吾峠呼世晴『鬼滅の刃』1巻(集英社)より

 漫画『鬼滅の刃』の勢いが止まらない。JR、ユニクロ、イオン、郵便局、ローソン、キリン、日清食品、ドン・キホーテ……日本を代表する名だたる企業がコラボ商品を発売し、その異常なまでの人気にあやかっている。

「『鬼滅』は週刊少年ジャンプで'16年から今年の5月まで連載していた少年漫画。作者は本作が連載デビューとなる漫画家の吾峠呼世晴(ごとうげ・こよはる)さん。舞台は大正時代で、炭売りの少年・竈門炭治郎(かまどたんじろう)が家族を鬼に惨殺され、妹の禰豆子(ねずこ)は一命を取り留めたが鬼になってしまう。妹を人間に戻すために“鬼狩り”の旅に出るというストーリーです」(マンガ誌編集者)

作者のイラストは“メガネをかけたワニ”

 連載がすでに終了している中でのフィーバーぶりは、10月16日より公開されている映画『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』の影響が大きい。

「公開から10日間で興行収入が早くも100億円を突破しました。‘01年に公開された『千と千尋の神隠し』が持つ、308億円という日本記録の更新も期待されています」(映画雑誌ライター)

 大ヒット作を生み出した作者の吾峠氏は、’89年生まれの現在31歳で福岡県出身。24歳のときに投稿した作品で編集者の目に留まり、その後数年間の研鑽を経て『鬼滅』で連載デビューを果たした。

 ここまでは公式情報として発表しているものだが、これ以外の情報はベールに包まれていた。作者がプロフィールに使っているイラストは“メガネをかけたワニ”で、性別も公表していない。しかし……。

「『鬼滅』のヒットを受けて、一部週刊誌がジャンプ関係者の証言として“作者は女性”“家庭の事情で、長く漫画家として連載活動を継続できない”と報じました。吾峠呼世晴という名前から、てっきり男性が書いていると思った方も多いのではないでしょうか」(前出・マンガ誌編集者)

 吾峠氏の性別が女性だという報道が仮に事実だとして、なぜ女性漫画家が“男性名”をペンネームにするのか。コミック界の歴史を紐解くと、これは珍しいことではない。

作者が女性というだけで読まない人もいた

「どの業界もそうだと思いますが、まだ漫画の世界で働く女性が少なかったころの名残ですね」

 そう話すのは、漫画原作者の太田ぐいや氏。

ひと昔前は、作者が女性というだけで読まないという人もいましたから、男性のペンネームを用いる女性漫画家は多かったです。また、“漫画の力は低いくせに、ちょっと美人だから仕事が取れている”などという女性蔑視も残念ながらあった時代でした。

『シュート!』の大島司先生、『鋼の錬金術師』の荒川弘先生、『ホイッスル!』の樋口大輔先生、『金田一少年の事件簿』のさとうふみや先生、『レイプ』や『最強ブス〜金も男も世界は私のためにある〜』の坂辺周一先生などは有名です。『モテキ!』の作者である久保ミツロウ先生は自画像を男性っぽく描いていましたが、女性漫画家さんです。

 サッカー漫画『Jドリーム』や『オフサイド』で有名な漫画家・塀内夏子先生も、デビュー当時は“塀内正人”という男性名義のペンネームでした。彼女の場合は人気を博した後に“夏子”と改めましたが、そのことで悪影響を及ぼしたことは特にないように見えます。人気を得ることができればペンネームは何であろうと関係ないとも言えますね」(太田氏、以下同)

坂辺周一『最強ブス〜金も男も世界は私のためにある〜』(小学館)より

 これらの漫画作品は、いずれも少年誌やヤング誌、青年誌で連載されていたものだ。読者は少年や若い男性がメインとなるため、“男性が読む漫画をなんで女性が?”“男性の描写は男性しかできない”という意識は、時代背景もあるが、ほかの雑誌媒体より強かったのかもしれない。

「逆に、少女漫画や女性漫画、ハーレクインなど、女性がメインの読者層の雑誌では、“女性の描写は女性しかできない”という見方が影響しているのか、わざわざ男性のペンネームにする女性漫画家はほとんどいません。

 ちなみに、漫画の中身をじっくり読むと“男性っぽいペンネームだけど、ひょっとして女性?”と類推できる1つの判断基準があるんです。それは“女性を乱暴するシーンをあまり描かない”ということ。どんなに凄惨な漫画でも、男性が女性に暴力をふるうシーンが少ない場合は、女性漫画家である確率は高いです。

 例外として、先ほどの坂辺周一先生はその名の通り『レイプ』という漫画が実写化もされて大ヒットしましたが、そういう女性漫画家さんもいます

ジェンダーレスのペンネームも多くなってきた

 女性の漫画家が男性のペンネームを名乗ることは時代背景が大きく影響していたが、現代ではまた新たな変化があるという。

ジェンダーレスの世の中になり、男と女の二元論自体が時代遅れという傾向にはなっています。そもそも、男性か女性かよくわからないペンネームも多くなってきました。『クール教信者』『天原』『Tiv』『知るかばかうどん』などなど、枚挙に暇がありません。この傾向は今後、ますます強まっていくと思われます。インパクトが強いペンネーム、覚えやすいペンネーム、そして何よりSNSで検索されやすいペンネームが好まれていくでしょう

 SNSの隆盛により時代は逆転し、男性向け作品を描く“顔出しの”女性漫画家はむしろ人気となることが多い。

「SNSは人間を透化させる機能がありますから、さらけ出している部分が多ければ多いほど、好感度は上がっていきます。美人の女性漫画家さんに至っては、それだけでSNSのフォロワー数も増加しますし、複雑な世の中になってきました。

 さらに深堀りすると、“少女漫画を描いている美人の漫画家さん”については、顔出しすると女性読者のフォロワーは減るという現象があり、実際に話を聞きました。こちらはとても複雑な女性心理なのですが、“少女漫画を描いている漫画家さんは、どこかでちょっとブスであってほしい。憧れの心理で描いてほしい”という少し歪んだ欲望の作用だと、彼女は分析していました。

 読者は漫画家さんをリスペクトしている一方で、“自分よりも少し不幸であってほしい”という黒い欲望もあります。これは漫画の主人公への感想にも言えることで、“この主人公が好き”“憧れる”という感情と同時に“この主人公は自分よりもレベルが低いから、自分はまだ大丈夫”という感情もあるそうです。

 このような人間らしい複雑な感情が“男性ペンネームを使う女性漫画家への、読者のさまざまな見方”に帰結するのだと思いますね」

 女性だから、男性だからといったうがった視点を持っていては、面白い作品を見逃してしまう。作者の性別がどうあろうが、『鬼滅』が面白いことには変わらないのだ。


太田ぐいや
漫画原作者、脚本家、構成作家。原作や原案を手掛ける現在連載中の漫画は『私には5人の毒親がいる』(漫画・樹生ナト/秋田書店)、『ばくおん!! 台湾編』(漫画・おりもとみまな/秋田書店)、『そば屋幻庵』(漫画・かどたひろし/リイド社)、『余命一年のAV女優』(漫画・玉越博幸/小学館)など。