マリエとしげるちゃん

海外のファッション・流行などをナビゲートしているしげるちゃんが毎回「会いたい人」と「好きなお店」で対談! ゲストの“素”を引き出しちゃいます。第7回目のゲストはタレントでファッションデザイナーのマリエさん。10年ほど前は幾度となく“遊び倒していた”というふたりの再会にトークが止まらない!(本対談は緊急事態宣言発令前に行われたものです)

* * *

しげる「いきなり直球の昔話になるけど、『東日本大震災』での原発事故のあたりにマリエがアメリカ(NY)の大学に留学をしたころ、『セレブタレントは逃げるのか~』って酷いことを言う人達もいたと思うけど、その渡米は逃げたっていうよりも、もともと決まっていたことだったんじゃなかったっけ?」

マリエ「決まってた。10代の頃から憧れていたパーソンズ美術大学でファッションについて学びたくて。デザイナーがやりたいのかスタイリストがやりたいのか分からなかったから、ちゃんと勉強しようと思っていたの。で、入学が決まって9月から大学が始まっちゃうから、その前に住む場所も探さないといけないわけじゃん? それで6月にはアメリカへ。そうなると自動的に3月末でレギュラーを終わんなきゃいけないの。

 だからレギュラー番組の人たちは『マリエちゃんは3月で終わりなんだよね』ってことはみんな知っていて。突然やめて“もう明日行きます”じゃなかった。そんなときにちょうど311があったの

しげる「当時、Twitterで炎上してたよね? 最近は『炎上』が当たり前(?)のように日常で起きるけど、当時はインスタも流行っていなかったし、そんなに炎上ってなかったような気がする」(編集部注:東日本大震災直後ツイッターを通じて大量に寄せられた「寄付しろ」といったコメントに反発するようなツイートで炎上)

マリエ「はい、私、炎上ファーストレディです(笑)」

しげる「やっぱりそうなんだ(笑)。その背景に何があったかも聞いていいかな」

マリエ「あのころ、私、セレブタレントって言われてたでしょ。それでだろうけど、東日本大震災の後に、『セレブなら寄付しろよ!』みたいなコメントがすごくたくさん私に寄せられてたの。だけど私、『ファンのみんな大丈夫?』ってツイートして気遣いすることも出来なかった。そのとき交際していたパートナーが、震災の被害がすごく大きかった宮城県気仙沼市出身で。隣で『家族と連絡がとれない』って言ってたんです。私、それを必死でサポートしようとしていて

しげる「心無いコメントをスルーする「心の余裕」なかったんだね」

 

マリエ「もちろん私の言い方も悪かったと思う。すごい反省してる。でも当時、『マリエちゃんなにも言わないの?』とか『なにか声明出さないの?』とかもすごい来てて。言い訳になるかもしれないけれど、あまりにいろんなことが頭のなかをグルグル回って、若かったこともあり、『寄付しろ』っていう人たちのコメントに向き合うことが出来なかった

しげる「そういうことか。あのころからかな? 『寄付をしたら公表するべき』みたいなSNSの流れが出来てきたよね。“寄付をしても公表をする必要あるのか?”という疑問を少なからず、しげるは持ってたな。しげるはブログで公表していた気がするけど。なんか、公表しなきゃいけない感覚にとらわれてた気がする。結果、マリエは、テレビのお仕事を一気に辞めて、渡米したじゃない? 日本に戻ってきたときに仕事が出来なくなるんじゃないかって怖くなかったの?」

 

マリエ「今はSNSもあって自分で発信も出来るし、当時から“辞める”って感覚はなかった。テレワークって言葉が注目されてるけど、あのころから私、“別に世界のどこにいても仕事できるじゃん”と思ってた。実際、『ViVi』さんも“アメリカで写真撮影しますのでそれを日本で掲載してもいいですか”って取材もあったし。ただ、確かにテレビには出てなかったかな。出ないって決めていたわけではないけど、別にテレビにしがみつかなくてもいいかなという考えは当時からありました」

あのころ、もっと女の子を幸せにできたんじゃないか

しげる「『テレビにしがみつかなくてもいいかな』っていうマインドは『いま』の新しい世代の強さなのかもね!
ところで、マリエが立ち上げたブランドの話を、詳しく聞きたいと思ってたんだけど」

 

マリエ「聞いてくれるの? うれしい!うれしい!」

しげる「『PASCAL MARIE DESMARAIS(パスカルマリエデマレ)』だっけ」

マリエ「そう。23歳のときにアメリカへ行ったんだけど、そのころの私って30種類以上、処方薬を飲んでいたんです。でもオーガニックブームもあり、タモリさんの言葉も思い出し、処方箋に頼らない生活を目指して4年かけてそれを止めました。それまで自分のことが大嫌いだったの。クレイジーで怒ったり嗤(あざわら)ったり泣いたり。起伏が激しいのは自分の性格なんだと思ってたんだけど、処方箋をやめたらすごくメロウで

しげる「自分の嫌いな自分っていうのを、処方箋とかそういうので全部作っていたのかもしれないね」

 

マリエ「うん。それでもし、私がテレビに出ていて影響力があった時に、正しい知識を伝えてあげられていたら、女の子たちをもっと幸せにできたんじゃないかってすごく悔しくなったの。もし今からやり直せるとしたら……と思ったら、“こうやって生きるともっと幸せになるよ。こういう素材を使ってこういう風に生きていくといいんだよ”と伝えるためには、自分が好き勝手にデザインできるブランドを起ち上げるしかないなと思ったんです

しげる「そして今に至るわけね」

マリエ「オーガニックコットンを使ったり、ただ捨てられるだけのジビエの皮をうちで全部請け負って製品化したり。そういうコンセプトをお届けしたくて。大手には出来ないことをしていこうというのもうちの会社の方針です」

しげる「ジビエってレザー(皮)だよね? いまのファッション業界は世界的にレザーや毛皮を避けているけど『捨てられていくものであれば使おう』っていうコンセプトをマリエのブランドは持っているってことだね」

 

マリエ「そう。大手企業だとまず、傷物を扱うことがタブーなんです。野生の動物の皮が捨てられちゃうのは、そこから作られた革をキレイなものとみなされないから。でも個人ブランドだから『この傷が格好いいんじゃん』って。私が生きてきて、いろんな傷を負って、涙を流して成長するのと一緒で、その野生の傷を“格好いい”っていいたい。

 美しさの定義を変えていこうと思ったんです。だって傷って『生きてきた証』じゃないですか

しげる「ものを使う」

マリエ「そう。インディアン感覚。全部余すことなく使ってあげることが人間の責任である、って感覚でやっています」

しげる「確かに、捨てられるものをゴミにするよりもカタチに変えるのは有意義だね」

マリエ「私たちは小さなブランドだから、大手が価値を見出せなかった廃棄物になっていくものに価値を見出す時間が使える。大量生産ができないぶん高い値段がついてはしまうけど、それだけの意味があると思います

 

(編集部)――先程、「私が生きてきて、いろんな傷を負って、涙を流して成長するのと一緒で、その野生の傷を“格好いい”と言いたい」とおっしゃっていましたが、マリエさんのブランドの美しさの定義や、今のマリエさんに通じる感覚があります。

マリエ「実はアメリカは、一回挫折した人がもう一回這い上がるのを観るのが大好きな国民性なんですよ。傷ついた人がいろんな経験をして学んでいって変わっていく。失敗を“赦(ゆる)してほしい”んじゃない。誰かの傷を“美しい”と思えるような社会は素晴らしいと思います

(編集部)――一方で日本では、一度レールから外れるともとに戻るのは難しいと言われています。

マリエ「何が失敗かの定義は難しいですし、応援まではする必要はないと思うのですが、私は私の発言を受け取ってくれる日本の女の子たちに、人の失敗や傷を理解してあげられる人間になってもらえたらと願っています

しげる「マリエのインスタを見ていると『お仕事がんばってるなぁ』って感じることが多いけど、きっとNY生活はマリエにとってのセカンドライフをスタートする分岐点だったんだね、ラジオのお仕事も長くしてるよね?」

マリエ「J-WAVEさんでナビゲーターを。私もともとラジオ大好きだったし、ラジオの楽しさを伝えるためにも、覚悟の想いで日本へ帰ってきました(笑)。本当は住む場所にはそれほどこだわってないんだけど(笑)」

 

しげる「うん、きっとマリエなら出来ると思う。頑張ってね、しげるも応援するから!  このお店はどうだった?」

マリエ「すごく美味しい! あと飾られているアートに驚きました。須藤俊さんの作品があったんですけど、私のブランドでメインキャラクターを作りたくて、プライベートで10年以上お世話になっていて」

しげる「すごい偶然! しげるはね、山形牛のステーキのこのタレ。山形の特産のだしで食べるんだけど、これお酒のつまみにしても美味しいんだよ・お野菜もこれをつけて食べたほうがいいわ。食べなさい!(笑)」

マリエ「うん。すごく合う! でもしげるちゃんもそうだけど、いろんな方が私の今の活動を応援してくれているの。それがすごくうれしいんです」

しげる「それはね、マリエが頑張ったからだよ。頑張ったものが今、返ってきてるの。お仕事かもしれない、恋愛かもしれない。逆に一生独身かもしれない(笑)。でも頑張ってきたことがいろんなかたちで返ってくる。マリエはそれを体現する存在なのかもね」

今回のお店 『PACE』

 

【店主に直撃!】

──お店について教えて下さい

2013年8月にオープンして7年目です。お店のテーマは「自由」。わんちゃんも赤ちゃんもOK。夜中も、朝5時まで営業していますし、貸し切りもカップルのデート使いも・食事は400円から3000円ぐらいまでのアラカルトが。好きな場面で利用される皆さんの自由に使っていただければ。今回のボロネーゼは2000円。山形牛は3000円でお出ししております

――こだわりは?

私が山形県出身なので、山形の食材を可能な範囲使用しています。お野菜は9割。お肉も山形牛を使用しています。お酒も自由感が強くて、イタリアンだと普通はワインやシャンパン、スパークリングワインなのですが、ハイボールやレモンサワー、またしげるちゃん専門のしげるちゃんサワーも(笑)。

――メッセージ

自由な空間ですので、記念日、家族連れ、お友達と、合コンと、いろんな場面でお好きに使っていただければ。記念日でしたらシャンパンのオリジナルラベルをご用意したり、誕生日プレートも。お花の準備も出来ますのでなんなりとお申し付けください。

(現在『PACE』ではコロナウイルス感染拡大防止のため、ディナータイム予約の際は要電話)