テラスハウスに出演する前の木村花さん

 5月24日、『テラスハウス』に出演していたスターダム所属の女子プロレスラー・木村花さん(22)の急逝が報道された。未だ死因については明らかになっていないものの、彼女の死を悲しむ声が多く上がった。

アンチがまたアンチを叩く……

 ここ2か月ほど、ネット上では彼女に対しての批判や、中傷とも取れるコメントが相次いでいたのには理由がある。

 きっかけは3月に配信された『コスチューム事件』だろう。彼女が「命の次に大事」だと言っていた試合用コスチュームを、出演者であった男性が洗濯、それを発端に彼女の感情的な部分が放送され、瞬く間に集中砲火を浴びることになってしまった。

 今回の急逝は“誹謗中傷”が一因となっているのでは、とも言われ、彼女が亡くなったことが報道されると、ネット上では「SNSでの誹謗中傷」についての議論が激化。過去に“アンチコメント”を送っていたアカウントを晒し者にするなど、収拾のつかない事態へとなっていったのだ。

 この現状を受け、著名人からもネットリテラシーについて、さまざまな意見が投稿され、サッカーの本田圭佑選手はネットラジオを更新し、「誹謗中傷をするのは本能やから」というタイトルでこう語った。

誹謗中傷で(される側が)ダメージを受けることは間違いない。でも、誹謗中傷してしまう人たちにも、それぞれの事情がある。誹謗中傷は人間に備わる本能に近い行動で、なくすことは難しい》

 著名人の発言は瞬く間に拡散され、“SNSでの誹謗中傷”に対し改めて意識を向ける大きなきっかけとなっただろう。

コロナによる『孤独』は人を追い詰めた

 コロナ禍で、人々は外出自粛や経済不安からくる、さまざまな不満が溜まっていた。そんな中、“コスチューム事件”は配信され、SNSでは木村さんに対し、いつもより過激な批判が見受けられた。木村さんへの批判に限らず、あらゆるところで何かを誹謗中傷するような発言や投稿も増えたのは、コロナによる「孤独」がひとつの要因だろう。

 不安と焦り、ネガティブな気持ちがSNS上でも蔓延し、心無い声に傷ついた人もいるだろう。新型コロナウイルスは人々の心も病ませ孤独へと追い詰めたのだ。

 大切な人に会えないこと、家の中にこもらなければいけないこと。たったこれだけのことが、私たちにとってどれだけ苦しく悲しいことであったか。緊急事態宣言が解除され、現実での「人との関わり」を実感することができるようになった今、改めて「コミュニケーション」について考え直してみてほしい。

 ここ数年、私たちはインターネットと本当に深く関わってきた背景がある。SNSが浸透し始めて、匿名での交友関係の構築、情報の共有などコミュニケーションを補ってくれる欠かせないツールになった。

 現実世界での「人との関わり」が断絶されたとき、SNSは現実でのコミュニケーションに代わるものになっていたのではないか。インターネットに身を置く時間が長くなり、SNSによるやりとりも「ほぼリアル」に変わっていったように思う。もはや現実に「会って話す」ことに代わる、ごく身近なパラレルワールドとして、私たちの生活を侵食していったのだ。

SNSの脅威とは

 ごく一部でのみ交わされていたやり取りや情報が、さまざまなSNSを通じて模倣され、爆発的に広がっていくことを『インターネット・ミーム』と呼ぶ。ひとりの発言が、数万、数十万とシェアされていく。投稿を引用し、他の誰かが意見をのせる、それがまたシェアされる。ミームは時として、国や政治の方向性を変えるほどの実行力を持つのだ。

 例えば緊急事態宣言後、国民への支援が、他国と比べて日本は格段に少ないという意見が多く投稿された。布マスクを配る政策などについて不満を感じるという声も大きな流れとなり、政策批判がSNSのトレンドを連日占領。当初の限定的な給付ではなく、国民全員への現金給付制度に変更されることが発表された。

 最初は個人の発言でしかなかったものが、次第に世論のようになっていく。その脅威がひとりの若い女性に向けられたとしたら……。テラスハウスともプロレスとも引き離され、たったひとりで木村さんは戦っていたのかもしれない。

責めることでは何も解決しない

 一連の騒動で、木村さんを誹謗中傷した人々や『テラスハウス』そのものにも非があるという意見も多く散見された。しかし、リアリティーショーで意見を交わすことは、コンテンツの楽しみ方として間違っているとは言い難い。消費者のニーズに合わせてコンテンツを製作していた『テラスハウス』も、圧倒的な悪なのだろうか。人々に希望や楽しみを与える瞬間も過去にたくさんあったように思う。

 結局、ここでまた何かを「悪役」に仕立て上げることでは、世界は何も変わっていない。その行為そのものが、また新たな誹謗中傷を生んでしまうからだ。

 しかし、これだけは知っておかねばならない。たったひとつの何気ないひと言が、インターネット上では大きな波を作り出してしまう可能性がある。そのひと言が大混乱や絶望を招いてしまう危険性があるのだ。

 私たちはこれからも、インターネットと共に生きていく。だからこそ、発言に対し個人で「自覚」を持たなければいけない。それがひとつのインターネットにおけるリテラシー。良い面と悪い面、2つの側面を持つSNSが、平和な世界になっていくためのツールとなってくれることを願わざるを得ない。

PROFILE●ミクニシオリ●フリーライター。『週刊SPA!』(扶桑社)、『mina』(主婦の友社)などで恋愛や婚活、最新の出会い事情について寄稿中。
逆ナンやギャラ飲みなどの現場にも乗り込むサブカル女子。