一翔くん、石破議員、紗里衣ちゃん

 新型コロナウイルスの感染拡大を避けるために子どもたちが学校に通えない状態が1か月以上も続いている。新学期から再開予定だったが、中にはゴールデンウイークまで休校期間を延長する学校も。そんな中、子どもたちの質問に“次の総理”との声もある石破茂議員が答えてくれた。

僕たちは戦争に行くんですか?

 君たちが戦争に行かないですむようにしなきゃいけない、ということなんです。

 人類の歴史には戦争がいつもありました。日本だって約75年前は戦争をやっていました。たった75年前の話なんだよ。どうして戦争になっちゃったんだろう。日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、日中戦争、太平洋戦争があったわけだよね。

 小学校の歴史の授業でなんで戦争になったか勉強した?

 戦争をいちばんやるべきだと言ったのは誰だと思う?

 いちばん戦争をやるべきと言ったのは実は国民だったんです。

 国民みんなが反対したら戦争にはならなかった。戦争をやるべきだと新聞も一生懸命、言ったんだよ。日本はすごい国だという新聞の情報を国民は鵜呑(うの)みにしたんだよね。日清戦争にも日露戦争にも勝って、日本は第一次世界大戦後には世界で5つの大きな国のひとつになった。その後、イギリス、アメリカはとんでもなく悪い国だ、日本は負けたことがないから(第二次世界大戦にも)絶対に勝つ、という情報を信じたんです。

 なんで戦争は起こったのか、どうすれば防げたのかをちゃんと勉強することが大事。そうしないと、もう1回、同じことが起きてしまうかもしれない。戦争に行かないようにするには、どうやったら戦争を止めることができるかを勉強しないと。

 戦争には全部理由があってさ、どっちかが全部正しくてどっちかが全部間違っているということはないんだよね。どちらにも言い分があって、それぞれの正義のために戦っているわけ。

 だからね、戦争に行かなくていいようにするには正しい歴史を勉強するのがいちばんということです。

石破さんは中学時代、何をしていましたか?

 よく本を読んでいたよ。私が中学のときに父親は鳥取県の知事をやっていました。それで父親から本をよく読むように言われていたんだよね。中学生向けではなく大人の本をたくさん読んでいました。戦争の小説もすすめられて、『戦艦大和』とかも中学生のときに読んだ。

 ほかにも水泳部にもいたし、将棋部にもいたよ。吹奏楽部でバス・チューバという楽器もやっていましたね。生徒会長もやったし、面白いと思うことをいろいろやったのはよかったと思います。

海外の中学生と比べて日本の中学生に足りないものはなんでしょうか。

 社会の仕組みや歴史の教育。それからディベート(討論)というのは(海外に比べて)やりませんよね。学校の歴史の勉強ってだいたい明治維新くらいまでしかやらないけど、その後が大事なんです。縄文式土器とか平安時代、鎌倉幕府、江戸幕府成立とかは丁寧に教えても、第一次世界大戦や太平洋戦争はほとんど教えない。高校受験も明治維新までは出るけど、日清戦争や日露戦争はあんまり出ない。

 今の政治のよしあしは国民が決めるもの。国民ひとりひとりが、日本がどうしたらいい国になるかという意識を持って、誰の言うことがいちばん正しいか見極めて選挙に行かないといけません。選挙に行かないとか誰が政治家でもいいと思い始めると、国はどんどんおかしくなって、最後に被害をこうむるのは国民なんです。中学でそういうことを教える国と教えない国ではどんどん差がついていく。中学生で足りないものというよりも中学で何を議論するか。

 例えば「憲法は改正したほうがいい」とか、「原子力発電所はやめたほうがいい」とか。ディベートといって討論することは必要なんです。いろんな考え方があることを学ぶことはとても大事なことです。自分の考えの間違いを知ることも大切。日本の学校教育ではディベートやディスカッション(議論)をする場所がほとんどない。

 それと、日本は宗教学を教えていない。先生もわからないのかもしれないけど、12月24日、25日にはキリスト教徒でもないのにクリスマスを祝って、それからたった1週間でお寺で除夜の鐘をつき、神社に行って初詣をする。これは外国では信じられないこと。世界は宗教で動いています。宗教が活動の基準になっている国が多いということをきちんと知っておいたほうがいい。他国の人と話すときに必ず役に立ちますよ。

石破さんはどうして政治家になろうと思ったんですか?

 父親が政治家だったからだよ(※石破二朗さん 鈴木善幸内閣において自治大臣などを務めた)。田中角栄さんという小学校しか出ていないのに総理大臣になった人がいるのを知っていますか? 田中角栄さんは新潟出身で国民に人気の総理大臣でした。田中角栄さんと父は仲のいい友達でした。

 私の父は建設省というお役所の役人から鳥取県知事になって国会議員になって大臣になって、私が社会人3年目のときに73歳で死にました。そのときに田中角栄さんに「お父さんが死んだんだから君が政治家になりなさい」と言われて政治家になったのです

政治家になるためにどのようなことを努力してきたのですか?

 選挙で当選しないと議員にはなれませんよね。自分の名前を投票用紙に書いてもらう努力、名前を知ってもらう努力を一生懸命しましたね。名前を知ってもらうっていうのは大変なことなんですよ。

 当時、全国で最年少の29歳で初めて選挙に出て、田中角栄さんから「とにかく“お願いします”と歩きなさい」と教わって毎日、集会や集まりでお話ししたり、できたら一緒にお酒を飲んで仲よくなって、ということをやっていました。

 最初の選挙のときは5万6千人しか私の名前を書いた人はいなかった。2回目は8万2千人が書いてくれた。3回目になったら13万7千人の人が書いてくれた。どうやって自分のことを知ってもらうか一生懸命、努力しました。国民の方が「あの人は国民のことを考えてくれている」「あの人の言うことなら信じてみようかな」と思ってもらえるような説得力のある行動をしないといけないですからね。

地元・鳥取の風景写真などが飾られた事務所の中を案内する場面も

コロナで外出が自粛されているときに何をしたらいいですか?

 本をたくさん読んでほしいです。ふだん触れないようなものに触れること。クラシック音楽を聴くとか植物を育てるとか手紙を書いてみるとか。

 16世紀にペストという感染症で世界の人口が半分になるということがありました。そのころ多くの文学が生まれたんです。なぜならば家にいなければいけなくて考える時間がたくさんあったからです。

 休み中の今も、このときにしかできないことをたくさんやってほしいと思います。

石破さんは小学生のときにどんな夢を持っていましたか?

 学校の先生か電車の運転士さんになりたかったですね。そのころ学校の先生を主人公にした漫画があってね、学校の先生って面白そうだなと思っていました。母親も国語の先生でしたし、上に姉が2人いますが、どちらも英語と歴史の教師をしていました。政治家になりたいとは思わなかったですね(笑)。

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 インタビューを終えた2人に感想を聞くと、

「石破さんが“自分で面白いなぁと思ったことは触れてみて実感してみること”“今の日本人は都会に集中して田舎に住みたがらない”という言葉が印象に残っています。

 石破さんは、ひとつの質問に対してたくさんの答えを話せるところがすごいなぁ、と思いました」(紗里衣ちゃん)

「学校も塾も休みになってうれしい部分も正直ありました。でも、休みの今だからこそやるべきことをやろうと思いました。

 この休みの間の意識ひとつで、将来が変わるような気がします。石破さんとお話しできて、そう思いました。

 勉強して戦争のない未来をつくりたいと強く思いました」(一翔くん)

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 子どもたちがお休みなのは学校だけではない。大手学習塾やスポーツクラブなども軒並み閉鎖。学校も習い事にも行けない子どもたちは公園に行けば“不謹慎”などと言われる状況が続いている。

 この状態がいつまで続くかわからず閉塞感も高まっているが、石破議員の言うように“芸術が生まれるチャンス”ととらえれば、また違った過ごし方ができるのかもしれない。


【PROFILE】
一翔くん(14) ◎神奈川県。新中学3年生 。『貧困』をテーマに横浜市スピーチコンテストに出場

紗里衣ちゃん(11) ◎千葉県。新小学6年生。某進学塾にて中学受験に励む日々