辻出紀子さん。好奇心旺盛で屈託なく笑う笑顔に、惹かれていた男性も周囲には多かったという

 今から22年前、ひとりの女性記者が忽然と姿を消した。「売春島に関わる取材をしていたから消された」「北朝鮮に拉致された」などの噂がネットを中心に出回ったが、いずれも憶測にすぎなかった。週刊女性は辻出さんに最後に会った男性を突き止め、当時の状況を聞くため伊勢市に向かった──。

最後に会った男

 3月半ばの黄昏(たそがれ)時だった。外階段を伝ってその建物の2階へ上がり、ドアをノックした。するとぱっちり目の、小柄な中年女性がガラス越しに現れた。髪は明るく、ボブぐらいの長さ。妻だろうか。

「Aさんはいますか?」

 そう尋ねると、女性は奥へと呼びにいった。間もなく、グレーのパーカを着た中年男性が、何事かという顔をして玄関へやって来た。少しふっくらとした体躯で、肌つやはよく、整った顔立ちをしている。私を見るなり、訝しそうな表情を浮かべ、ドアを少しだけ開けた。

 このA氏こそが、雑誌記者の辻出紀子さん(当時24)が22年前、三重県伊勢市で行方不明になる直前に会っていた男だった。

 以来、警察の捜査も実を結ばず、あの日から忽然(こつぜん)と姿を消した辻出さんは、現在に至るまで見つかっていない。一時は北朝鮮に拉致されたという説や、「売春島」として知られる志摩市渡鹿野島(わたかのじま)の暗部に切り込んで不明になった、といった説が飛び交ったが、いずれも根拠は薄かった。

 消去法で最後に残ったのが、この目の前にいるA氏が事件について何らかの事情を知っている可能性だった。

 辻出さんの母、美千代さん(71)は今も毎年、夫の泰晴さん(72)とともに、伊勢市内で有力情報の提供を求めてビラ配りを続けている。

「毎日夕方ごろになると、あの子のことを考えます。忘れたことはない。どこかで元気でいてくれたらいいなと。この思いは、ずっと死ぬまでひきずっていくんでしょうね」

 津市内にある辻出さんの実家の部屋には、彼女が立命館大学時代に訪れたアジア各地での写真の数々が、壁一面の大きな額縁に飾られている。バングラデシュで、ミャンマーで、中国で……。辻出さんは、旅先で出会った現地の人々や田園風景に一眼レフのレンズを向け、また親切にしてくれた人々と一緒に写真に収まった。当時を美千代さんが振り返る。

「出発前日にいきなり『明日から海外行ってくる』と言うような子でした。京都から三重まで原付バイクで帰ってきたり、親からすると『危なっかしい』ところがありましたね」

 今ではそんな母と子のやりとりも微笑(ほほえ)ましい思い出だ。

 辻出さんは将来、ジャーナリストを志望し、大学卒業後は地元の出版社、伊勢文化舎に就職した。働き始めて1年半が経過した1998年11月24日。前夜に旅先のタイから帰国したばかりだったが、この日もいつもどおり、午前9時に出社した。取材や写真のチェックなどの業務をこなし、午後11時過ぎに退社した。

 しかし、辻出さんが自宅に帰って来ることはなかった。

 翌日、会社から約1キロ離れた損保会社の駐車場で、辻出さんが乗っていた紺の日産マーチが見つかった。ドアはロックされたままで、車内は人影がなく、荒らされた形跡もない。ところが車は枠線をはみだし、斜めに止まっていたのが不自然だとして、損保会社が伊勢警察署に通報した。

 同日朝、辻出さんは出勤していなかったため、何らかの事件に巻き込まれた可能性も視野に同署は捜査を始めた。

紀子さんが乗っていた紺色の日産マーチ。車内の灰皿には銘柄の違うタバコの吸い殻が数本あったという。紀子さんはタバコを吸わない
紀子さんの手がかりを少しでもつかもうとさまざまな取材に答えてきたという父・泰晴さんと母・美千代さん

矛盾した供述

 捜査の過程で、辻出さんと関わりがある人物の1人として、A氏の存在が浮上した。

 捜査員が電話をかけたところ、A氏は事件発生7か月前に取材で辻出さんと知り合ったと打ち明けた。

「(辻出さんのことは)よく知っているが、最近は電話もしていないし会ってもいない

 しかし、県警が、A氏や辻出さんの携帯電話の発信記録を調べたところ、辻出さんが不明になる前の11月24日午後、A氏と辻出さんは数回、電話でやりとりをしていた。不明になる直前まで連絡をとり合っていたのだ

 三重県警は、A氏を任意同行して取り調べを行った。するとA氏は、辻出さんを電話で呼び出し、駐車場で会ったことを認めた。

「辻出さんが僕の車に乗り込んで話をしたところ、ムードが盛り上がったので車内でセックスをした。その後、少し話をして駐車場で別れた。以降は知らない」

 ところが後日、

「駐車場から車を20〜30メートル走らせ、そこで辻出さんを降ろした」

 と供述しており、どういうわけか話が変わっていた。

 この供述について、当時、捜査を担当していた元刑事は、「車内での出来事が本当なら、辻出さんの身には何も起きなかったはずだ」と述べ、信ぴょう性は低いとみている。

 さらに、県警がA氏の交友関係を洗い出していくと、事件から1年ほど前、東京都に住む風俗業の女性を監禁した疑いが発覚した。これに基づき、辻出さん不明事件から2か月半後、監禁容疑でA氏を逮捕した。

 A氏の逮捕に至るまでに、実は紆余曲折(うよきょくせつ)があった。前述の元刑事が、私の取材にこう明かす。

「初動捜査が出遅れてしまったんです」

 辻出さんの行方不明がわかった日、母、美千代さんは伊勢警察署に家出人捜索願を届け出た。しかし、警察はすぐに動き出さなかったという。

「失踪しても数日後に帰って来る可能性が高いので、事件として即座に捜査するのが難しかった。当時は今のようにDVやストーカーを担当する係がなかった。それでのんびりした対応になり、3週間も放りっぱなしやったんです

 結局、辻出さんの携帯電話の通話履歴を差し押さえたのは、行方不明から1か月後のクリスマスイブ。A氏の通話履歴に至っては、年が明けた後の差し押さえだった。その時点でようやく、2人が連絡をとり合っていた事実が判明したのだ。A氏が「辻出さんとセックスをした」という車の捜索はさらにその後のことで、発生からすでに2か月がたっていた。元刑事が語る。

「車はすでに隅々まで掃除されていて、鑑識の可能な限りで調べましたが、髪の毛は1本も落ちていませんでした」

 辻出さんの捜索も難航した。埋められた可能性を踏まえて林道工事の現場を掘り起こしたが、予算の問題から、対象となる複数か所すべてはできなかった。もうひとつの可能性として浮上した海中の捜索も、遂行されなかった。

「海中の横穴を捜索するという話があったんです。でも1000か所以上ある。ダイバーを大勢投入しても100日はかかる。いま思えば無理してでも調べておけばよかったなと。それだけが心残りです」

 つまり、事件性を裏づける物証は何も出てこなかったのだ。そこで苦肉の策として、風俗業の女性監禁事件を突破口に捜査を展開しようとした。

 しかしそれは、捜査が後手に回ったことによる、事実上の「別件逮捕」だった

写真を撮影することも好きだった紀子さん。アジア各地を訪れて難民キャンプを訪問し、そこで出会った子どもたちを被写体にシャッターを切り続けていた
毎年、紀子さんが失踪した11月24日に両親はビラ配りをして情報提供を求めているが、「紀子はたぶん死んでいると思います」と父の泰晴さん。「今どんな状態でいるのかそれだけが気がかり」と無念の思いを口にした

無罪判決で国を提訴

 風俗業の女性監禁容疑で逮捕されたA氏は、警察の取り調べに、辻出さんと会った現場の状況について時折口を開いたが、「調書の作成には一切応じなかった」(元刑事)という。 

 以降、A氏は「弁護士から黙秘するよう言われているので」と、完全黙秘の姿勢を貫いた。県警が実施しようとしたポリグラフ検査にも、弁護士を盾にやはり応じなかった。

 その後、この事件をある意味で左右する事態が起きる。

 監禁事件で津地裁は、A氏に対して無罪を言い渡したのだ。元刑事が回想する。

「風俗業の女性が被害に遭った日を間違えて証言した。その不審点を弁護士に突かれてしまったんです」

 A氏は即日釈放され、弁護士を通じて刑事補償を請求した。そして津地裁の決定により、約3000万円の交付を受けた。しかしこの補償額では不服だったのか、A氏はさらに、元刑事を含む捜査員3人に対し、取り調べ中に「頭を平手で軽く叩かれた」などとして、特別公務員暴行陵虐・同致傷容疑で津地方検察庁に告訴。国に対しても「不法に身柄を拘束されるなどして多大な精神的苦痛をこうむった」と約3000万円の損害賠償請求訴訟を起こした。

 元刑事が苦虫を噛みつぶしたように語る。

「刑事補償を求められるのは警察にとって不名誉なこと。だから県警の上層部から、A氏には2度と触るなというお達しがあったんです」

 告訴と国賠訴訟についてはその後、A氏はどういうわけか取り下げた。

 一連の法的手続きをサポートした弁護士は今も現役だ。

 なぜ、取り下げる必要があったのか。

 所属する法律事務所に電話を入れた。事件の話を持ち出した途端、弁護士は明らかに動揺した声色に変わり、こう突っぱねた。

「守秘義務があるから、事件のことをお話しするつもりはありません。2度と電話をかけてこないで」

 私は食い下がり、取り下げの理由を尋ねたが、同じ返答を繰り返すばかりで、電話を切られた。

 弁護士は当時、辻出さんの両親にあて、「A氏から」としてこんな文書を送っていた。

「東京の件で私が無罪判決を勝ち取り、かつ警察や検察が、私が伊勢の件で無関係であると信じてくれるならば、何時間かかっても私の知る限りのことをお話しします」

 A氏と対面した私は、この文書のコピーをポケットに忍ばせていた。

 玄関のドアを少し開けたA氏に向かって、私が身分を明かした途端、彼は何も言わず、いきなりドアを閉めようとした。辻出さんの事件についてはまだひと言も触れていない。私がメディアの人間だとわかっただけで、条件反射的に反応したのだ。私も瞬時にドアを手前に引き、辻出さんの事件について説明を始めると、またもやドアを閉めようとする。再び、こちらも引っ張ると、A氏は小声でひと言、発した。

「話はないんで」

「無罪になったら話をするって言いましたよね?」

「話はないですって。敷地に入らないでください」

 声を荒らげるでもなく、妙に落ち着き払ったように話すA氏。家の中にいる妻や子どもに配慮してのことか。

「辻出さんと最後に会ったとき、何を話したんですか?」

「話はないです。早く出てください」

 そんな押し問答のようなやりとりが続いた後、A氏はドアから外に出てきて、私を追い払おうとしてきた。これ以上問い詰めても何も話さないだろうと、その場を辞した。

 この一部始終を美千代さんに伝えると、強い口調で、こう返ってきた。

「本当にやましいことがないのであれば、正々堂々とお話をすればよい。お話をしないのは絶対におかしい!」

 このメッセージを添えた手紙をA氏に送ったが、1か月以上が経過した現在も梨の礫(つぶて)である。

(取材・文/水谷竹秀)

※捜査を担当した元刑事の発言について一部加筆修正しました(2020年6月5日10時30分更新)


【辻出紀子さん失踪事件の情報提供をお待ちしています!】
​心当たりのある方は、伊勢警察署まで(電話:0596-20-0110)

【プロフィール】
水谷竹秀(みずたに・たけひで) ◎ノンフィクションライター。1975年三重県生まれ。上智大学外国語学部卒業。カメラマンや新聞記者を経てフリーに。2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で第9回開高健ノンフィクション賞受賞。近著に『だから、居場所が欲しかった。 バンコク、コールセンターで働く日本人』(集英社文庫)など。