(写真左から)高知東生、たかまつなな

 2016年に覚せい剤取締法などの罪に問われて執行猶予付きの有罪判決を受けた、俳優の高知東生(たかち・のぼる)さん。当時、ドラッグに手を染めていたことが発覚しただけでなく、ラブホテルで愛人と一緒だった、という不倫も明るみになり、世間を揺るがせた。今年9月で執行猶予が明ける高知さんは、現在は治療を続けながら、全国各地で薬物依存症の啓発活動などに勤しむ。

 '20年7月19日、高知さんが自身のツイッターで《俺が17歳の時に母親は自殺した。》という旨の内容を投稿したところ、16万件もの「いいね!」がつき、話題に。今までは「(母親は)交通事故で亡くなった」と言っており、母親の自殺を隠していた。なぜ今、打ち明けたのか。両親への思いと当時の苦悩、今後の目標とともに、胸の内をがっつり話してもらった。

三浦春馬さんの死でよみがえる母の自殺

「仕事を一緒にしたことはないけれど、三浦春馬さんが亡くなったニュースを見て大きな衝撃を受けました。おふくろの自殺が脳内でフラッシュバックして、しんどかったんですよ。彼の訃報を知ったあと、おふくろに対する“見捨てられた”という寂しさや、(自殺を)防げなかったもどかしさとか、いろんな感情が出てきました。正直な話、おふくろの自殺は僕にとってずっと“恥”であったし、これまでは、つらかった経験を周りに明かすのも恥ずかしくて、言えなかった」

 だが、「生き直したい」と思っているさなかでの今回の出来事に触発され、自分の思いをツイッターにさらけ出したところ、同じく“残された家族”という立場にある人たちから「つらさや恥ずかしさは自分もあった」「高知さんのように周囲に言えなかった」などという共感の声が相次いだ。

「自死遺族がこんなにたくさんいること、また、みんな気持ちを秘めて、自分を抑えて生きてきたのだいうことに驚きました。多くの人が勇気ある分かち合いをしてくれたことで“俺はひとりじゃなかったんだ”って思えて、逆に元気をもらいましたね」

 思い切って発信した悲しい記憶が反響を呼び、少しずつ過去のことを話せるようになったという高知さん。残された家族のなかには高知さんのように、なかなか言葉にできない気持ちを抱えている人も少なくないだろう。次の被害を生まないためにも、自死遺族をどう支えるかは重要だ。高知さんの場合は、母親と過ごした日々、そして母親の死後に、どんな苦悩があったのだろうか。

 父親は、任侠。母親はその愛人、という“特殊”な家庭で育った高知さん。幼少期は祖母と親戚が住む家で暮らしており、叔母からは「(あなたは)犬と一緒に川から流れてきた」などと言われていた。だが、小学4年生のときに「お母さんがいる」と告げられ、2年ほど一緒に生活した。子どものころ、別の“叔母さん”として家に来ては何でも買ってくれた女性が、実は生みの親だったのだ。

「“自分にもおふくろがいたんだ”と喜んだのも束の間、酒におぼれる母との暮らしは散々でしたね。数日にわたって家を空けることも珍しくないし、料理もろくにしてくれない。酔っ払って帰ってきて、夜中に叩き起こされることもしばしば。キャバレーのような場所に連れていかれて、ホステスたちにもみくちゃにされることもあった。そんな毎日から逃れたいし、ばあちゃんに会いたくて2、3回、脱走をしたこともあります。途中で連れ戻されて怖かったけど」

 中学からは全寮制の学校に入り、母親と距離を置いていた。そんななか、母親が突然、自ら命を絶った。享年41、高知さんは当時、17歳。最後に言葉を交わしたときの後悔は、今も消えないという。

「実は、おふくろは自殺をするその日にいきなり、自分で車を運転して俺のもとへ会いにきて“今日じゅうに進路を決めろ”、“任侠の世界だけは絶対にアカン”と言ってきたんです。そして夜、帰る直前に“ねえ丈二(高知さんの本名)、私、きれいかな?”って、聞いてきた。“気持ち悪い、実の息子に何言うてるの。俺は行くぞ”と返したんですが、車のドアを締めたときのおふくろの顔は、泣きながら笑っていました。

 ……それが、俺とおふくろとの最後。なんであそこで“おお、きれいやぞ”って、ひと言でもかけてあげられんかったかな、っていう思いを、いまだに引きずっています

おふくろを生き返らせろと叫びたかった

 一緒に暮らしたのは2年だけ。胸がつまる思い出もたくさんある。自分を置いて、ひとりで逝ってしまった。しかし、そんな母親でも嫌いにはなれないという。

「むしろ生きているときは恨んだし、“本当に俺を生みたかったのか”くらいに思っていたし、“俺なんかいなきゃよかったんじゃないか”と、自分を責めたこともあります。でも、いま思えばおふくろは、いちばん俺を愛してくれてたなって感じられるエピソードもあるんです。絶対に俺のことを否定しなかったし、育て方は知らない人やけど、そんな人でも俺の最大の味方であった、っていうのは間違いじゃなかった。思えば、亡くなる半年くらい前には、学校に差し入れを持って来てくれたりもした。失って、初めて大切さに気づきました。もう恨みは一切ありません」

 母親が命を絶ったあと、高校の同級生や周りの人から受けた「何かあったら頼れ」「相談に乗るよ」などの言葉が、実はとてもつらかったという。

「当時は何が起きたのか冷静に判断できなくて、頭の中がぐちゃぐちゃになっていました。仲間は“何かあったら言えよ”っていうけど、“じゃあ、おふくろを生き返らせてくれよ”と心の中では思っていた。でも、それは叶うはずもないから、誰にも話せなかった。

 今だから言えるんだけど、とにかくそっとしておいてほしかったし、俺が喋りたくなったときに、ただ受け入れてくれればそれでよかった。変に責任感とか正義感のようなものを押し付けられている気がして、“かえって余計なお世話だよ”と思ってしまっていましたね。今なら、純粋に心配してくれていたんだろう、と分かるけれど

 さらに、母親の死を受けて祖母と役所に行ったときに、目を疑う出来事が。戸籍上の「父親」の欄に、自分の思っていた人とは別の、知らない名前があったのだ。

「結論から言うと、“生みの親父”と“育ての親父”がいて、今まで父親だと認識していた人は後者だったんです。名前を見た俺が“あれ? これ誰だよ”って祖母に聞いたら、彼女はオロオロしながら“言ってなかったけれど、これがあなたの本当のお父さん”って」

 その後、祖母に他県にある実父の家に連れて行ってもらった。

「“おふくろをこんな目に遭わせて、のうのうとしやがって!” と、怒りにいこうと思ったんです。元任侠の人で、庭付きの大きな家に住んでいました。外からのぞいたときに、その人と自分よりちょっと歳上の子どもが、大型犬とじゃれあう姿見えたんです。それを見たら“邪魔しちゃいけないや”と思い、急に冷めちゃって。“ばあちゃん、俺、もういいや”って言いました。“いいの?”と聞かれましたが“うん、なんか、もういい”と、会わずに帰りましたね」

「今はストレスフリー」と生き生きとした瞳で語る高知東生

目標は持たない。毎日を楽しむだけ

 このころから地元にいるのが嫌になり、東京に出てきた高知さん。田舎者だとナメられてはダメだ、と思ってディスコ通いを始め、“オシャレ”のつもりでドラッグに手を出しているグループと出会った。その内のひとりの女性と“男女の関係”になり、一緒にドラッグをやるうちに、衝動的に何度も使うようになってしまったという。高知さんがデビューしたのは'93年、28歳のときで、'96年に離婚を経験。その3年後には女優の高島礼子さんと再婚するも「もともと吸い始めたのはハタチくらいだった」と明かす。

「正直“いつでもやめられるだろう”という甘い考えでいました。芸能界に入ってからは、ほぼ使わない時期も長かったけれど、捕まる1年くらい前からストレスが増え、ドラッグに頼る頻度も高くなりました。そのころの自分に対して、どこかで“ヤバい、ヤバい、ヤバい”とは思っていた。だから、50歳を過ぎて逮捕されたときは“これで、ついにやめられる”と、ホッとしましたね」

 '16年6月、覚せい剤と大麻所持の容疑で逮捕され、同年8月には高島さんとの離婚を発表。翌月に懲役2年執行猶予4年の判決を受け、今年9月で執行猶予期間が終了する。すっかり足を洗った高知さんは、'19年2月に公益社団法人『ギャンブル依存症問題を考える会』の代表・田中紀子さんと出会って考え方に賛同し、『依存症予防教育アドバイザー』の資格を取得。今は自助グループで同じ悩みを持つ人たちと苦悩を分かち合ったり、全国で講演したりしながら、回復に努めている。

依存症に悩む人は何よりも、ひとりで苦しまないでほしい。抱え込まずに勇気を持って、経験のある人に頼ってほしいなと思う。僕自身、今は“考える会”の仲間たちの存在に、本当に助けられています。孤独だったころとはぜんぜん違うし、最近はストレスフリーですっごく楽。今の目標? 目標を持ちすぎると、達成できない苦しさが生まれそうで、また薬を始めてしまう恐怖があるから、持たないようにしているんです。毎日を楽しみ、小さなことに幸せを見つけています

 目標はないと言えど「自分が向き合ってきた家族とのこととか、逮捕された経験を、いかにして人の役に立てるかということに全力を尽くしたい。決して、それによって“許してくれ”とか“俺はこういうことをしてるんだ”ってアピールしているわけではないよ。でも、今の自分が最大限にできることは、これかなって」と語る。

 近年、問題になることも多い親子関係のこじれについては「俺の母親のように“育て方が分からない。でも、愛はあるんやけど”っていう人たちにも“サポート”が必要じゃないかなって思う。揚げ足をとって攻撃することよりも、手を差し伸べることが大事」と、高知さん。壮絶な経験をされた彼にしか語れないことが、今後もたくさん発信されていくだろう。

(取材・文/お笑いジャーナリスト・たかまつなな)


【INFORMATION】
たかまつななと高知東生さんの対談をYoutube『たかまつななチャンネル』内の動画で公開しています。リンクURL→https://youtu.be/eAExVKG0R3g