加藤登紀子 撮影/佐藤靖彦

 新型コロナウイルス感染拡大以来、アーティストのライブは軒並み自粛。中止や延期が当たり前に。そんな出演者も観客もいない、暗くガランとしたコンサートホールに再び火を灯したのは歌謡界の女傑だった。6月28日、観客を1000人に絞って『加藤登紀子55th Anniversary コンサート「未来への詩」with Yae』は行われた。

かつてない厳戒態勢の中、
行われたコンサート

 6月28日、東京・渋谷のオーチャードホール。係員はフェイスシールドを装着し、入場のために並ぶ誰もがマスクをつけ、一定間隔をキープ。チケット確認の後には、サーモカメラによる検温。消毒液があちこちに設置され、エレベーターも人数制限されていた。

 2150人を収容できるホールだが、この日は1000人限定。座席は、1席ずつ間隔が空けられた。終演後は座席番号によって退出のタイミングをズラし、座席番号と氏名と電話番号を記入した用紙を提出するなど、考えうるコロナ対策が講じられていた。
 
 16時。漆黒のステージに差し込んだ光が1本の道を作り、加藤登紀子は現れた。《日が昇り日が沈む天と大地の間に》『Rising』('82年) でライブは始まった。

「なかなかの眺めよ」
 
 うれしそうに、そして懐かしそうに加藤は客席に語りかける。

「ここにいらっしゃるまでにそうとう覚悟が必要だったことでしょう。心から、感謝の気持ちでいっぱいです」

『知床旅情』('72年)、『この空を飛べたら』('78年)、『百万本のバラ』('87年)などのヒット曲に加え、自粛期間中に完成させた、医療従事者やコロナ感染者とその家族へ捧げる『この手に抱きしめたい』など、全18曲を歌い上げた。
 
 締めくくりは、観客全員との一斉エアハイタッチ!

「本当にみなさん、くれぐれもコロナにならないでね。何が起こったとしても、そのときそのときを精いっぱい過ごしましょう。また元気にお会いしましょう!」
 
 ライブを後にした観客に感想を求めると、「久しぶりの外出で今日は本当に楽しかった。涙が出ました。おときさんの勇気に感謝しています」(60代女性)、「何度もライブに来ているけど、今日の『百万本のバラ』がいちばんよかった」(60代女性)。満ち足りた表情で話してくれた。

“おときさん、あなたでしょ”
そう言われている気がした

 公演の2日後、加藤の事務所を訪れ、話を聞いた。

「この55周年の記念コンサートはやりたいと思っていたものだったんですが、開催を決断したのは5月26日でした」
 
 東京で、緊急事態宣言が解除された翌日だ。

「その前はずっと“難しいかな”と思っていました。ただ無理だったとしても、無観客でもオーチャードでやろうと計画しておりまして。でも『新型コロナウイルス感染症を乗り越えるためのロードマップ』が発表になり、(ステップ3で)客席50%、1000人までならやってよろしい、と。もう、神の声かと思いました。“おときさん、あなたでしょ”って言われているような気がして(笑)。即、決断したんですよ
 
 6月12日、ステップ3に移行。勝機が見えた。

フェイスシールドをつけた係員が、チケットとマスク着用を確認

「準備の時間が少なくて、本当に大変でした。オーチャードホールのチケットカウンターも閉じていましたし。でも、みなさんにお知らせして、打てば響くように1000席が埋まりました。当日、お客さんは社会的な意味を全部わかったうえで来てくれた。確信犯じゃないけど、共犯者(笑)。本当に覚悟を持ってきてくれたんだなと感じ、掻き立てられましたね」
 
 この状況下での公演決行に怖さはなかったのだろうか?

「コンサート中も終わったあとも、今でも感じています」
 

 今回は打ち上げをしなかったどころか、スタッフたちには“10日間くらいは街に絶対出ないように”と、お願いしているという。

「責任は重大ですから。ウチのスタッフたちもすごく気を遣って実行しましたが、でも“絶対に、100%大丈夫”とは今の時代、言えないですよね。だけど、いつまでもその縛りの中にいるわけにはいかない。せっかくロードマップができる指標を出してくれたんだから、その指標に従ってやるべきだと思ったんです。
 
 そうしないと要求されている以上に自分が自分を縛ってしまい、過剰自粛になってしまう。みんなが過剰自粛をしちゃうと、ますます活動を開始した人が針のむしろのような気持ちになってしまう。やはり、お互いに気をつけながら、やれることは限りなく努力してやっていきたい」

 この公演について“登紀子さんは自分のためじゃなく、業界のためにやるんだ”と言っていた著名人もいた。

「別に私自身は、そんな大それた思いはなくて。業界にプラスになるかどうかは、これからのことであって。もし私が失敗したら、悪い影響があるかもしれない。偉そうに、“みんなに勇気を持ってもらうために先陣を切ったのよ”なんて思いはないんですよ。逆に先陣を切ったからこそ、失敗は許されない。責任は重い。私も、一緒に出た娘(Yae)も、生半可な気持ちじゃできないという強い意志を持って取り組んだコンサートでした。
 
 とはいえ“赤信号、みんなで渡れば怖くない”じゃないけど(笑)、やっぱり誰かが行ってくれれば、少しは決断しやすいかもしれない。ほんの小さなメッセージですよ」
 
 穏やかに、優しく微笑んだ。
 
 加藤の次回のコンサートは、8月10日、東京・COTTON CLUBにて。そのころ、コロナと私たちの関係はどうなっているだろう――。

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