安倍首相と星野源

 安倍晋三首相が4月12日にツイッターに投稿した動画が、ネット上で大炎上した。自宅とみられる私室で犬とくつろぐ姿などを、シンガーソングライターの星野源氏が演奏する楽曲「うちで踊ろう」とともに公開した動画に対し、「なんだこれ?」「まるでKY(空気が読めない)だ」などの批判が殺到している。

 その一方で、「ゆっくり休んでください」「安心しました」など評価する声もあり、動画への賛否は交錯している。外出自粛による国民の不安と苛立ちが今回のネット騒動の背景にあるとみられるが、欧米各国で拡大しているコロナショックによる国民の分断と対立が、日本でも加速しつつあることを際立たせる結果となった。

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動画で外出自粛を呼びかけたが…

 安倍首相の公式ツイッターへの投稿は12日午前9時過ぎ。ソファに座って愛犬を膝に抱いたり、コーヒーカップを片手に持って飲んだり、椅子に座ってテレビのリモコンを操作したりする、くつろいだ様子の動画が流された。動画は、星野氏の流す音楽と約1分間、コラボレーションしたものになっている。

 この動画は「友達と会えない。飲み会もできない。ただ、皆さんのこうした行動によって、多くの命が確実に救われています。そして、今この瞬間も、過酷を極める現場で奮闘して下さっている、医療従事者の皆さんの負担の軽減につながります」という安倍首相のメッセージ付きだ。

 併せて、次の投稿で「私たちは、SNSや電話を通じて、人と人とのつながりを感じることができます。いつかまた、きっと、みんなが集まって笑顔で語り合える時がやってくる。その明日を生み出すために、今日はうちで……。どうか皆様のご協力をお願いします」と、国民に向けて改めて外出自粛を訴えている。

「うちで踊ろう」は、星野氏が4月3日に公式インスタグラムで公開したギターによる楽曲。「生きて踊ろう 僕らそれぞれの場所で」などの歌詞が反響を呼び、星野氏と親しい芸能人など、多くの有名人がそれぞれ伴奏やコーラス、ダンスなどでコラボし、アクセス数も激増して大きな話題となっていた。

 安倍首相の動画投稿は、こうした人気に便乗する形で国民に外出自粛を呼びかける狙いがあった。しかし、動画がアップされた途端、「星野源を政治利用するな」「友達と会えないことや、飲み会ができないのがつらいんじゃない。症状が続いているのにPCR検査もしてもらえないのがつらいのです」などの突っ込みが殺到。

 数時間後には「何様のつもり」「政治利用」などの言葉がツイッターのトレンド上位にランクイン。再生数は12日夜で100万回を超え、13日になっても増え続けている。

蓮舫氏は「なぜ誰も止めなかったのか」

 首相日程などから、動画は11日までに撮影されたとみられる。実際の動画作成や投稿はこれまでと同様、首相官邸の広報担当者によるものとみられるが、安倍首相の意向を踏まえたものであることは明らかだ。「なかなか徹底されない外出自粛を、首相自身が促す多角的手法の一環」(関係者)とされる。

 この首相の投稿について星野氏は12日深夜、自らのインスタグラムでコメントし、「安倍晋三さんが上げられた“うちで踊ろう”の動画ですが、これまで様々な動画をアップして下さっている沢山の皆さんと同じ様に、僕自身にも所属事務所にも事前連絡や確認は、事後も含めて一切ありません」と説明した。これは、政治利用との批判を意識し、官邸との連携を明確に否定したものだ。

 これについて、立憲民主党の蓮舫副代表は「ご本人のお考えだとすれば、何故誰も止めなかったのか。側近と言われる方々の発案だとすれば、『これはおかしい』となぜ総理は言わなかったのか」となど厳しく批判。自民党内でも「すぐ批判されると考えなかったとすればKYすぎる」(自民若手)との声が出た。

 そもそも、新型コロナウイルスによる感染拡大が戦争に匹敵する国難であることははっきりしている。感染拡大を阻止するため、一層の外出自粛を求めた安倍首相の呼びかけは「当然のこと」(官邸筋)ではある。ただ、「TPO(時と場所、状況への配慮)に欠けたことで、ネット民からディスられる(攻撃される)結果となった」(同)のが実態だろう。

 コロナ禍以前から、安倍首相の政権運営に対する支持派と不支持派の対立が際立ってきた。「メディアも含めた安倍政治をめぐる国民的分断の深さ」(閣僚経験者)が今回の騒動を巻き起こしたようにも見える。アンチ安倍グループにとっては「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」となり、これに安倍シンパが徹底攻撃するという構図だ。

 しかも、アンチ派の安倍首相攻撃を拡大させたモリカケ疑惑や桜を見る会問題での政権の「逃げ恥作戦」は、星野氏も出演して話題になったテレビ番組「逃げるは恥だが役に立つ」をもじった揶揄だ。それだけに今回の騒ぎは「妙な因縁」(自民若手)も絡む。

「訴える力」が足りない安倍首相

 ただ、自らの言葉で切々と国民の覚悟と協力を訴えたドイツのメルケル首相や、自ら感染しながら、必死の表情で国民への発信を続けるイギリスのジョンソン首相と比べ、「安倍首相の訴える力と悲壮感は明らかに不足している」(自民長老)との声が多いのも事実だ。

 安倍首相は、緊急事態宣言に先立って自らの政治決断で決定した「全世帯への布マスク配布」がネット上で「アベノマスク」として大炎上したばかり。にもかかわらず、今回も「アベノコラボ」と揶揄される事態を招いたのは、「官邸の危機管理のお粗末さ」(政治評論家)との批判の声も相次ぐ。

 13日朝の民放テレビは、この「アベノコラボ」騒ぎを面白おかしく伝えた。その一方、新聞は朝刊休刊日にあたり、一部大手紙がネット配信で触れるにとどまっている。このため、首相サイドには「騒ぎは一過性。評価する声もあり、首相の真意は遠からず国民に浸透する」との楽観論もある。菅義偉官房長官は13日午前の記者会見で「過去最高の35万以上も『いいね』をいただいて、多くの人にメッセージが伝わった」とコメントした。

 小池百合子東京都知事を筆頭に、全国の知事は「自らの地元での感染数拡大によるオーバーシュート阻止」に必死の形相で取り組んでいる。その危機感を「ワンボイス」で国民に訴えるのが安倍首相の役割だが、今回は「それとは程遠い低レベルの騒動」(閣僚経験者)にみえる。

 このため、永田町や霞が関では「政治と官僚と首長と国民がまさに『ワンチーム』となることが必要なのに、(安倍首相は)何をしているのか」(首相経験者)との声も広がっている。


泉 宏(いずみ ひろし)政治ジャーナリスト 1947年生まれ。時事通信社政治部記者として田中角栄首相の総理番で取材活動を始めて以来40年以上、永田町・霞が関で政治を見続けている。時事通信社政治部長、同社取締役編集担当を経て2009年から現職。幼少時から都心部に住み、半世紀以上も国会周辺を徘徊してきた。「生涯一記者」がモットー。