ホスピス医・小澤竹俊先生 撮影/北村史成

「人に頼らず最期まで元気なまま向こうへ行ける……だから多くの人はピンピンコロリが幸せと考えますが、私が知る限りでは、そうやって亡くなる方はほぼいません」

 これまで3000人以上を看取ってきたホスピス医の小澤竹俊先生は、心臓が原因の突然死や事故死などでない限り、“ピンコロ”はないと思ったほうがいいといいます。

“ピンコロ”でなくても幸せな最期が!?

しかしそうでなくても、人は幸せに最期を迎えることができるんです。そのために必要なのは“ゆだねること”です。自分がしたいことができなくなると、人はすごく悔しいんですね。ある患者さんでも『先生、お願いです。リハビリをしてください。ひとりでトイレへ行きたいんです。あの嫁にだけは、下の世話になりたくない』と言うんです。

 自分のことができなくなったら誰かにやってもらわないといけない。それが嫌だ、苦しいと思うから、ピンピンコロリがいいと思うわけです。でも迷惑をかけてもいい人、あなたの苦しみをわかってくれる人がいれば、その人にゆだねてみるんです。ゆだねる相手となってくれるのは、信頼できる、あなたの話を聴いてくれる人です

 家族の世話になることに負担を感じるのであれば、ヘルパーを頼んだり施設に入るなどして他人へゆだねると、心が楽になって気持ちや表情が穏やかになります。

「ゆだねることは、もっとも難しい人生のレッスン。でも自分にとって大切なことを誰かにやってもらう勇気と覚悟を持つことができると、とても穏やかな、幸せな最期を迎えることができます」

心が折れそうなとき、励ましより必要なのは

 死を目前にした人、そしてその人を見守る側も、ひとりで悩まないことが大切。

「どちらの側もいい母、いい嫁、いい娘でいたいという気持ちを持っていますが、思っていてもなかなかそうならないものですよね。『なんで私ばかり苦しむの?』『どうしてきょうだいは手伝ってくれないの?』など、つらくなって心が折れそうになると、そんな自分が好きになれず、苦しんでしまう。そうしたときに、100点を取れなくてもいい、完璧にできなくてもいい、これでいいんだよと言ってくれる人を見つけることが幸せにつながります」

 人は苦しんでいるとき、自分の苦しみをわかってくれる人がいるとうれしい。そうした存在となる人は、励ましやアドバイスをする人ではなく、あなたの話を聴いてくれる人なのだそう。

「これは“ゆだねること”にも通じますが、とにかく、あなたの話を聴いてくれる人を探してください。そして、その相手は、手で触れられたり、目に見えるとは限りません。先に逝った家族、友人などがあなたの伴走者になってくれることもあるんです。そうしたつながりに気づけると、たおやかで、折れない心を持つことができるのです」

先が見通せないから見えてくるもの

 ゆだねたり、話を聴いてくれる人なんて私にはいない……そんな方もいるかもしれません。しかし焦りは禁物。小澤先生は「元気なときは見えないものなんですよ」と言います。

「街中の明るい場所では、夜空の星は見えませんよね? でも街から離れた山の上などへ行くと、たくさんの星が見える。それと同じで、人生がうまくいっているときは明るくて、遠くの未来まで見通せるんです。ところがうまくいかなくなると目の前が真っ暗になって、先が見えなくなる。暗く沈んだ気持ちになると下ばかりを見て、なぜこんな理不尽が……と思ってしまいがちですが、ふと上を見ると、これまで気づかなかった星に気づく。

 このように明るいときには気づかない、暗いからこそ気づくことがあるんです。友人や家族のありがたさ、何気ないひと言、自然に咲く花の美しさなど、困難や不条理の中だからこそ、これまで気づかなかった意外な何かにハッとするんです。そのことに気づけたら、自分のことをゆだねたり、話を聴いてくれる人は必ず見つかりますよ

治る見込みがない病気になった場合、どこで最期を迎えたいか?

看取る側も穏やかになることを選ぶ

 人が亡くなるとき、どうなっていくのでしょう?

 小澤先生に質問すると「ひと言でいうと、生まれた赤ん坊に戻っていくんです」というお答えが。

「徐々に歩ける距離が短くなり、食事の量が減って、やわらかいご飯になり、離乳食のようなわずかな量になります。そして横になる時間が増え、目を閉じて眠る時間が長くなり、やがて最期を迎えます。それが多くの方の亡くなり方です。大事なのは、その自然の経過を避けようとしないことです。健康寿命は確かに延びています。でも、どんなに頑張っても、最期には誰かのお世話になります。それを『穏やかで、よかった』と思える知恵を持たなければいけません」

 生きていくための尊厳が奪われると、人は穏やかではいられなくなるもの。そうならないため、最期をどう迎えたいのか、しっかり周囲に伝えることが必要です。

「例えば末期がんの患者さんが最期を迎えるため、自分の家に帰ってきたとしましょう。帰ってきた理由は、病院にいるより家のほうが穏やかだからです。そのために周りがお手伝いをします。痛みがあるよりはないほうがいいので、訪問医療に携わる人が和らげる。介護する人には、痛みや苦痛があったら薬をあげてくださいと指示をする。適切な対処ができたら、人は穏やかなんです。

 また患者さんは庭が見えると落ち着くので、1階にベッドを置く。庭の花に水をあげると喜ぶので、どなたかが毎日担当する。家族仲がよくて、お孫さんがきょうだいゲンカをせず、遅刻しないで学校へ行くとうれしい──そうやって、誰かの最期に関わる全員が『私にもできる』と思うことで、みんなの穏やかさにつながる。自分にやれることをやるのが大事なんです

家族がいても安心ではない!?

 小澤先生は、これからの高齢少子多死時代を迎えるにあたり、家族がいるから安心という発想ではなく、多様性があるべきだと強調します。

「これからお年寄りが増え、おひとりさまも増えていきます。そして、もし家族がいたとしても、支える人の数はこれまでに比べて減っていきます。昔はコミュニティーに、いい意味での“人の目”がありましたが、今は“個”を大事にしますから、つながりがなくなって無縁社会になりました」

 家族がいても離れて暮らしていたり、配偶者を亡くしたり、ご近所と親しく付き合っていなければ、どんな方も最期は、おひとりさまになる可能性があります。

ひとりで人生を切り開いてきた方は、その生き方を尊重してくれる人を探せばいいのです。そうした人たちを支えられる、できない自分を認めてくれるつながりやコミュニティーを残したい──そのために私は、誰かの人生の最期に関われる人が増えるよう『エンドオブライフ・ケア協会』を設立し、担い手を増やす活動をしています。横浜にある私のクリニックで1年間に関われるのは、ご近所にお住まいの300人ほど。限界があります。

 どこに住んでいても、どんな形でも、誰かとのつながりを担う人たちが増えれば、人生の最期に『よかった』と思える相手が見つかります。ぜひ、みなさんも、ご家族や地域の方たちと話してみてください

小澤先生が考える
最期の瞬間まで“後悔しない”生き方

■自分で自分を否定しない

 反省して改善するのではなく、やみくもな自己否定は自分の将来を奪ってしまうことと同じ! 最期の瞬間まで幸せでいるため、すべてを完璧にできない不完全な自分を、そして不完全な他人を認め、ゆるし合いましょう。

■いくつになっても新しい一歩は踏み出せる

 つらく苦しい出来事にも意味があった……そうした経験を踏まえ、自分は本当に何をすべきか考えてみましょう。人はいくつになっても、この世を去る最期の瞬間まで自分を変え、本当の幸せに気づくことができるのです。

■家族や大切な人に愛情を示し、一期一会に感謝

 ひとりで何でもできるとき、人はわがままなもの。しかし元気なときの世界観は、年を取ったり病を得ると通じません。日ごろから大事な人、出会った人に感謝を伝え、どんなことをしたら喜ぶかを考えて、実践しましょう。

■今この瞬間を楽しみ、今日1日を大切に過ごす

 死を前にして後悔しない人はいません。だからこそ今日1日、その瞬間を大切に。毎日の生活をなんとなく過ごすのではなく、「どれを選ぶと楽しいかな?」と考えれば、きっと、あなたにとって大事なものが見えてきます。

※写真はイメージ

看取る側の極意

■どんな人でも柔和にさせる「ふるさと」の話

 気難しく、話をしない人には「ふるさとはどちらですか?」と質問してみましょう。すると不思議なことに緊張がふわっと解け、会話が始まるそう。各地の話をするために、日ごろからさまざまな知識を吸収しておきましょう!

■相手の言葉を「反復」して話を聴く

「早くお迎えが来てほしい」という方に、どう返していいのか困った経験はありませんか? ここは「早くお迎えが来てほしいと思っているのね?」と反復してください。否定せずに話を聴くと、やがて心を開いてくれます。


ホスピス医 小澤竹俊先生
東京慈恵会医科大学医学部医学科卒業。山形大学大学院医学研究科医学専攻博士課程修了。救命救急センター、農村医療、ホスピス病棟長を経て、2006年「めぐみ在宅クリニック」を開院。2015年「一般社団法人エンドオブライフ・ケア協会」を設立。著書に『「死ぬとき幸福な人」に共通する7つのこと』『今日が人生最後の日だと思って生きなさい』(ともにアスコム)など多数。
一般社団法人エンドオブライフ・ケア協会●https://endoflifecare.or.jp

(取材・文/成田 全)