サンドウィッチマンの伊達みきおと富澤たけし

<令和で…いちばん泣いた。><みんなが笑ってて、嬉しくて涙が出る>
<お涙頂戴でもない話を自然に聞いてるのが本当にいい>
<サンドウィッチマンにしかできない番組だよね

<寄り添うって、こういうことだと思う>(Twitterより)

 サンドウィッチマンが病院に赴き、そこで限定のラジオ局を“開設”する『病院ラジオ』(NHK総合)。これまで4度にわたり放送され、そのたびに絶賛されてきた。24日には番外編として、第2弾の「子ども病院」編で出会った子どもたちとリモートでつなぐ「あの子どうしてる?スペシャル」が放送された。

「強いね、アラタ」
子どもにも対人間として接する

 番組は元々ベルギーで制作されたドキュメンタリー番組『Radio Gaga』のフォーマットを購入して制作されたもの。本家では街のさまざまな場所でラジオ局を開設していたが、日本版では病院に限定したところが大きなオリジナリティーだ。そして、なんといってもこの番組の成功の最大の要因は、サンドウィッチマンを起用したことだろう。

 たとえば、生まれつき色素性乾皮症という難病を抱えたアラタくんとの対話。彼は紫外線に当たると皮膚がんになってしまう可能性が高いため、外に出るときは、UVカットをするフィルム帽をしなければならない。昨年の『子ども病院』編では、「なんで顔にブツブツがあるの?」と同級生に聞かれ「これがアラタだよ」と答えたというエピソードが語られた。それに対し、伊達は「強いね、アラタ」と返していた。

 今回の放送では、小学2年生になったアラタくんが登場。

「ときどき、意地悪をする子もいますが、悪いことをしなければいいヤツなんじゃないかって」という手紙にサンドウィッチマンは「深いねえ」「名言残そうとしてるな」と反応。リモートでアラタくん家族につなぐと、アラタくんのちょっと雑な返事を聞いてすかさず富澤が「アラタ、ちょっと生意気になってるな」と笑わせる。

 このようにサンドウィッチマンは、冗談を交えながら、素直に反応し、どこまでも相手に寄り添っていく。深刻にしすぎることもないし、過剰に茶化したりもしない絶妙の塩梅だ。

「子ども」だとか「病人」だとか、そういうカテゴリーで特別扱いせず、あくまでも対人間として、どんな相手にも偏見なくフラットに接する。これは、いうのは簡単だが、なかなかできることではない。けれど、サンドウィッチマンは、軽やかにやってしまうのだ。

震災、芸人として「覚悟」を決めた

 いまや、サンドウィッチマンは「好感度」ナンバー1の芸人。長らく明石家さんまやビートたけしがトップに君臨していた「好きな芸人」ランキングの牙城も崩した。

 現在でも骨太のネタで笑わせ続けているというのが大前提だが、その大きなきっかけになったのは東日本大震災だろう。

 東北出身であるばかりか、地震発生時、被災地の只中でロケをしたこともあって、先頭に立って被災地の窮状を訴え、チャリティーイベントなどを開催。その取り組みは現在も継続している。

「震災の色がついちゃうと、芸人として笑えなくなる」のではないかという逡巡もあったという。それでも覚悟を決めた。「やり方は年々変えながらも、ずっとやっていきたい。それが命を生かされた僕らの使命」(『朝日新聞デジタル』2017年3月9日)だと。

 そうした中、もうひとつの転機となったのは思わぬ番組だった。

「震災で“いい人”イメージがついちゃったんで、あれでめちゃくちゃにしてやろうと思った」(フジテレビ系『直撃!シンソウ坂上』2018年11月1日)

 そう富澤が回想するのが『バイキング』(フジテレビ系)での「地引網クッキング」だ。

 長年続いた『笑っていいとも!』の後継番組として始まった『バイキング』は、開始当初は『いいとも!』のお笑い色も引き継いだ番組だった。そんな初期『バイキング』でもっとも話題を集めたコーナーのひとつがサンドウィッチマンによる「地引網クッキング」だった。

 毎回、生放送で各地の海岸を訪れ、地引網で取れた魚で料理するという内容。しかし、生放送ゆえ、天候が悪かったりしてうまくいかないときも少なくなかった。そんなとき、彼らは「今日はヤラセをやるぞー!」「スタジオのみなさんも、テレビを見ているみなさんも、共犯者です!」とカメラの前で用意した魚を網にかけたりするのだ集まった地元の人たちにも容赦なく乱暴にツッコんでいく。

 その「ウソ」のない放送に、サンドウィッチマンは絶大な信頼を得た。そして当初の思惑とは裏腹に好感度もさらに上がっていったのだ。

 コンビ仲のよさも大きな魅力のひとつ。

『病院ラジオ』でも「依存症治療病院」編でアルコール依存症の患者が「褒められたらがんばれた」と発言した回があった。すると2人は互いに「いつも面白いネタ書いてくれてありがとな」「こちらこそいいツッコミしてくれてありがとう」とサラッと言い合う。それを自然体のままできるコンビはなかなかいない。

 下積み時代は約10年間同居。そのころ、ケンカしなかったのかを聞かれても「しませんよ。ケンカってします、普通?」と当たり前のように答える。誕生日には金がなかったため、タバコを1箱贈りあったという。「今は生活できるようになって、3カートンずつあげてますよ」と伊達は笑う(フジテレビ系『ボクらの時代』2020年6月21日)。

人生を変えた人=「相方」

 人間ドックには両夫婦4人でいき、富澤家の出産に立ち会ったのは伊達の妻だった……などと仲よしエピソードは枚挙にいとまがない。

「人生を変えた人」を尋ねられるとお互いが相方の名前を挙げる。

「富澤が誘ってくれなかったらお笑いの世界にははいっていないから」
という伊達は、もし富澤が死んだら「僕、この世界辞めますしね。1人ではやらないです」(テレビ朝日系『日曜もアメトーーク』2017年9月17日)と断言する。

 29歳のとき、伊達に「もうやめないか」と切り出したら「まだ早いよ」と即答されて「そっか、もう少し頑張ってもいいんだ」と素直に思えた(『POPEYE』2018年3月号)という富澤は、何か発信したいことはないのか、と問われると「俺は伊達が何をしたら面白いかなになっちゃうのよ」(『ボクらの時代』=前出)と答える。

 2人からはその人間性や仲のよさが、付け焼き刃で作られたものではないことが伝わってくるのだ。

「“いい人”イメージがつきまとうのは、ちょっとめんどくさいです」(『週刊女性』2019年8月6日号)と富澤は言うが、サンドウィッチマンに感じるのは、“いい人”というよりも“強い人”だ。震災直後のラジオ(ニッポン放送『サンドウィッチマンのオ-ルナイトニッポン』2011年3月18日)のエンディングで、富澤はこう言って聴取者たちを励ました。

「俺たちは強いぞ! 大丈夫!」

 さまざまな窮地を2人で一緒に戦い乗り越えてきた。その経験で培った人間力の強さゆえ、どんな相手にでも優しく対等に接することができる。彼らを見ていると自分たちも強くなれる気がする。もはや、2人の好感度や信頼度はちょっとやそっとでは揺らがないだろう。

〈文/てれびのスキマ〉