’98年のフジテレビ系ドラマ『WITH LOVE』で俳優デビューしたころの及川光博

 子会社VS親会社だった第1部から、国家権力が敵となった第2部と、回を重ねてさらにスケールが大きくなっている『半沢直樹』(TBS系)。

 前シリーズに引き続き、一筋縄ではいかない敵と戦う半沢をアシストしているのが、及川光博(50)演じる東京中央銀行の同期で融資部の渡真利忍だ。

 9月6日に放送された生放送特番『生放送!! 半沢直樹の恩返し』では半沢のために動き回り、ピンチを救う極秘情報をタイミングよく渡す自身の役柄について、

「都市伝説では、渡真利は半沢にしか見えてないフェアリー(妖精)なんじゃないかと。自分(渡真利)がいなかったら、半沢は前シーズンの第3話で詰んでいます」

 と豪語するほど、半沢にとってなくてはならない存在だ。

 劇中では半沢を助ける大事な相棒を演じているが、及川自身はある大物芸能人2人に助けられてきたようで──。

小学生時代のあだ名は“キザ男”

 26歳のとき、王子様キャラで華々しく歌手デビューした及川。その片鱗(へんりん)は幼少のころからあったという。

「自営業を営む父親、宝塚歌劇団のファンの母親のもとで育ったこともあり、小さいころの愛読書は『ベルサイユのばら』だったとか。また、小学生時代のあだ名は“キザ男”で、そんなキャラクターゆえに男子からは仲間はずれにされたこともあったといいます」(テレビ誌編集者)

 少年時代から端正なルックスだっただけに中学進学後は演劇部からスカウト。主役を演じたこともあったという。

「学生時代はバレンタインの日は60個ほどチョコをもらうなど、当時から王子様っぷりを発揮していたそうです」(レコード会社関係者)

 大学進学後は本格的な演技を学ぶために俳優養成所に入所。演劇と並行して、アマチュアバンドでの活動も開始し、この時点で、王子様キャラは完成していた。

「100人規模のライブハウスにバラをくわえて登場。そのバラを客席に投げるというパフォーマンスをしていたものの、最初の1年ほどはバラを受け取ってもらえない時期が続きました。それでも心折れずに続けたところ、レコード会社の人の目にとまり、デビューのチャンスをつかんだというからすごいですよね」(音楽ライター)

忌野清志郎さんの助言に背中を押される

 26歳のときに『モラリティー』で歌手デビュー。注目を集めるきっかけとなった’97年に出演した『マツモトキヨシ』のCMで演じたのも、お金持ちのキザ男役だった。

「日本テレビ系の『おしゃれイズム』に及川さんが出演した際、MCを務める藤木直人さんも同じオーディションを受けていたことを明かしていました。『マツキヨ』のCMが話題になり、音楽番組などに引っ張りだこになったものの、しばらくはイロモノっぽい扱われ方が続きましたね」(テレビ局関係者)

 タレントとしての方向性に悩んでいた及川の背中を押してくれたのが、デビュー間もないころにラジオで共演した故・忌野清志郎さんだった。

「どのように音楽業界やテレビ業界になじめばいいか……と清志郎さんに相談したところ“なじんでどうする? ずっと浮いてなさい”と言われ、そこから吹っ切れたんです」(前出・音楽ライター)

 ’02年には清志郎さんに曲のプロデュースを依頼したところから話が進み、ユニット『ミツキヨ』を結成。

「及川さんが詞を書いているときには“迷うな。迷うものはたいていダメなんだ”“直すとどんどん平均的になってつまらなくなる”といった、清志郎さんの言葉に刺激を受けたそうですよ」(前出・テレビ誌編集者)

『ミツキヨ』のビジュアルイメージは傾奇者をイメージしたという

 俳優としてのデビューは、’98年のフジテレビ系ドラマ『WITH LOVE』。

 もともと演劇をしていたこともあり、『ザテレビジョンドラマアカデミー賞』で新人賞を受賞するなど、俳優としてもすぐに頭角を現すことに。しかし、王子様キャラを彷彿させる似たような役ばかりがしばらく続いた。

美輪明宏の言葉で迷いがなくなった

 当時の心境を夕刊紙のインタビューで、

《ミッチーというキャラクターが浸透したとき、何だか窮屈になったんです。そのころが一番しんどかった》

 と振り返っている。そんな苦しい時期に、及川を救ってくれたのが、’00年の舞台『毛皮のマリー』で共演した美輪明宏だった。

オリジナリティーあふれるセンスで時代を切り開いた2人の異才と公私ともに交流を続けた経験が、音楽や演技で生かされているようだ

「小学生のときに美輪さんが出演する映画『黒蜥蜴(くろとかげ)』を見て以来、憧れの存在だったとか。’99年にトークショーで初対面。親睦を深めた際に、見せたいものと客の望むもののジレンマに悩んでいることを美輪さんに相談したところ、“人間は誤解されて当たり前。だから、誰がどう思おうが、自分の美意識で選んだ道を行けばいい”と言われ、迷いがなくなったといいます」(前出・音楽ライター)

 ファッション雑誌で対談した際に美輪は及川について、

《おもしろいイキなセンスを持っている人だと思っていたの。(中略)番組で話しているのを見て、非常に知的人種だと感じていた。この人はもっとレベルの高い芝居の世界に行ける人だと感じた》

 と絶賛。それ以降は王子様キャラが完全に定着したようで、一緒に仕事をした関係者たちは「カメラが回っていないところでも、あのまんまですよ」と口をそろえる。

「番宣でたまに出るバラエティー番組の収録でも、常に王子様のように言動がスマートです。クイズ番組に出たときは正解率が高く、知的さも備えている印象を受けました」(制作会社関係者)

「前回の『半沢直樹』でご一緒したときは、暑い日の外ロケだったにもかかわらず、待ち時間も嫌な顔ひとつせずにスタッフと談笑されていました。撮影が終わったときは、エキストラのほうにもきちんと挨拶して帰られて、品のよさを感じましたね」(エキストラに参加した女性)

 周囲も絶賛する名バイプレーヤーへ成長したのだった。『半沢』では“施されたら施し返す。恩返し”という名ゼリフもあるが、今度は及川が恩を返していく──。