6月2日、マンハッタンで行われた人種差別抗議デモ。田中さんは集会に参加した(ニューヨーク在住・田中さん提供写真)

 新型コロナウイルスの感染が拡大し、世界中の人々が未曾有(みぞう)の事態への対応を迫られている。コロナと共存して生きる「Withコロナ」時代に突入した今、世界各国で暮らす日本人はどんな日々を送り、どんな思いでいるのか? ノンフィクションライターの井上理津子さんが生の声を取材する。そこには私たち日本人が気づかないコロナへの向き合い方があるかもしれない。【第2回】

感染爆発が起きたニューヨークで失業中

 新型コロナウイルスの感染爆発が起きたアメリカ・ニューヨーク。 感染者が減少傾向になったところだったが、5月25日にミネソタ州で起きた白人警官による黒人男性暴行死事件に端を発し、人種差別や警察の暴力に抗議するデモがニューヨーク州の各地に広がり、 再び感染が拡大する事態が懸念されている。

 インタビューは、5月中旬。ニューヨーク州での感染のピークは過ぎていたが、1日の死者数は依然150人以上を数え、外出制限が2か月近くに及んでいた時期。日々、どんなふうにお過ごしですか、と聞くと、

「本当は勉強をしないといけないんですが、今日は、家で電子ピアノを弾いたりしてダラダラと過ごしてしまいました。昨日は、ボランティアに行ってましたよ」

 田中明子さん(45歳=仮名)は、こう話し始めた。

 勉強? 「作業療法士の資格を取るために勉強中なんです」

 電子ピアノ? 「バイエル程度の腕前ですけど(笑)、自己流にポピュラーソングの弾き語りをやって、ストレスを解消しています」

 ボランティア? 「家の近くにあるユダヤ人の教会が、空腹の貧困者を助ける『フード・レスキュー』になっているので、運び込まれる食品の仕分けを手伝いに行ってるんです」

田中明子さん(仮名) 1975年、大阪市生まれ。派遣社員やワーキングホリデーでのカナダ暮らしを経て、2003年からニューヨーク在住。コミュニティー・カレッジで資格を取得したマッサージ師

 えらいなあ。と思わず口にすると、「いやいや、暇やから(笑)」と、関西人特有の自虐(?)のセリフが出た。

 田中さんは、大阪出身。日本にいた20代半ばまでは派遣社員だった。ワーキングホリデーでカナダの生活を経験した後、単身、ニューヨーク市に越して17年になる。今の住まいは、マンハッタンから地下鉄で40分ほどのクイーンズ区。住民の約半数が移民と言われ、民族的多様性に富む区だ。その区内にある、スタッフ約20人のマッサージ店に勤める有資格のマッサージ師だったが、今は失業中である。

 さかのぼると、ニューヨーク州初の感染者が確認されたのが3月1日。田中さんは、そのとき、「マスクをつけたいけど、(コロナ発祥地とも言われる)中国人と間違われて、道ゆく人に殴られたらヤバい」と躊躇(ちゅうちょ)した。しかし、3月14日に「州内初の死者が出た」と発表されるやいなや、町じゅうの人がマスクを着用するようになったばかりか、暑い日に田中さんがマスクをはずすと、「つけろ」と見知らぬ人に怒られるまでになったそうだ。

1週間以内に失業手当の給付スタート

クオモ州知事のLIVE配信(ニューヨーク在住・田中さん提供写真)

 勤務先のマッサージ店は、3月初旬から予約キャンセルが相次ぎ、オーナーがロックダウン(3月22日)よりも早く閉店を決意。そのおかげで、いち早く失業保険の申請書類が整い、田中さんは3月27日にオンラインで給付申請をすることができた。即座に認められ、1週間もしないうちに、週払いでの失業保険の給付が始まった。州からの失業保険に加え、連邦政府から「コロナ失業」に対して週600ドルの手当が上乗せされている(7月まで)。

 働いていた期間が規定に足りないなどの理由で「給付されない」と立腹の人もいるなか、「私は運がよかった」と田中さん。「(勤務していた)マッサージ店は、30代の女性姉妹の経営。雇用関係は良好だったんですが、私、次のステップとして、作業療法士の資格を取って転職するつもりだったんです。だから、この時期、勉強できる時間が増えたと前向きに考えよう、と

 とはいえ、まぎれもなく非常時である。心穏やかに、勉強に邁進(まいしん)する、とは簡単にいかないだろう。コロナ関係の情報もしっかり持つ必要がある。

貧困層へ食糧を配るボランティアも

「重宝しているのが、在ニューヨーク日本国総領事館からの『新型コロナウイルス関連情報』のメールです。在留登録している日本人に、毎日届くんですね。クオモ知事とデブラシオ市長が毎日、記者発表するんですが、そのメールに、当日に発表された2人のメッセージの重要な箇所の要約が、日本語に訳されて必ず載っています」

 そのアーカイブ(https://www.ny.us.emb-japan.go.jp/oshirase/2020-refs.html#r)にアクセスすると、確かに。首長それぞれから、感染者数、死者数をはじめ、公的機関や競馬場といった施設の開閉状況、連邦政府への要求などが記載されている。メッセージに好感が持てるためか、田中さんは、「特にクオモ知事は、私たち庶民の生活にちゃんと興味を持ってくれていると感じる」と話し、「そういう意味で言うと」と、続けた。

「私がボランティアに行っている教会の『フード・レスキュー』は、篤志家や企業、非営利団体、宗教団体などから、缶詰やパンや野菜などありとあらゆる食料が大量に運び込まれるんですが、ニューヨーク市がマッチングに協力して成り立っています」

近隣の教会で行われている「フード・レスキュー」のボランティアの様子(ニューヨーク在住・田中さん提供写真)

 そのフードバンクでは、「週に1500人」のペースで、必要としている人=貧しい人に配られているという。「ニューヨーク市内には、こうしたフード・レスキューが星の数ほどある」というのに驚くが、目下失業という少々つらい立場にいる田中さんが、もっと困っている人たちのためにボランティアをしているのも、すごいと思う。そう言うと、

「全然すごくないですよ。健康な身体と時間があるんですもん、当たり前じゃないですか」とさらりと言った。ほかに、野良猫を病院に連れて行き、避妊させるなど保護猫活動をする人たちに寄付もしているというから、頭が下がる。

 田中さんの暮らしぶりを聞いて、私は、先人たちのインタビューをしたその昔、何人もから「はたらくとは、側(はた)を楽にすること」との言を聞いたことを思い出した。


取材・文/井上理津子(いのうえ・りつこ)
1955年、奈良県生まれ。タウン誌記者を経てフリーに。著書に『葬送の仕事師たち』(新潮社)、『親を送る』(集英社)、『いまどきの納骨堂 変わりゆくお墓と供養のカタチ』(小学館)、『さいごの色街 飛田』(新潮社)、『遊廓の産院から』(河出書房新社)、『大阪 下町酒場列伝』(筑摩書房)、『すごい古書店 変な図書館』(祥伝社)、『夢の猫本屋ができるまで』(ホーム社)などがある。