フワちゃん 公式ツイッターより

  フワちゃんの爆売れ快進撃が止まらない。

 '19年4月に『ウチのガヤがすみません!』で指原莉乃が注目するYouTuber芸人として紹介されて以来、底抜けにブチアゲなハイテンションと、大御所にもタメ口でツーショットを迫る“あたおか(頭がおかしい)”なキャラクターが受け、たちまちバラエティーで引っ張りだこに。

 今年に入ってからは雑誌『クイック・ジャパン』の表紙&特集を飾り、5月には宝島社から『フワちゃん完全攻略本』なる公式ファンブックまで出版。テレビ出演は上半期だけで早くも100本を超えるなど、その人気は天井知らずだ。

 だが、テレビに出始めた当初、彼女の扱いはバラエティーのお約束を無視する失礼で空気の読めない“ただのヤバいヤツ”だったはず。共演者の間には「絡みづらいな……」という空気がありありと見てとれたし、その印象は百歩譲って「テレビ的じゃない」、もっと有り体に言ってしまえば「なーんかイキったイタいYouTuberが間違ってテレビに出てきちゃったぞ」という、明らかにネガティブなものであったと記憶している。

 それが、わずか1年足らずの間に、フワちゃんはいつの間にかすっかりハッピーでポジティブな“愛されキャラ”の座をゲットしていた。「失礼」から「愛され」へ、エッシャーのだまし絵のようにグラデーションを描いて変貌を遂げることができたのは、なぜなのだろうか。

フワちゃんの戦略だった?
「YouTuber」として登場

 まず、フワちゃんが巧妙だったのは、もともと「芸人」であったにもかかわらず、主戦場をYouTubeに移し、テレビには当初「YouTuber」という扱いで登場したことだ。

 最初から「芸人」枠に当てはめられてしまったら、そこでは場の文脈に依存する極めて高度な芸人同士の空気の読み合いに参加し、テレビ的な“お笑いルールブック”を順守しなければならない。

 ところが、彼女は「YouTuberだから仕方ない」というハードルの低さを逆手に取り、「テレビ的じゃないヤバいヤツが見たい」という(逆説的にとてもテレビ的な)要請に応え、「YouTuberなのに芸人と対等に渡り合えるタレント」という評価を勝ち取った。

 これについては、『フワちゃん完全攻略本』の中で本人も「最初にYouTuberだと思わせたのは、あたしの見事な戦法だったってワケ!」と冗談まじりに発言しているが、半ば本心だろう。

 さらに、フワちゃんの巧みな戦略は「カラフルなスポブラ&ミニスカにお団子ヘア」という特異なファッションによって、自身の性格と芸風を世間に飲み込みやすくさせる“補助線”を引いたことだ。

 ストレートの長髪で普通の若者っぽい格好をしていたころは、その態度のせいで養成所やオーディションでしょっちゅう説教され、ついには素行不良で事務所をクビになった彼女。そのまま“女性らしい”格好でテレビに出ていたら、きっと「生意気」「自分勝手」「勘違い女うざい」などと、心ない中傷で叩かれまくっていたことは想像に難くない。

 だが、奇抜でポップなファッションを定着させた今はどうだろう。彼女は男でも女でもない、ある種“異形の道化”に扮することで世間の一方的なジェンダー・バイアスから逃れた。かわいくないとか調子こいてるとか、そういった“女であるだけで”勝手に容姿や態度をジャッジされるようなステージを、自分からとっとと降りてみせたのだ。

 これについても、「あたしは普通の女芸人として真正面から戦ったら売れてなかったと思う」「『かわいい』『オシャレ』『先輩にタメ口』。女芸人にとって必要ないって思われてたその要素を逆にあたしの最強の武器にする」と発言しており、彼女が半ば自覚的に選び取った戦略だということが伺える。

忖度なしの
“マジ令和”スタイル

 しかし、何よりも彼女が時代の要請とWin-Winでマッチングできた最大の要因は、傍若無人ともいえる物怖じしない自由な言動と、感情をストレートに表現するその性格にある。

 フワちゃんと仲のいい芸人のトンツカタン・森本は、楽しいときは楽しい、悲しいときは悲しいと感情をわかりやすく口に出す彼女の接しやすさについて、次のように語っている。

「人間って、プライドがあるものだから、そこまであからさまに気持ちって表現できないと思うんです。でも、フワちゃんは最初から気持ちをぶつけてきてくれるので、すごく仲良くなりやすいんですよね」(『フワちゃん完全攻略本』より)

 街行く見知らぬ他人や、芸能界の大先輩にも鬼ガラミしていく彼女のスタイルは、普通の大人には無遠慮で失礼と受け取られかねない。だが、個性を押し殺しながら仲間内で空気を読み合うことに疲れ、権威に忖度して顔色を伺うことに息苦しさを感じていた若い世代にとって、打算や裏表なく、本音や本能ベースで自分らしく生きている(ように見える)彼女の姿は、ある種の“救い”や“解放”をもたらしてくれたのではないだろうか。

 そして、フワちゃんのこうした言動のベースにあるのが、“自己肯定感の高さ”である点も、いかにも“マジ令和”という感じがする。

「私は自分に自信があるのがデカイかも! 嫌いな人になんか言われてもヘラヘラしてられるけど、好きな人の言うことってすぐ聞いちゃうじゃん! そういうこと! 私が好きな人は私だから、自分の言うことしか聞かないの!」(『クイック・ジャパン』より)

 かくして、フワちゃんの芸風や生き方は、「同調圧力からの解放」「押しつけられた価値観への抵抗」「自分で自分を好きになる」「自分に正直に生きる」といった文脈に回収され、令和の新しい感覚をアップデートしたポリティカルにコレクトなタレントという扱いを受けながら、EXITやぺこぱといったお笑い第七世代の芸人たちと並べてポジティブに言及されることが多くなった。

 いつの間にか、時代のシンボルともいうべき立ち位置に、あれよあれよという間にのし上げられていったのである。

 だが、芸能界の“お約束”の支配力は根強い。彼女のようなエキセントリックな芸風は、「実は礼儀正しいイイ奴」といったキャラクターをすかさずあてがわれ、テレビ的にイジりやすい形で安易に消費されがちだ。

 また、芸歴を重ねるにつれて自分の顔色を伺うイエスマンしか周囲にいなくなってしまった一部の大御所タレントにとって、フワちゃんのように損得勘定なくタメ口でフラットに接してくれるやんちゃな若者は、むしろウケがよくかわいがられる。既得権益を持つ大御所の“ファミリー”として、芸能界の保守的な論理に取り込まれていく危険性も、十分、孕(はら)んでいるのだ。

『徹子の部屋』(テレビ朝日系)にも出演し、地上波ゴールデン初MCが決まるなど、ますますテレビに重宝されるフワちゃん。果たして今後の芸能界に大きな風穴を開けて変革を起こす、“マジであたおかなトリックスター“になり得るのか。それとも、このまま既存のテレビに適応して丸くなり、消費され尽くしてしまうのか。いずれにしろ、これからの挙動に注目させてくれる存在であることは間違いない。

福田フクスケ(ふくだ・ふくすけ)
編集者&ライター。編集者として『週刊SPA!』、またライターとして田中俊之・山田ルイ53世『中年男ルネッサンス』(イースト新書)、プチ鹿島『芸人式新聞の読み方』(幻冬舎)、松尾スズキ『現代、野蛮人入門』(角川SSC新書)などの構成に参加。雑誌『GINZA』や『GetNavi』では連載コラムも。Twitterやnoteにて、恋愛・セックス・ジェンダー論の発信もしている。