インタビューに応じてくれた、元金開山の高崎親方

 日本相撲協会は10日、新型コロナウイルスに力士1名が感染したことを発表した。力士は4日に発熱し、1度は熱が下がったものの、再び発熱して検査を受け、陽性、陰性と結果が二転三転したものの、9日に陽性反応が出たそうだ。力士名や所属部屋などは発表されていないが、幕下以下の力士だという。また、所属する部屋では稽古を休み、部屋で待機しているそうで、力士の早い回復と、これ以上の感染が広がらないことを祈っている。

 これに先立って、協会は5月10日から開催予定だった大相撲夏場所を、2週間延期して5月24日からとしていた。同時に、状況を見合わせながら通常開催か縮小開催、再びの無観客開催、また、中止もあり得ること、さらに7月の開催も2週間延期を発表していたが、もろもろ予断を許さない状況だ。

3月の無観客プロジェクト・チーム

 しかし、相撲協会は3月の春場所を無観客で15日間遂行させている。ほかのプロスポーツでも無観客試合はいくつかあったが、15日間にわたって、毎日開催することができたのは大相撲のみ。一定のノウハウを手にしているのだから、慌てずに対処してもらいたい。

 さて、その無観客場所だが、開催の裏に「無観客プロジェクト・チーム」というものがあったことを、テレビ中継を見ていて知った。どんなことが裏でなされ、ノウハウが積み重ねられたのか? “プロフェッショナル”大相撲版を知りたいと思い、チームを束ねた相撲協会広報部の高崎親方(元・幕内の金開山)にお話を伺った。

――少し時間が経ちましたが、無事に春場所の15日間を終えられ、今どのように感じられていますか?

高崎親方 正直なところ、15日間が無事に終わったという感覚はないんですね。もともとが異常事態です。だから、そのことに対して「無事」という思いは全然なくて。前例のないことをやって、これが無事だったのか正解も分からないですし、「やった」とか「がんばった」とかいう達成感とも違うんです。

――15日間なんとか切り抜けられた、という感じでしょうか?

高崎親方 はい、そういう感じですね。草をかき分け進んだ、一日一日の積み重ねでの15日間です。

――「無観客プロジェクト・チーム」は高崎親方の発案で始まったものなんでしょうか?

高崎親方 発案というか、春場所が始まる1週間前の3月1日に理事会で「無観客でやる」と決まって、同時に「放送はする」ことも決まりました。そうなるとメディアの窓口が広報部になりますが、運営の面も考えると広報部だけじゃなく、協会みんなでやっていかないと無理だと思ったんです。

 それで芝田山広報部長(元・横綱大乃国)と「毎日、各部署が情報を共有し、共通認識でやっていかないと大変ですから、集まりましょう」としたのが最初なんですね。

――実際にはどんなことを話し合っていかれたんですか?

高崎親方 相撲協会には先発する「地方場所部」という部署があり、担当親方が各地方に約1か月半前から入って準備をします。最初はその先発隊と、どうしたら濃厚接触を避けられるか? を話し合いました。地方場所は体育館での開催で、国技館と違い協会員とメディアの人たちを完璧に導線を分けるのが難しいので、一つ一つ確認して分けていったんですね。そういう細かいことです。毎日ちょっとずつ、「今日はこういうことがあったんでこうしていきましょう」と、みんなで共通認識をするようにしました。

――どういうメンバーだったんですか?

高崎親方 20人ぐらいです。行司、呼出し、床山。さらに若者頭、世話人。そして立会人や木戸、審判、警備といった親方たち。それぞれの中から各1~2人ずつが集まりました。

――最初のころはチームを組んだといっても、何もわからない状態からのスタートですよね。

高崎親方 最初は何を議題にするかもわからないから、会議も1時間ぐらいかかりました。毎日、午後2時から集まって、それぞれが問題を解決していくんじゃなくて、問題意識を共有して動いていこうと話し合いました。

 例えば、支度部屋に記者を入れないことになると、力士だけになって緊張感がなくなってしまうから、じゃ、誰か管理責任者を置こうとなって、立会人の親方が「オレたちがやるよ」って手をあげてくれたり。

 メディアの方々による取材も、その日その日で取材を受けるおすもうさんもいれば、受けないおすもうさんもいるじゃないですか。それは普段からそうですが、こういうときは記者の方も特に心配されたりするので、取材を受けないおすもうさんには一言聞いてくる、そういう担当の親方を配したりもしました。

相撲ファン賞賛のご挨拶

――それでもやっていくうちに、問題が起きてくることもありましたか?

高崎親方 水つけ、ではひしゃくに口をつけないで“フリ”だけをするはずだったんですが、水はちゃんと入っていたので、間違えて口を付けてしまうおすもうさんが最初のころは何人かいて、「部屋に注意してください」とプロジェクト・メンバーから直接、注意をお願いしました。それからNHKさんにも、「あんまり水をつけるところ(の映像)はアップにしないでください」って広報部からお願いにあがったりもしましたね。

――普段だったら全く気を遣わなくていいところまで細かく目を配り、まるでプロのイベント屋さんみたいなことまでされていたんですね。

高崎親方 そうです。初日と千秋楽の「協会ご挨拶」も、初日の朝にみんなで話し合って、あの形になったんです。発案は八角理事長で、初日の2~3日前に「協会挨拶はみんなでやりたい」と伝えられました。そこで、みんなでやるタイミングと、テレビの前のみなさんに、よりメッセージが届くようにするためにはどうするか? を考えて、あの形になりました。

3月の無観客場所初日の、協会ご挨拶の様子(相撲協会のYouTubeより)

――あれを考えた人はすごい!って相撲ファンはみんな賞賛してました。

高崎親方 ああいう並び方は、明治神宮で毎年行われている「力士選士権」などでもとっているものです。全親方衆も並ぶという案もあったんですけど、それよりも力士中心にして、紋付き袴の審判の親方が並んだ方がカッコいいのでは?となりました。プロジェクト・チームで考えた結果があのようにきれいに収まって、会議してよかったです。

 でも、それが千秋楽でもできるとは、最初は全く想像もしてなかったですから。千秋楽に協会挨拶ができたというのは……本当に奇跡で、めまいすらしましたね。

――おすもうさんだけでも700人、裏方さんまで入れたら1000人近くいて、その方々がひとつになって同じ方向に向かって遂行するのは、考えただけでもすごいことです。

高崎親方 中日を迎えたとき(8日目)、理事長が大阪の豚まんを600個買って、全部署を自ら歩いて廻って配ったんですよ。行司、呼出し、床山、審判といった裏方はもちろん、記者クラブ、NHKやガードマンにいたるまで「中日までよく頑張ってくれてありがとう」って。

 中日まで来たら、もう団結しますよね。前半の方は正直、難しいんじゃないか? ということも言ってました。だって、力士はしょっちゅう意味不明に熱出したりするの、みんな分かってますから。前の日に40度の熱を出して、次の朝36度に下がって、平気で稽古するのはザラにあります。あのころは熱=中止というのが独り歩きしてて、無理だよねって言ってたんです。冷静に考えたら熱じゃなくてコロナなんですよね。コロナ感染者が出たら中止なんですけど。でも、あのときはみんな知識がなかったから「熱だ」となると、ワッと大騒ぎになりました。

千代丸関の発熱騒動

――千代丸関の発熱のときは大騒ぎになりましたか?

高崎親方 あの日の夜、そういう話があったんですが、プロジェクト・チームでは「蜂窩織炎だろう」と聞いていました。持病の扁桃炎など、発熱原因のリストも作ってプロジェクト・チームで共有していましたが、蜂窩織炎は発熱する原因としてのリストにありましたから。それが、PCR検査を受けたと聞いて、「ええっ?」って驚いて、そのときはみんなで、「絶対にない」と思いながらも、怖かったですね。もし感染していたら、感染が発表されたのに中継してたらまずいので、私はNHKに30分でも早く報告しないとならない。その伝達方法などをNHKプロデューサーと話しました。

――おすもうさんたちへの指示は、具体的にはどんなものだったのですか?

高崎親方 検温は毎日2回して、部屋ごとにまとめて報告してもらいました。マスクをしてもらい、入口などでアルコール消毒も。基本は外出禁止です。外との接触をきって、中に入れない。稽古見学も断り、日に日に意識は高まっていきました。

――とはいえ、エネルギーのある若い子たち。外に出たくなったりもしますよね。

高崎親方 そこは上がきちんと見せることですね。師匠も出かけずに部屋に早く帰ってきて、朝も健康チェックを欠かさずされたら、きちっとせざるを得ないです。

 2月、3月、いつもうちの部屋(出羽海部屋)は風邪を引いたり、新弟子なんかは環境の変化で熱を出したりするのは常なんですが、今回はそれが全くなかったですね。規則正しい生活をして、ケガの功名です。ただ、地方場所はいつも夜に“お呼ばれ”することが多いけど、今回は毎日、全員が部屋で食べるでしょう? だから途中でお米がなくなってしまい、追加で150キロ差し入れしてもらいました。

#おすもうさんのお弁当

――スケールが違いますね。ごはんといえば、ツイッターで「力士のお弁当」ツイートがバズりました。

高崎親方 外出禁止だったので、幕下以下で関取の付け人をする力士が、最初はコンビニのパンやおにぎりを食べていたのを、各自が弁当を持ってくるようになったんです。私は毎日、館内を巡回していたんで、みんなタッパーを持って来ているのに気づいて、「ああ、えらいねえ」なんて言って、それをツイッターに載せたら、反響がよかったんです。奇をてらった企画じゃなくて、そうやってるんだよとそのまま出しただけですが、おすもうさんが手作りのお弁当を食べてる、というのは健康的で理にかなっていますよね。

――高崎親方もひよのやまのキャラ弁を作ってましたね。

高崎親方 もともと料理は嫌いじゃないですが、私がやったのは、親方という立場の人間がこういうのをやったら、若い衆もやりやすいんじゃないかな? と思ったからなんです。それで、みんながお弁当を食べていたスペースに「もし、お弁当をツイッターに投稿してほしい人がいたら連絡ください」と書いて貼っておいたら、けっこう電話かかってきて「載せてください!」と言われたんですよ。

相撲協会のツイッターにアップされた、高崎親方手作りのひよの山弁当

――みなさん、がんばりますね~。もうひとつ、緊張の中で楽しい企画といえば、YouTubeでの「親方ちゃんねる」もありました。ジャンパー姿の親方たちが、楽しいトークで取組解説やあれやこれ。「すごく楽しかった」という声が多いですね。

高崎親方 あれは、ずっとやりたかったんですよ。Youtubeは収入も得られるものですし、もっと活用したいと考えながらも、相撲の伝統も重んじなくてはというのもあり、普段はお客さんもいて、なかなか手を出せないでいたんです。でも、今回は警備の親方たちが比較的、手が空いていたので実現できました。

 これには芝田山広報部長に中日に出演してもらって、警備の親方の仕事だよと認めてあげてやりやすくしました。お弁当もそうですが、この世界はどうしても上の目を気にする面があるので、そういうことも大切なんです。

――その結果、音羽山親方(元・天鎧鵬)のMCが天才的に弾けていました。そういうお楽しみもありつつ、この場所では「神事としてのすばらしさが際立った」、「横綱の土俵入りが神秘的だった」「土俵上の音がすごかった」と、大相撲の根本的な魅力がクローズアップされました。

高崎親方 そういう相撲の一面を再認識してもらえたのはよかったです。この場所の思わぬ副産物というか、よかったところです。私もずっと力士をやってきたから、当たり前に思ってきたんですよね。神送りの儀式とか面白いと言われて、改めてそういう神事的なものの大切さに気づかされました。異例な場所でしたが、みなさんがそうして概ね好意的に見ていただけたのは、本当に良かったです。

――しかし、おすもうさんはどんなに疲れただろうか! とも思います。横綱白鵬が優勝インタビューの開口一番「終わった」と言ったのが印象的でした。何より終えられたことにホッとしたんだなと思い、その重圧たるやと震えるような思いがしました。

高崎親方 本当の言葉だと思います。本心ですよね。みんなが思っていたのは、中止にするのは簡単だけど、中止の原因にはなりたくない。14日目とかに出ちゃったら、とか。誰が悪いわけではないけど、第一号にはなりたくないとは全員が思っていました。

 だから、いろいろ考えたら、やらないのが一番ラクです。だけど、全国のテレビの前の人たちに、力士の元気な姿を見せるのが使命だという信念が理事長にあって、それを実現させていくための最善の策を考えて、みんなで乗り越えたんだと思います。

――親方ご自身、15日間を支えたものは何でしたか?

高崎親方 毎日の積み重ねでした。トイレのカレンダーにマジックでバッテンして、「ああ、今日も終わった」と、毎日、思っていました。先は長いな~と思いながら、とにかく今日を頑張りましょうと鼓舞し合いながら頑張りました。でも、これで終わりじゃないんですよ。5月にも続いていくものです。

――プロジェクト・チームができたことで情報がいきわたり、結束が強くなったというのはありますか?

高崎親方 それは絶対にありますね。こうした非常事態の中で結局は人と人のつながり、マンパワーでやっていくしかないんだと気づかされました。幸い、朝乃山が場所後に大関に推挙され、明るい話題も生まれました。

  ☆   ☆   ☆  

 700人以上のおすもうさんが15日間、同じ土俵で戦う大相撲。よくぞ切り抜けた! と、お話をうかがって改めて思う。あと1週間、開催時期が遅かったら、世論を含めていろいろと難しかったかもしれない。タイミング的に間に合ったこと自体、大相撲の持つ強運のようなものもあるのかもしれない。

 江戸時代、1600年代ころから始まった相撲興行は、戦争や疫病、天変地異、さまざまな困難に遭いながらも続いてきた。今は大きく困難な時代ではあるけれど、大相撲はきっと続いていく。国技館でまた、大きな声で声援を送る日はやってくる。その日を楽しみに、さて、Youtubeの「親方ちゃんねる」のアーカイヴでも見ましょうか!

(注・取材は4月2日に行いました)


和田靜香(わだ・しずか)◎音楽/スー女コラムニスト。作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦やアルバイト迷走人生などに関するエッセイも多い。主な著書に『ワガママな病人vsつかえない医者』(文春文庫)、『おでんの汁にウツを沈めて〜44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー』(幻冬舎文庫)、『東京ロック・バー物語』『スー女のみかた』(シンコーミュージック・エンタテインメント)がある。ちなみに四股名は「和田翔龍(わだしょうりゅう)」。尊敬する“相撲の親方”である、元関脇・若翔洋さんから一文字もらった。