松田聖子

 '80年にデビューして40年。“ぶりっ子”アイドルからアーティストへ、芸能界を走り続けて常に注目を集めてきた聖子。そんな聖子を「スター中のスター」と崇めるクリス松村さんが語った松田聖子が切り開いていった「新しいアイドル像」とは……。

クリス松村が語る「松田聖子の偉業」

「セカンドシングル『青い珊瑚礁』を歌っている姿を見て、デビューして2、3か月なのに、なんでこんなにきれいになったの、という驚きがありました。'70年代にもアイドルはいっぱいいたけど、この子は違うって」

 クリスの予感は当たっていた。聖子は、作詞家・松本隆とタッグを組み、ユーミン、財津和夫、大瀧詠一、細野晴臣といったニューミュージックのアーティストたちとコラボして、立て続けにヒット曲を量産していく。

「アイドル歌手は'70年代からニューミュージックの人たちの楽曲を歌ってきました。でも聖子さんの成功をきっかけにコラボするアイドルが急増。そして聖子さんとともにニューミュージックの人たちもヒットチャートをにぎわせるようになった。音楽新時代に相乗効果で突入した感じ」

 '82年組がアイドル黄金期といわれるが、'80年にデビューした聖子や河合奈保子、そして、たのきんトリオがいなかったら、'82年組のブレイクもなかったと話すクリス。さらに聖子さんの登場が、アイドルの結婚観も変えた。

「'85年に結婚式をあげて休養を発表したものの、引退するかどうかはっきりしていなかったから、私たちファンはみんなヤキモキしていました。ところが結婚・妊娠中にアルバム『SUPREME』をリリース。さらに出産して『Strawberry Time』をヒットさせアイドルを維持、これが後のママドルと言われる最初です。今までの”アイドルの結婚=引退“の常識を覆してしまいました」

 しかもデビューして40年の今でも、聖子は常に自分がアイドルであることに誇りを持っている。

「ある年齢に達すると、もうアイドルを過去のことのようにしてしまいがちですが、聖子さんは違う。今も武道館ライブでミニスカートをはいてキラキラの衣装を身につけ全力で走ってる。新しいアイドルの扉を開けてくれました

 そう話すクリスには、聖子さんの魅力を語るうえで忘れられない曲がある。それが'96年にリリースした『あなたに逢いたくて』。

ヒット曲に恵まれた聖子さんも、それまでミリオンヒットはなかった。それを達成したのがデビューから16年後。しかも自分が作詞・作曲(共作)した曲でミリオンなんて。とにかく諦めないところが聖子さんのいちばんの魅力なのかも」

山口百恵さんとの共通点

 海外進出だって諦めない。'85年にチャンスをつかむも、結婚・妊娠でいったん小休止。それでも諦めずに、'90年代には全米デビュー。最近では全米のジャズチャートをにぎわせている。

「今まで全米ホット100に入った日本人は坂本九さんとピンク・レディーしかいない。ジャズ部門など専門チャートで全米制覇する夢を聖子さんはまだ諦めていないと思う

 クリスには聖子さんとの忘れられない思い出がある。

松田聖子について語ってくれたクリス松村

「福岡空港で全便が飛ばないという緊急事態で、空港が混雑しているとき、たまたま私を見かけた聖子さんが、帽子とマスクをとって、化粧もされていないのに遠くから挨拶してくださったときは感動しました。

 それ以来、ますます聖子信者になっちゃった。聖子さんに『大ファンです』と近寄っていけない自分がいる。聖子さんはステージの下から憧れて見つめる人。だって、スター中のスターですから!」

 そんなクリスが、松田聖子の40周年を振り返り、とても不思議に思うことがある、と話す。

「実は聖子さんと'70年代を代表する歌姫・山口百恵さんには共通点があります。それは2人とも『日本レコード大賞』をとっていないこと。つまり、無冠なんです。個人的には'83年『ガラスの林檎』か『瞳はダイアモンド』でぜひとってほしかった。この年のレコード大賞は前年の『北酒場』に続いて、細川たかしさんが『矢切の渡し』で史上初の2連覇達成。聖子ファンとしては残念な気持ちもありますが、時代を代表する歌姫おふたりがとられていないのはすごい共通点だと思いませんか?」

PROFILE●クリス松村(くりす・まつむら)●タレント、音楽への深い造詣から音”楽“家(おんらくか)として、テレビやラジオにて音楽番組を数多く担当。『「誰にも書けない」アイドル論』を上梓