ホームレス取材歴20年のライター・村田らむさんが上梓した新刊『ホームレス消滅』(幻冬社新書)が話題だ。今回は、村田さんが体当たり取材して目撃したホームレスの暮らしぶりや、日雇い労働者の簡易宿泊施設が集まる“ドヤ街”の実態をレポートする。

ブルーシートを使って作られたホームレスの住まい。洗濯物が風になびいている 写真提供/村田らむ氏

数百人のホームレスが住んでいた上野恩賜公園

 僕がライターになってもう20年になる。ライターになった初期のころから、ホームレスを取材対象にしていた。

 ライターになる前は、フリーランスのイラストレーターをしていた。インドア派で外にはほとんど出ない生活だった。それがなぜ急にホームレスに興味を持ったかというと、東京に遊びに来た母と、上野恩賜公園へ遊びに行ったのがきっかけだった。

 90年代末の上野恩賜公園は、ホームレスたちが数百人テントに住んでいた。見渡す限り人が住んでいた。僕は、初めてみる光景に度肝を抜かれてしまった。

「話を聞いてみたい……」

 と思ったのだが、イラストレーターが興味本位で話しかけるのもなんか違うと思った。それでライターになって、改めて話を聞くことにしたのだ。

 当時は、いったん家を失ってホームレス状態になってしまうと、生活保護を受けるのが非常に難しかった。公園に住んでいる人の多くは、したくはないのにホームレス生活をしていた。

 それだけ人数が多いと、村のようになってくる。元ヤクザのホームレスがボス面で仕切って、公園に住んでいるホームレスから家賃と称して金を巻き上げているのを見たことがある。家賃が払えずに家を失いホームレスになり、その挙げ句、公園に住んでるのに家賃を取られるなんて、あまりにひどい話だ。

多くのホームレスが集まり、“村”が形成された大阪・西成の公園 写真提供/村田らむ氏

ホームレスの現金の稼ぎ方を実体験

 彼らの現金収入はひどく少ない。

 今も昔も、アルミ製の空き缶を集めて換金し、生活費にしている人が多い。アルミの買取値段は平均して1キロ100円だ。北京オリンピック(2008年)の準備段階では金属の需要が増え買取値段も高騰していたし、現在のコロナ禍では逆に値段が下がっている。

 値段が高騰したほうがいいのか? というと、実はそうとも言い切れない。値段が上がると、一般の人もアルミ缶を回収しはじめる。軽トラでガンガン回収されたら、徒歩や自転車で空き缶を集めるしかないホームレスに勝ち目はない。僕もやってみたことがあるが、ものすごいしんどい作業だった。1日中歩き回って、ゴミ箱に手を突っ込んで、それで1日1000円くらいにしかならなかった。稼げる人でも3000円が限界くらいだ。

 現金収入はほぼアルミの換金一択の中、時折新しい商売も生まれた。

 駅などに捨ててある週刊漫画誌を拾ってきて、路上で売るのだ。利用したことがある人もいるだろう。ずいぶん儲けている人もいたが、儲かるとヤクザが寄ってくる。すぐにヤクザ仕切りになり、ホームレスは二束三文で働かされることになった。

 上野恩賜公園独自の稼ぎ方もあった。園内に植えられているいちょうの木の下から、ギンナンを拾い集めて販売する仕事だ。簡単な仕事に聞こえるが、これがなかなか大変だ。ギンナンを売るためには、実を剥がさなければならない。これがとてもクサい。そしてかぶれる。バケツの中にギンナンを放り込み、ゴム手袋をハメた手でぐちゃぐちゃと揉んで実を取り出す。鼻をつままないとやってられないくらい、悪臭が漂っていた。

 それからギンナンを干して、ビニール袋に詰めて売る。1袋500円と、まあまあの値段で売っていたが、とてもよく売れていた。

 しかしやはり、すぐに暴力団仕切りになり、売上のほとんどを持っていかれていた。

半裸のオッサンが路上に倒れる街

 当時の僕は日雇い労働者が集まる街、ドヤ街があるというのも知らなかった。

 東京の山谷、横浜の寿町、大阪の西成、がドヤ街の代表的なところだ。

「西成も行ったことのない奴が、ホームレス本出すなんてちゃんちゃらおかしいわ」

 と名古屋の栄にいたホームレスのオジサンに言われて素直に足を運ぶことにした。

 初めて訪れた西成は衝撃的だった。道にはバタバタと半裸のオッサンたちが倒れていた。

「テロでも起こったの?」

 と半ばマジで心配してしまったほどだった。夏場だったのだが、目に染みるようなアンモニアの臭いがただよっていた。

 酒の自動販売機の前では酔っ払いが集まって、ワイワイと飲んでいる。ひときわ酔っ払ったオッサンが、大声で

「ワシは天皇陛下の息子じゃー!!」

 と叫んでいたのを、なぜかよく覚えている。叫んだ後、まわりの人にツマミをくれないか? とせがんでいた。

西成の街中の様子。オッサンたちに混じってなぜかニワトリが歩いている 写真提供/村田らむ氏

 暴動に備えて要塞のような頑健なつくりの西成警察署に話を聞きに行くと

「急に走らんように、みんな何かあると思って走り出して暴動につながるからな。あと覚せい剤売ってるけど買わんように。西成は赤痢と結核がまだ流行ってるから、手洗いうがいはしっかりするように」

 と、めまいがするくらい絶望的な忠告をされた。そんなショックを受けながらも、がんばって公園に住むホームレスの人たちに話を聞いた。

 ずいぶんホームレス事情には詳しくなったが、まだ気分的には西成は衛生状況も相まって“怖い場所”だった。

ワケありな人々が働く焼き鳥屋台の仕事

 そうして僕は潜入取材や体験取材をして原稿を書くライターになった。2000年のある日、編集部から、

「西成に行って働いてこい!!」

 と言われた。

 無茶振りに対して、最初は日雇い労働者として雇われようとがんばったがなかなか上手くいかない。結果的に、壁にはられた『焼き鳥屋 店員募集 委細面談』の怪しげなチラシを頼って面接を受けてみた。

 結果を言うと、

「路上で屋台を出して焼き鳥を売る」

 というとても過酷な労働だった。当然許可は取っていない。暴力団とガッツリつながっている、ブラックすぎる会社だった。

 寝るように言われたアパートは6人部屋で、2段ベッドでオッサンたちがグーグー寝ていた。会社で横領したのがバレてクビになり、そのままホームレス状態になった男性など、ワケありな人たちが集まっていた。

 そんな会社の労働が9時〜5時・土日休みな訳はなく、朝5時から鶏肉をさばき、屋台に宅配し、昼から夜中まで焼き鳥を焼いて売り、屋台を畳んで帰ってくると夜中の2時だった。たった3時間しか睡眠は取れず、クラクラした頭で働いていた。

 本拠地が西成のど真ん中にあり、タバコやら弁当やらは西成の路上に出ていた違法露店で買った。弁当は転売屋がどこぞで集めてきた消費期限切れのものだし、タバコは片言の日本語で商売するおばちゃんが売る得体の知れない安いモノだった。となりには中古の電気工具や、ヤクザが作った裏ビデオなんかが売られていた。

 僕は働くうちに、西成の住人になっていたのだろう。当然、相変わらず酔っ払って騒いでいるオッチャンたちはいるのだが、自分が住人になると全然怖いとは思わなかった。

「人が睡眠もとらずに働いてるのに、呑気に昼間っから酒飲みやがって……」

 とイラッとするほどだった。

 焼き鳥屋の同僚はホームレスに罵声を浴びせていた。まさに貧すれば鈍するである。

 ブルーハーツの《弱い者達が夕暮れ さらに弱い者をたたく》(作詞:真島昌利、編曲:THE BLUE HEARTS)である。

西成の様子 写真提供/村田らむ氏

全国で進む“ホームレスゼロ計画”に思うこと

 今昔、ホームレスに対する暴力は後をたたないが、加害者はサラリーマンである場合も多い。彼らは

「のんびり寝ているホームレスを見て腹が立った」

 などと理不尽な動機を語る。

 よっぽどストレスが溜まってるんだなあと思う。だったら自分もとっとと辞めて、河川敷でビールでも飲んだらいいのだ。

 そんなホームレスだが生活保護を受けやすい政策になり、ぐっと数を減らした。

 現在は、僕が取材をしていたときの十分の一以下になっている。

 それは国や東京都などが、ホームレスをゼロにするために努力した結果だと言える。これはもちろん悪いことではない。ホームレスをやめたいと思っている人たちは、ほぼやめることができた。

 ただそれでも現在もホームレス生活を続けている人たちがいる。彼らには、

「身体が丈夫な間は、福祉は受けたくない!!」

 という強い思いがある人もいるし、単純に

「こういうふうに河川敷で暮らすのが好きなんだよ」

 という人もいる。中には、借金や犯罪など後ろ暗いことがありアパートに定住したくないという人もいる。

主人のいない布団の中から顔を出すワンコ 写真提供/村田らむ氏

 そういう人たちも、基本的にはホームレス生活はやめてもらおうという動きがある。げんに、公園や駅舎で住むことはできなくなった。最後の砦というべき、河川敷もいつまで住めるかわからない。

 もちろん、悪意だけで出て行けと言っているわけではない。彼らがホームレスを続けるのがいいのか、悪いのかはわからない。

 でもまあ、そんなに四角四面にキッチリ決めなくていいんじゃないの? とも思う。

 知らない誰かが河川敷に住んでたって別にいいじゃないか。

 ホームレス問題は真面目に、でも寛容に考えていくのがいいと思う。

村田らむ著『ホームレス消滅』(幻冬社刊)※記事の中で画像をクリックするとamazonのページに移動します

村田らむ 1972年、愛知県名古屋市生まれ。ライター兼イラストレーター、カメラマン。ゴミ屋敷、新興宗教、樹海など、「いったらそこにいる・ある」をテーマとし、ホームレス取材は20年を超える。潜入・体験取材が得意で、著書に『ホームレス大図鑑』(竹書房)、『禁断の現場に行ってきた!!』(鹿砦社)、『ゴミ屋敷奮闘記』(有峰書店新社)、『樹海考』(晶文社)、丸山ゴンザレスとの共著に『危険地帯潜入調査報告書』(竹書房)がある。