ。

原田 男気がありますね! すごくカッコいい。

女性は低い声の男にしびれるんだな

原田 先生はもともと、歌手をしていたんですよね。

三木 俳優座に入って役者を目指していたこともあるけど、アルバイトが忙しくて落第したからあきらめたんだ。20歳のときにテイチクレコードの歌手コンクールで合格して、13年間、歌手をしてた。ディック・ミネさんの前座をしたり、横浜のナイトクラブで歌ったりして生活をしていたけど、鳴かず飛ばずだったね。

 でもね、原田くん、歌手はすごく女にモテるんだよ。

原田 またいきなりですね! 

三木 歌手としては売れなかったけど、出待ちの女の子はたくさんいてね。女性は低い男の声にしびれるんだな。原田くんは声も低いし男前だから、スキャンダルがあっても、女性が誘いにくるんじゃないか?

原田 いやいや、もう誰も寄ってこないですよ(笑)。

三木 そうかい。あんまりまじめになるとつまらん男になるから、気をつけるんだよ。

原田 アハハ(苦笑)。歌手時代、先生はどんな歌をうたっていたんですか?

三木 英語の歌や、楽器が弾ける友達と『前科二犯のブルース』っていういい曲を作ってたね。(歌う三木)

原田 すごい……! 先生の歌を聴いて失神した女性もいたんじゃないですか?

三木 歌手時代はモテたけど、失神はしてなかったなあ(笑)。30代に入って限界を感じて、ほかのことをやろうと『月刊シナリオ』のコンクールに応募したんだ。それで『アダムの星』という作品が入選したのが転機だな。その後は、わりとトントン拍子に脚本家になったかもしれない。

原田 俳優、歌手、脚本や小説……と、さまざまな芸術に携わってきたんですね。

帰り際に「次は口説くぞ」が効く

三木 僕は「芸術には国境も国籍もない」というのが信条でね。特に歌は言葉が通じなくても伝わるから、すごくいいよ。芸術と、あともうひとつ、国境も国籍もないものがあるんだよ。

原田 なんですか?

三木 セックス。どこの国でも、セックスだけはなくならないだろう。もちろん、人間以外の動物も子孫を残すためにセックスをしているから、国籍どころじゃない。どんな生物も営んでいる行為なんだよ。にもかかわらず、今の日本はセックスについてまじめに語らないよね。

原田 そうですね。神聖化しすぎてフタをしているかもしれません。

三木 しかも最近の男は「セクハラ」と言われるのが怖くて女性を口説けなくなってるそうじゃないか。

原田 そうですね。僕は別の理由で、もう女性を口説けないですけど……。

三木 原田くんは僕から見たらまじめな男なんだけどな。原田くんは別として、セクハラが怖くて女性を口説けないという男性にもアドバイスがあるんだよ。例えば、1回目のデートでは女性を口説かず、帰り際に「次は口説くぞ」と宣言して別れるんだよ。そう言われれば、口説かれたくない女性は次のデートには行かなければいいし、セクハラと訴えられることもないと思うんだよな。

原田 なんだかドラマのワンシーンみたいですね。先生もそう言って今の奥さんを口説き落としたんですか?

三木 いや、僕は言ったことないんだよ。最近考えたから。

原田 ないんですか!(笑)

三木 惜しいことをしたよね。使ってみたかった。今の妻は、僕が講師をしていたシナリオ学校の生徒だったんだ。

原田 先生と生徒として出会ったんですね。じゃあ個人授業で仲を深めて……?

三木 個人授業もしてないよ(笑)。ちょうど、離婚騒動で大変だったときに知り合ったから、僕を気の毒に思ったのかもしれないな。

原田 お優しいんですね。

三木 優しいんだろうな。でも、もう子どもはつくれないよ(笑)。

原田 夫婦関係の形はそれだけじゃないですから! 先ほどの奥さんとのエピソードを聞いて、ご夫婦の仲のよさが伝わってきましたよ。

三木 今じゃ、完全に尻に敷かれてるよ。僕の味方はもう愛するネコしかいない……。

原田 また、ご冗談を。

三木 僕と同じ50歳で人生の岐路を迎えた原田くんには、縁を感じるよ。若いころの自分を見てるようだ。新しい芸名でジェームス原田ってのはどうだ?

原田 うれしいです! 今日は、先生の闘魂をしかと受け取りました。末はジェームス原田を名乗れるように、これからも精進します!

熱く語るジェームス三木

【本日の、反省】
 ジェームス先生は、85歳の今も男としての色気をきちんとまとっている、すべてを超越した存在でした。男としての理想像を持っているから軸がまったくブレない。いろいろな経験を通して反省と奮起を繰り返してきたからこそ、言葉に説得力がある。でも“男はこうあるべき”という考えを押しつけるわけではない、優しさを感じました。女性関係で追従はできませんが、男としてジェームス原田になれるよう、がんばります!

《取材・文/大貫未来(清談社)》


ジェームス・みき ◎1935年、旧満州奉天(瀋陽)生まれ。小学生のときに大阪府に引き揚げ、高校を中退後、劇団俳優座養成所に入る。その後、テイチク新人コンクールに合格し、歌手として活躍。'67年に「月刊シナリオ」コンクールに入選し、野村芳太郎監督に師事し、本格的に脚本家の道へ。大河ドラマ『独眼竜政宗』など、数々のヒット作品を手がける。

はらだ・りゅうじ ◎1970年、東京都生まれ。第3回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストで準グランプリを受賞後、トレンディードラマから時代劇などさまざまな作品に出演。現在は俳優業にとどまらず、バラエティーや旅番組に多く出演し、活躍の幅を広げる。芸能界きっての温泉通、座敷わらしなどのUMA探索好きとしても知られている。